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根拠のない言葉

 チカが普段よくする、にまっと笑うのとは別の、一見穏やかなにっこり笑いに遠い目をしていると、チカは何かを思い出したようにハッとして地団太を踏み始めた。

 何だ何だ。


「ほら、言うたやろー! いや言うてへんけど! あーちゃんはタイプとか超越するんですー! 可愛い子好きとかボーイッシュな子ぉが好きとか、あーちゃんの前では関係あらへんもーん!」


 どうやら文化祭の日のことを言っているらしい。そのことに関しては何も言い返せない。


「まぁ正論だな」

「もう庶務に好かれるはずないとか断言した時点で、フラグとしか思えんかったし」

「えっ、何の話っ?」

「……私が君を好きなことは、彼女らにはバレてたの。それでちょっと話した時に、私が君に好かれているはずがないって言ったんだよ。君は可愛い子がタイプで、私はそれと程遠いからね」


 自分で言っていて若干悲しくなりながら答えると、日向は少し黙った後、ぽつりと言った。


「……綾ちゃんは、可愛いと思うよ?」


 恋は盲目。

 それを見せつけるような発言をする彼に呆れるも、三人、特にチカはそう捉えなかったらしい。ぱっと真顔になって日向へと歩み寄り、真顔のままマシンガントークを繰り出した。


「わことりますやん、見る目あるわぁ。せやで、あーちゃんは普段は飄々としとるしおもろいもん以外には無関心やしそのせいで冷たいとか高圧的とか女王様とか受け取られてまうけど、あーちゃんの“一定以上親しい人”の枠組みにさえ入れたらそっからはもうパラダイスやから。さりげなく特別扱いやし胸きゅんの笑顔見せるし時々甘えてきたときとかホンマに可愛すぎて鼻血出るから。友人なること受け入れた自分を称賛せん日ぃはないぐらいやで」


 チカのガチトーンによるそれの内容に耐え切れずに私は耳を塞ぐが、日向にとっては興味が湧くどころのものではなかったらしい。食い入るようにチカの話を聞き続け、目をぎらぎらとさせている。チカがああいう状態になると、自然に声が低まって小さくなるのがせめてもの救いか。

 途中からキャシーも参加し始めたから、空の元へと逃げる。もう日向を置いて先に帰ってしまおうか。それでいい気がする。うん。


「もうやだ……」

「でも良かったじゃねぇか、ああいう風に評価されてて」

「黙って……」

「はいはい。……で、家で何してたんだ?」

「うん? ゲームしてたよ」

「健全だな」


 わかってたけど、と薄く笑った空に首を傾げるも、聞いて興味の湧くような内容とも思えないから特に聞きはしない。それよりかは今はあそこでくだらないことを講義しているチカとキャシー、そしてそれを何か興奮しながら熱心に聞いている日向をどうするかだ。


「……帰って良いかなぁ」

「あたしは止めねぇよ、明言はしねぇがお前とあの庶務の仲が深まることはするつもりはねぇからな」

「充分明言してると思うよそれ」

「いやいや明言してねぇよ。この場合における明言は、『あたしは綾と庶務を付き合わせたくない』だから」

「文意の九割は既に明言されてるんだよねぇ」


 今こそ落ち着いて……うん、ちょっとアレな形で落ち着いてはいるけど、チカが先程自分が得意とする刃物を持ち出すほどに敵意を剥き出しにしたのは、日向という存在で私達の関係が乱され、彼女達へ使っていた時間が全て日向に回されるのではないかと懸念したからだ。……やってることの度合いからして、懸念なんて優しい言葉で表現していいのかは分からないけど。

 ただの友達ならば、チカ達はあそこまでの反応を見せない。だが、今までは余程の理由がない限り三人以外にはしていなかった『家に招く』という行為を、日向にもした。長時間共に過ごす前提でなければしない行為だ。恋人だろうが友人だろうが、彼女達と近い立場になればより彼に割く時間は増えるだろう。

 新しく人が入ってくるぐらいで起こる変化は、案外気にしなくていい。それは私達全員が理解していて、それ故に好きに関係を作っている。私は気まぐれに作るし、チカもあの性格だから、客観的に友達と称される存在は多い。本人がそう認識してるとは限らないが。

 だがそこより深い場所、友達でも情報収集要員でも、仕事仲間でもない立場に来ようとするならば、私達は極端に排他的になる。

 親しくあるために、絶対裏切られないために、裏切らないために作り上げた関係。何より大切なそれを守るために、そこに近寄る者は警戒するし、決して入り込ませない。

 敵意を向けこそしなかったものの、空も、恐らくキャシーも、そこは一緒なのだ。


「まぁお前が望んだことである以上、あたしはそれが悪い選択だとは思わねぇからな。これはあくまであたしの感情であって、絶対的な悪じゃねぇなら、積極的に邪魔はしねぇよ」

「そういう最終的に私を優先してくれるとこ、本当に大好きだよ」

「綾があたしらの傍にいる限り、あたしらはお前の幸せを最優先するさ。愛する奴には尽くすもんだ」


 空は茶化す風に言って、微かに笑った。三白眼は細められてすぅと切れ長になり、その奥でヘーゼルの瞳が優しく翳る。

 そして当然の流れのように空が私の手を取り、口許へ持って行こうとした時。


「待って! 冗談でも駄目です!」


 急に目の色を変えてこちらに来た日向に、阻止された。


「綾ちゃん、さすがに目の前でそういうことされそうになったら止めるよ!? そりゃ僕は恋人にはなってないし権利?とかちょっと怪しいとこがあるけど!」

「うん……?」

「……アンタ、女に対してもソレは、かなりキツくねぇか……? あたし達はこういうのしょっちゅうだし、綾自身も結構するぜ? 気にしてたら精神削れそうだが……」

「いやでもやっぱり好きな子が他の奴に触られてたら……え?」

「はぁ?」


 わなわなしつつ捲し立てていたのを止め、日向は間の抜けた声を出す。それに対して困惑した顔で空が返す。私自身、日向がそこまでスキンシップに抵抗があるとは思ってなかったから、唐突な行動に首を傾げる。

 数秒してから、察したらしいキャシーが呆れたように溜め息を吐いた。


「あやや、また何かそらりんを恋人だか婚約者だか言うたんちゃうの」

「え、誰に?」

「庶務に」

「……あぁ、そうだね、夏祭りの時に何かそういうジョーク飛ばした気がする」

「その時にそらりん男やって思われたんじゃない」

「なるほどな。あー、わりぃな、あの日言ってなくて。キャシーは見た通り。チカやあたしもこんななりだが一応体は女だ」

「あーなるほどね、勘違いしとったんか」

「そうなんだ……良かった。あっ、ごめんね、勘違いしてて」

「まぁあの時はそれを狙ってたワケだし、別に」


 どうやら夏祭りの日に空を婚約者だとか言った時に男認定されたままだったらしい。あの後会う機会もなければ私が説明もしなかったから当然なんだけど。空って名前も男女両方でいけるから、名前で違和感覚えることもなかっただろうしなぁ。

 あの直後、チカによる激辛トッポギテロが発生したから、記憶に残ったとしてテロの印象のが強いだろうし。


「で、女だったら大丈夫なのか?」

「……綾ちゃん、女の子は……」

「そういう目では見ないよ、少なくとも今は」

「綾ちゃん!?」

「まぁ君を好いている間はまず他には目がいかないさ」


 割と私自身が愛というものを重視している以上、私が受け止めきれない程のそれを持って私を好く人が現れたら、もしかすれば性別といった垣根を超えることがあるかもしれない。未来も、その頃の自分の気まぐれも想定なんてできないから、その辺りの断言はできない。

 でも、自分の一途具合には自信があるんだよ。そんな簡単に殺害対象候補を増やすなんてできないし。

 だから安心してよ、と言えば日向はぶわっと頬を朱く染め上げて、喜びの色を顔中に広げて笑った。


「うん!」

「じゃあ、いい加減行くよ」

「足止めして悪かったな。じゃあ、また明後日」

「ほなね」

「……庶務くん、ちゃんとあーちゃん家に帰しよ?」

「わかってます!」


 チカが僅かに目を見開いて口角を上げれば、ちょっとだけ怯えながら日向は敬礼を返した。あんだけ話しても、出会いがしらの恐怖を忘れはしなかったらしい。

 チカは冗談を言う子じゃないし、あの包丁を使うだけの能力も行動力もある。自分を守るためにも恐怖心ってのは大事だ。恐怖を忘れて、いわゆる平和ボケしてたら、彼女は簡単に行動に移すだろう。彼女は、私達の中で一番命に“遠慮”がない。


「さ、帰ろう」


 手を差し出して言えば、日向は蒼褪めさせていた顔を再度明るくして頷く。もっとも、彼の手をとろうと上に向けた掌はくるりと裏返され、私が手をとられるような形となって繋がれたけれど。

 そうして隣を歩く彼は、随分と上機嫌だった。テンションがころころと変わる人だ。私も人のことは言えないけれど。……そういえば、日向はここ最近ずっと機嫌が良い、というか。前以上に笑っていることが多いように思う。そのことを日向に尋ねれば、少し考え込んでから、ああ、と理解したように声を洩らして、また笑った。


「ほら、今、綾ちゃんとこういう関係になれたから」


 こちらはよく分からずに眉根を寄せて首を傾げれば、彼は歩く速度を緩めて、私を見る。


「だって僕、だいぶ長期戦は覚悟してたもん。僕がこれまで長続きしなかったの、綾ちゃんなら知ってるだろうと思ってたし。それが、たった二年ちょっとで良いって言われたんだもん。しかもその時にまた考えるじゃなくって、その時になったら絶対なんだよ?」


 どうやって証明しようとか考えてたから、嬉しくて。

 目許に朱を差して言った彼の視線が、溶かした飴みたいな甘さをもって私を絡めとる。そこに確実に混ざっている“色”に、彼はこんな目ができる人だったのか、なんて息を呑む。


「ねぇ綾ちゃん、綾ちゃんはさ、前に……告白した時じゃなくて、それよりも前に、僕か葵かどっちだと思うか、ってのをやったこと、覚えてる?」

「……あぁ、夏期講習中の」


 裏庭で、日向が好きだという理由で好きな子にフラれたとかいう割合理不尽な言い分で喧嘩ふっかけられてた時のやつ。


「あの時は見分けてもらえなかったら、諦めようと思ってたんだよね。あの頃にはもう、綾ちゃんが他の人……葵とですら、話してほしくないなんて思う自分が、嫌になってたから」

「それ目的だったの、あれ」

「うん、まぁ。名前忘れたけど、誰かに葵って間違えられて、綾ちゃんだったらどうなんだろ、とか思ってた時に綾ちゃんの姿が見えて。……それで結局、見分けてくれたでしょ。だからもう諦めるのをやめようってなったんだ」

「やめる?」

「うん、綾ちゃんを好きじゃなくなるなんて、無理だなって分かったから」


 平然とそういう日向に恥ずかしくなって顔を逸らした。

 その反応が面白いのか、日向はにこにことしながら私の手を包み込んだ。じんわりと伝わってくる温さに、一層恥ずかしくなる。


「……じゃあ、文化祭の時のは、どういう理由だったの。あの時はもう、意図的にわかりにくくしてたでしょ」

「あ、バレてた?」

「当たり前でしょう、そうじゃなかったら、瞳の色なんて理屈なしに感覚で君だってわかるもの」


 ただ単に、見分けがつくというだけだ。他意はない。……他意はないから、そのにまにまをやめなさい。


「んー、特に何も、そういう意図とかはなかったかな。ただそういう気分になっただけ」

「あぁ、気まぐれかぁ」

「納得するんだ」

「そりゃあね。ほら、私自身が気まぐれの権化みたいなものじゃないか」

「うーん、確かに」

「……ねぇ、あの時、当てることができなかったらさ」


 君は私を、嫌いになっていたの。

 そう尋ねた私が、どういう表情をしていたのかは分からない。私を見て真剣みを帯びた目をした日向が、どう考えていたのかも。ただ、尋ねた声は明るいとは程遠い声で、興味本位で聞いたのではないのだと、他人事のように理解した。

 日向は視線を外した私にただでさえ緩めていた足を止め、そうっと両手で私の頬を包んだ。今度は視線が絡む間もなく影が落ちて、思わず目を瞑ると同時、目尻にゆっくりとキスが落とされる感覚があった。もう幾度となく受けたそれは、触れた時と同じぐらい時間をかけて離れる。そして前髪を緩くかきあげられた後、また一つ額にも落とされた。

 静かにされたそれらは、硝子細工か何かを扱うように丁寧でひどく優しかった。あやすように頬を撫ぜる指にこもる、空達のものとは別の、変わらぬ保証のない好意が、恐ろしくも心地良い。胸でちりちりと音を立てる恐怖は見ないふりをするには大きすぎるけれど、それを理由に拒みはしない。

 体から無意識に入っていたらしい力を抜いて、頬に添えられた日向の手に自分の手を重ねる。ただそれだけで日向は瞳に宿っていた不安や心配を消して純粋な好意で満たした。


「絶対になってなかったよ」


 甘えるようでいて甘やかすようでもある、不思議な声音。よく低いと言われる私の声より一段と低いそれは、私にさえ聞こえればいいとでも言いたげに掠れていた。

 彼の言葉を信じるに足る根拠というものは、これといってない。

 だが、こういう時の日向の声は、何故か安心する。

 日向とこの奇妙な関係を築いてから、新しく知ったことがある。

 例えば日向は思ったよりも“可愛い子”というものに拘っていない。可愛い子がいれば一度目を向けることもあるけど、それはどこまでも“目を引く存在”、“興味深い”ですらない。恋情は勿論、ただ好きというのも違和感がある、と言っていた。私はそれを、一昔前のゲーム機を見る感覚に似たようなものかと勝手に推測を立てている。あの、見つければ感嘆はするが、それで遊びたいとはまた違う感じ。

 それからかなり前のことだが、四月に日向と葵が脅迫目的で会いに来て、自己紹介をした時。あの時に日向がまるで自分を知っていて当然かのように言ったのは、別に自分が有名だからとかではなく単純に過去に同じクラスになったことがあるから。同じだったことをよく覚えてたねと言えば、呆れた顔をされた。そして何か色々な言葉を押し込んだのであろう、大きな溜め息を吐かれた。

 まだまだある。日向は手だけじゃなくて体温自体が高くて、抱きしめられた時に暖かい。日向は人よりも鼻が良くて、私がチカに貰ったアロマとかを使うとすぐに気付く。日向は駆け引きをしなくて、いつも真っ直ぐに好意を向けてくれる。


 それから、日向は私を安心させるのが上手だ。



「綾ちゃん、大好きだよ」



 何の捻りも根拠もない言葉は日向の声と共に私の中へと容易く入り込む。

 明確な利があるでもないのに、私はそこに、微睡みにも似た安堵を覚えた。

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