3話
その時である。
「せーいー!」
大声と共に、夜明の体が沈んだ。上から長身に飛びつかれたというか、沈められたというか。
夜明に乗ったのは、かなりの長身に肌の焼けた黒い男子だった。ブレザーを着ているために学生だと分かるが、でか過ぎて成人男性でも通りそうな雰囲気である。
そして夜明は驚くこともなく、そのままの態勢で声を出した。
「おはよう、大輝」
「おはよー!って、お?」
大輝、という名前からして中平大輝なのだろう。確かに大きいと圧倒されていると、中平大輝が直也に気付いた。
「あれ、えーと……編入生の?」
「ああ。橘直也だ」
「おう!中平大輝だぜ!何で誠と一緒にいたんだ?」
「通学路がさ、同じだったんだよ」
「まじか!いいなぁ!」
悔しがる中平を無視して、夜明は中平を引きずるように歩く。慣れているようで、そのまま直也に話を振ってきた。
「さっきの話の続きだけど、とりあえず先輩に声かけてみるね。その後はまた連絡する」
「ありがとう」
「こちらこそ」
教室に入って席に付くために別れると、見ていた生徒達からの視線がさらに痛くなった。前の席の生徒が話しかけてくる。
「夜明と一緒に来たの?」
「ああ。道の途中で会った」
「ってことは、線路向こうに住んでるんだ。地元?」
「いや、一人暮らしだ」
「一人暮らしって……治安悪いところあるから気をつけないと」
「そうなのか?」
今日は朝から三人も話すことができた。進歩である。
そう噛み締めていると、ガラリと教室の扉が開き、担任が顔を出した。
「橘はいるか?」
ご指名に立ち上がると、来いと担任は背を向けた。
直也は社会科準備室に来ていた。担任……空野先生が管理者らしく、職員室よりこちらにいることの方が多いという。
座れとソファーに座らされた直也に、担任はファイルを捲りながら話し出した。
「一人暮らしについては、親御さんに同意は得ているのか?」
「…はい」
「そうか。なら……アパートを変えることは無理だろうか?」
「はい?」
聞き返すと、担任は町の地図を取り出した。
「この町のな、お前がアパートを借りた近くの墓地の周辺はかなり治安が悪い。中学の時の成績も武道についても知っているが、万が一があるかもしれない。だから、墓地周辺で一人暮らしをする学生には別のアパートを紹介するようにしているんだ」
夜明は席につき、息をついた。
三日目ということでやや神経が磨り減っていただけに、直也に一緒に歩いてもらえたのはとてもありがたかった。
大輝が誠、と声をかけてくる。
「昨日より元気だな」
「うん。やっぱり人とお話するのって、気持ちが楽になるよね」
「俺ともお話しよーぜ!」
騒ぐ大輝に苦笑していると、扉が開いた。直也が帰ってきたのかとそちらを見るが、違う顔だ。そして知っている顔だ。
「よっす!」
「上条はいないんだ?」
「まーな。真ちゃんは風紀でお話し中」
目の前の男子は小宮和成。会話に出た「上条」もしくは「真ちゃん」は上条真太郎。この二人はよく一緒につるんでいる。
珍しく一人でいる小宮は、ちょいと夜明の耳に口を寄せた。
「おばあ様がよ、お前だけに伝えてくれって伝言」
「……またあの方は。俺を買い被りすぎだよ」
小宮の言う「おばあ様」は、小宮家の当主だの生きる伝説だのと呼ばれている女性である。とにかく目が良いとされ、時々未来や別の場所すら見えてしまっているのだ。
そんな棺桶に片足突っ込んでいそうな御大だが、彼女の伝言に意味がなかったことがない。
そういうわけで、と小宮が片眉を上げた。
「『タマグラ持ちを探せ』だってさ」
「タマグラって何?」
「さあ。俺もわかんね」
肩を竦めた小宮はそれじゃーな、と教室を出て行った。
「何だったんだ?あいつ」
大輝が首を傾げるなか、彰は携帯を取り出した。部長に連絡するためである。
直也が借りたアパートの周辺は超危険地帯であり、色々と危険らしい。道理で激安物件だったわけだ、と納得しつつも直也は渋っていた。
「……危険地帯というのは理解できましたが、賃貸借契約を結んだばかりですし……それに安いのです」
「うちの学校なら学費も安いし、別の物件に乗り換えても他の学校よりまだ安いと思うが」
担任も渋い顔である。危険だから、という気持ちはありがたいのだろう。ただしどうしようもないのだから諦めてもらうしかない。
そうやって問答を繰り返していると、準備室の扉がノックされた。
入ってきたのは夜明だ。
「先生、俺の家で暮らしてもらうっていうのは?」
「は!?」
仰天した直也をよそに、担任は真面目な顔で検討を始めてしまった。
「名案だな。夜明はいいのか?」
「はい。多分屋敷にも入れるでしょうし」
「なら頼んだ」
「はーい。それじゃ、お話はこれで終わりです?橘君に用事があるんです」
「構わん」
夜明に行こうか、と手を引かれた。柔らかい手である。
「…………良かったのか?」
「まあね。家も基本一人だからさ、……ぶっちゃけると、家に白い液体のついた俺の写真が送り付けられたりすると、まぁ一人でいるのって怖くなるよね」
「分かった居候になるがよろしく頼む」
割と状況は悪かった。