毒された
今日は温室に用事があったから、結構早めに来たのだけれど。
上履きを取り出そうとすれば、靴箱の壁に沿うように入っている白い封筒が目に入る。昨日最終下校時刻を少し過ぎて帰った時にはなかったから、多分今朝入れられたものだ。どんだけ早く来たんだろう、これ入れた人。余程他の人と鉢合わせたくなかったらしい。
とりあえず靴を履き替えてから取り出し、確認する。果たし状とは書かれていない。私宛であるということしか書かれておらず、差出人も封筒には書かれていない。んー、どうしよう。
陽に透かしてから、耳元で封筒を軽く振ってみる。
「……ねぇ、何してるの?」
「ん、おはよう、夏草庶務。何か靴箱に手紙らしきものが入ってたから。変なものじゃないかの確認してた」
「変なもの……?」
後ろからぬっと現れた日向に答えれば、不思議そうな声が返ってくる。日向が書いたのではないらしい。まぁ日向ならメールとかすればいいしね。
鞄の音が聞こえたから、たまたま日向と登校時間が被ったみたいだ。
「うん、カッターの刃みたいな紙以外の物が入ってないか、紙自体にも妙な細工はされてないか、とか」
「音で分かるの!?」
「紙以外の物は勿論、紙も封筒と擦れて出る音とかで多少なら判別はできるよー」
音からして中身は紙だけ、恐らくざらばん紙でもないごく普通の紙だな。陽に透かした時に文字が書かれているのが分かったから、薄くて真っ白な紙。綺麗に折り畳まれているけど完璧じゃない。外から色々してみただけの評価としては、手紙という珍しい方法をとったことを除けば、特段警戒する必要のなさそうな、良い意味で普通の手紙だ。
綴じられた口には丁寧に蝋封印がなされている。デザインは細かく、素人目にも安価なものではないと分かる。この人はチカあたりと気が合うかもしれない。
「問題はどこで開封するかなんだよねー」
「ここは駄目なの?」
「んー、やっぱりねぇ。ここ監視カメラあるし、人通りもなくはない。でも、緊急の用事だったら困るから家に帰ってから、とはいかないよねぇ」
「あ、だったら生徒会室とかどう? 僕ら以外基本来ないし、こんな朝早くに来る人、多分いないよ」
その朝早くに君は来ているわけだけれどね。
口には出さずとも、私の目で分かったらしく日向は不満げな顔をした。
「綾ちゃんと二人っきりになるには、朝早くに来るのが確実なんだもん」
「……あー……なるほど」
「ファンクラブの子達って妙に勘の鋭い子もいるから、結構気を付けないと駄目なんだよ」
うーん、情報部隊の人かなぁ。日向の目つきが最近変わったみたいな情報は入ってきてるし。周囲を警戒するようになっているとのことだったから、うん、多分そうなんだろうなぁ。
プロでないとはいえ学園中にいるファン達に気付かれないよう動けるとか、日向凄いわ。こっちが情報部隊に欲しいぐらいだ。
結局日向の案に従って、先に手紙を読むため生徒会室に向かった。手紙を読んだら本来の用事をしに行くことを伝えたら日向は子供みたいな膨れっ面をしていたけど、放課後一緒に遊ぼうと誘ったらぱっと顔を明るくさせた。よしよし、こないだ一人ようやく攻略した乙女ゲーム、他の人達も攻略していこうじゃないか。
「……ねぇ、何が書いてあるの?」
手紙を開け、その内容に眉を顰めれば、日向に不安そうな声で問われた。誰にも言うなとかは書かれてないし言ってもいいかな。
「八時二十分に屋上に来てくれって。勝手に私の予定を決めないでほしいねぇ」
見た感じ喧嘩でもなさそうだし、気が向かない。何より温室に行かなければならない。
以前よりしていた約束ならばともかく、唐突な、それでいて一方的な指示という時点でその気が失せる。こんなものに従う人間はいるのかな? いやいるんだろうけど。
家に帰ってシュレッダーにでもかけるべきか、それとも送り主が取りにくるまで保管しておくべきか、なんて考えながら、ひとまず折り畳んで封筒に戻し、鞄へと放り込んだ。
「綾ちゃん、行くの?」
「うん。あ、屋上に行く気はないから。……あと夏草庶務、早くに会う時は連絡しよう。今時分の朝は寒いからね、無意味に外にいるのは駄目だよ」
「えーっ、それだったら、早く来るときの……うーん、三回に一回は連絡して」
どうせ『気が向いたら』と答えると思ったのか、日向は割と適当そうに言った。さすがここ最近一緒に行動してるだけあってか、私の気まぐれに慣れたらしい。
もっとも、その予想は外れるけれど。
「ああ、二度に一度は連絡するよ。家で遊ぶ時しか二人で会えないのは、寂しいからね」
鞄を取りながら日向にそう断言すれば、彼は目を丸くする。
期待通りのその反応に気分を良くして、私は温室へと向かったのだった。
「ちょっと!」
放課後、荷物整理も済ませていざ生徒会室へ行こうと廊下に出て歩き始めると、後方から憤った声と共に腕を掴まれた。振り返って相手を見れば、確か高等部から入って来た同学年の男子生徒。単純に怒っているだけで殺意だとか物騒なものは感じられなかったから、掴まれた腕は放置して、足を止める。
私の記憶している限りでは、生徒会やら部活やらでも、普通に授業とかでも関わりはなかったはずだ。会話を交わしていたとしても、互いに自己紹介もしないような簡単なものぐらいだろう。
さすがに学園の生徒全員の個人情報を暗記しているはずもなく、私が彼に害をなしていないと確信はできない。もしかしたら以前に喧嘩を売って来た女の子の彼氏さんとかかもしれないし。
「……んーと、どうしたんですか?」
何にせよ完全に面倒くさい気配しかない。最低限他人に失礼でない程度の表情で首を傾げれば、彼は人通りの多い廊下だということをまるで気にせず、怒鳴り口調のままに話し始める。
どうやら彼は今朝手紙で私を呼び出した人のようで、私が屋上へ行かなかったことにお怒りのようだった。どうして約束を守らないのか、と。
「いや約束じゃないと思うんだけど」
「はぁ⁉」
「私の了承も何もなしに、君が一方的に指示したもの……要するに、あれは約束じゃなくて、命令でしょ。それに従う義務はないし、気が向かなかったから行かなかったの」
理解してもらうために、なるだけ頑張って言葉を探す。他人の思考回路なんてわからないんだから、こうやって突発的に説明するのはあまり得意じゃない。その人に合わせた説明の仕方というものができない。
現に理解はしてくれたようだが納得がいかない、もしくは説明が彼の神経を逆撫でしたようで、彼は一度顔を真っ赤にした後、力任せに私の腕を引いた。ぎりぎりと手首を遠慮なく締め上げるその力は、紳士的とはとても言えない。
行先も告げずに、彼はずんずんと歩いて行く。人の多い教室の前から離れていくにつれて掴まれる力は強くなり、さすがに痛みを覚えて思わず眉を顰めた時。
ふいに後ろから現れた別の手によって、手首の拘束は解かれた。驚いた男が振り返る間もなく、男は前方へとぶっ飛ぶ。おお怖い。髪の毛が風でばさぁってなった。腕の伸びる方向に目をやれば、そこには日向が立っていた。自然な仕草で彼の方へと抱き寄せられる。
日向は飛んで行った人を鋭い目で見たまま、怒気を孕む声でゆっくりと尋ねた。
「……ねぇ、何してるの?」
今朝似たような言葉を彼の口から聞いた気がするが、その声音は全く違う。ようやく上体を起こした彼への敵意で溢れたそれからは、たとえどんな答えが返ってこようとも許す気はないことがありありとわかった。それこそ友人達あたりが向けそうな、殺意にも似た何かが入り混じっている。
ふとこちらに彼の視線が落とされたかと思うと、私を緩く抱き寄せていた手が強張った。視線を追って私の手首を見れば、余程強く掴まれていたようで、めくれた袖の下に手の痕がくっきりと残っていた。服の上から掴まれたと言うのにこんなに分かりやすく痕が残っている。痛いはずだ。
「綾ちゃん、大丈夫?」
「ん、大丈夫。助けてくれてありがとう」
「ううん……結局間に合わなかったし。手首以外に怪我したところはある? 怪我って、こういうあざとかも含むからね」
「ないよ、あの人には手首しか触れられてない」
「本当に? ……なら良かった。そうだ、先に保健室行こう! 湿布とか貰わないと……」
「……あの人は放置で良いの?」
「後で対処するから!」
そう満面の笑みで言われると、何も返せなくなる。会ったついでに呼び出そうとした理由を聞こうかと思ったけど、日向は完全に保健室へ私を連れて行く気満々のようだ。
日向に連れられるまま隣を歩いているうちに、段々と先程の男子生徒への興味は薄れていく。保健室に着く頃には、すっかり日向との会話へと興味は移ろっていた。
「あれ、先生いないのかな?」
「うん?」
「ほら、看板……」
言われて入り口脇にかけられている看板に目をやれば、円形の板に描かれた『外出中』の文字が一番上に回されている。んー、終礼の時に何回か放送が流れてたから、それのどれかで呼び出されたとかなのかな。
立ち入り禁止と示されていないから、中には入って良いだろう。確かこういう時は中にあるチェック用紙に名前とクラス、理由と使用した物を書けば良かったはずだ。最近はまるで来ていないから、うろ覚えだけど。でも『校則集』にもそんな感じのが載っていた気がする。
「じゃあ湿布を一枚貰って帰ろう。痣なんて、緊急性のあるものじゃあないしね」
「えっ、でも腫れてたりしたら……」
「大丈夫だって」
「うーん、確認するから、一回ベッドにでも座って」
救急箱から湿布を取り出した日向に言われ、何故椅子ではないのだろうと思いながらも素直に腰掛ける。それを見て日向は溜め息を吐きながら私の前に跪く。……何故だ。
日向は私の腕を取って袖を捲ると、腫れてもないし熱もないね、なんてぼそぼそと言いながら真っ赤な手形を恐る恐るといった風に触れた。過保護なその様は、何度見てもくすぐったいような、不思議な感覚になる。私を大切に思っているがゆえにこうして心配してくれるということが、不謹慎にも、他のどの愛情表現よりも信じられるような気がしてくる。かつての──────あの人が、決して寄越さなかった愛情表現。
あの人は私を好きだと言ったし手も繋いだし、抱きしめてもきた。あー、でもキスはしなかった。私は当時そういう行為が存在することを知らなかったから、彼もそうだったのかもしれない。まぁ、とにかく彼はここまで過保護な様子はなかった。
だから、信じられるのだろうか。私以外に好意を向けた彼が、しなかったことだから。
「……そうだ。綾ちゃん、さっきは何で逃げなかったの」
「ん? さっきって、あの男の人に連行されてた時の?」
「そう」
「んー、まぁ命の危機を感じなかったし。面倒になったら、蹴れば良かったし。何よりほら、割とすぐに君がこっちを追ってきたじゃない」
「気付いてたの?」
湿布を張り終えた日向が、跪いた体勢のままぱっとこちらを見上げる。陽に照らされた瞳に光が揺らいで、あの人のような珍しい色の瞳ではないというのに、心臓を鷲掴みにする美しさを放つ。
「私、耳が良いから」
「耳が良かったら誰の足音かわかるものなの!?」
「あははっ、まぁ直結はしないと思うけど、私はまぁよく知る人間ならば足音で判断できるさ。……変態じみて聞こえるかもしれないが、君の足音ならば、尚更だ」
珍しく見下ろす位置にある彼の髪に、指を差し込む。日向はそれに一瞬驚いた様子を見せたが、幸せそうに目を細めて従順に私の手を受け入れる。
「だから、君が来てくれているのが分かった時、私はあの男に恐怖していたでもないのに、何故か安心したよ。それと同時に酷く嬉しかった」
日向の柔らかい髪の中はひどく暖かくて、その温度に私も目を細めた。
「今日だけじゃない。いつもそうさ。こちらへ来るのが君のものだと気付く度に、私は自然と喜んでいる」
言いたいことを言い終え、何故か固まる日向をよそに髪の感触を楽しむ。そういえば今の私は日向みたいなストレートに近い髪質だけど、前はむしろ柳瀬さんみたいな癖っ毛だったなぁ。せめてもの抵抗として、大きいカチューシャで抑えようとしていた記憶がある。
いつまでも触っていたい感触だな、なんてぼんやりと思っていると。
「……急に可愛いことするのやめてって、言ったよね?」
ふいに日向が立ちあがり怒り気味の声でそう言うと、ぐるりと視界が変わった。ぽすんと気の抜けた音が耳元でして、布団特有の柔らかさが全身から伝わる。顔の真横に手が置かれた気配がして反射で閉じた目を開けると、耳まで赤くした日向が、むすっとした表情で私を見つめていた。日向の奥に見えている天井と照明に、自分が今押し倒されているのだという状況を理解する。
無言で日向が顔を近付けてきたかと思うと、唇の、本当にすぐ近くに、小さなリップ音と共にキスが落とされた。
一拍置いて事実に脳が追い付き、かっと顔に熱が集中する。思わず手を口許に持って行くと、日向は目を細めて今度は私の首にキスをした。今までの頬とか額とか、手へのキスとは比べ物にならない程心臓がばくばくして、呼吸が勝手に乱れる。徐々に鎖骨へと降りていく日向の唇の感触に、情けなくも荒い息を吐いてしまった。日向にもそれが届いてしまったのか、視界の端に見える日向の指が、じり、とシーツに食い込む。
日向は私の肌から唇を離して、少し身を起こす。こちらに向けられたその瞳には、好意と同時に欲が色濃く渦巻いていて、けれどそれを日向が隠そうとしているのもよく分かった。
ぞくりと、仄暗い幸福感が背筋を走る。
日向が時折する、自分を必死に抑えているようなその目を見て、何よりも真っ先に喜ぶあたり、私は相当駄目なのだろうなとは思う。私なんぞにそれを向けさせているという罪悪感より、その瞳が孕む欲や執着に対しての恐怖よりも、作られたものじゃない、この私が読み取れる程に顕著なまでのそれを彼が私に抱いているという事実が、どうしようもなく嬉しいのだ。
息切れしてるみたいな短い吐息を日向も零して、また私の首筋に唇を押し付けた。そのままちろりと、温かく濡れたものが僅かに這う感触がした後、その感触をより強く残すかのように同じ場所を緩く吸われた。
何かの真似事みたいな中途半端な感覚に、もどかしくなる。
「……綾ちゃん」
「ん……?」
今度はちゃんと身を起こした日向に名前を呼ばれ、彼の目を見つめる。私の視線を受けて日向はぐ、と言葉に詰まった後、ゆっくりと自身を落ち着けるように息を吐いた。シーツを引っ掻いていた日向の指からも、力が抜ける。
その様を何も言わずに眺めていると、日向の手で視界を遮られた。その体温は、普段よりもさらに高い。
「あのね、実際にやっちゃった僕が言うのも何だけど、こういうことをされる可能性があるから、男子といる時にベッドに近付いちゃいけません」
「えぇ? ……えっと、うん、わかったよ。この手は、どうして?」
「今綾ちゃんに見つめられると色々と我慢できないからです」
「うん……?」
よく分からない。けど、溜め息を吐いた日向が、そっともう片方の手で、私の唇をなぞった。物欲しそうな触り方に、奇妙な感覚を覚える。少しの間なぞったり押したりして満足したのか、唇からも、目の上からも手をのける。光を瞼の上に感じて、私は目を開けた。
数秒見つめ合った後、日向は顔を緩め、私の頬に手を添える。添えた手の指でついと私の目尻を撫ぜて、瞼に軽く口付けた。
「好きだよ。本当に、誰よりも綾ちゃんが好きだ」
囁くその声は、どこまでも甘くて、優しい。いつからか私はその声に、もはや不安など抱かなくなっていた。
「……私も、好きだよ」
両手を伸ばして、私も同じように彼の頬に触れる。
きっと、もうすっかり彼に『洗脳』されてしまったのだ。私のためにも、彼のためにももっと警戒するべきで、もっと距離をとるべきだ。それが正しいことなのだろうと分かっているのに、私はそれを全くしていない。
この関係ですら、こんなにも心地良いのだ。恋人になったら、どうなるのだろう。
ぞくりとまた愉悦が背筋を駈けたのを誤魔化すように微笑むと、彼の顔がぐっと近付く。
間近で見た日向の瞳は、やっぱり綺麗な茶色をしていた。
──────GOOD END「自ら染まる」
相変わらずバッドエンド風味のエンド名どうにかならないんですかねぇ……(諦め)
もう日向がひたすらキスしていた記憶しかない。
ここからは、本当のバッドエンド時に宣言?したように、『If~バッドエンドで乙ちゃんがフったのが日向だったら~』のエンド後予想。
そんなの見たくねぇよ、という方は飛ばしてください。
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日向の場合は、多分告白までの流れが本編と全く同じになると思います。ただ、第二話にて日向だと当てず、わざと葵だと答えるでしょう。それでも本編で言った通り日向の想いが消えることなく、むしろそんなこと関係なしに好きだと再確認しそう。フラれてもアプローチを続ける許可を貰ってアプローチし続けると思います。その姿に乙ちゃんがほだされていくと良いなぁ。
きっと苦しむこともあるけど、その過程をきっと空達は何も口出しせずに、ただ乙ちゃんが壊れないように見守ってくれると思います。




