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前編

メールの着信を知らせる携帯の振動で、一歌は夢の世界から引き戻された。


上下仲良しな瞼をこじ開ければ、時刻は午後2時40分。

昨日は朝日が昇る直前まで『金糸雀(カナリヤ)』で遊んだことを考えれば、それでも睡眠時間が足りないくらいだ。

絵に描いたような怠惰な目覚めである。


携帯の画面を操作し、発信者を確認した一歌はこみ上げる笑いを抑えることができなかった。


「ふ、ふふ、ふふふふ」

「…一歌、なに」


ベットに転がる一歌の横で、上体をヘッドボードに預けながらパソコンを操作している雪晴が手を止め問いかける。


「ごめーん、お仕事の邪魔して。智ちゃんからメールが来てたもんだから」

「…とも?」

「かな君の部下だよー」


言い終わるやいなや、視界は反転。


一歌の体は、パソコンを適当に投げうった雪晴の体の上に引っ張りあげられた。


ぎらぎらと不機嫌な半眼と笑みをたたえる猫の目が、息がかかる距離で見つめ合う。


「あのクソもやしのところに行くつもりか」

「そんな言い方しないのー。かな君気にしてるんだから」

「あんな捻くれた軟弱野郎、放っておけ。詩哉さんが戻ってくるまでここに居ればいい」


困ったことに、一歌の兄を崇拝する困ったちゃんたちの仲は良好とは言えないのだ。


甘えるように一歌の首筋に鼻を寄せた雪晴の唇が、音を立てて吸い付いてくる。


「あ、こら。跡着けたでしょう」

「うるさい。もっとさせろ」


再び近づく熱を感じ、一歌は逆に雪晴の首元に抱き着いた。


女にはない喉の膨らみをひと舐めし、軽く歯を当てる。




「だーめ。私の好きにできないゆー君のところには、もう来たくなくなっちゃうよ」



「……」



むっつりと黙り込んだ雪晴の頭を、宥めるように軽く撫で。


「ね、寂しいでしょ?私もかな君に会えないのは寂しいんだー。だから、ね。許してね?」


額を合わせてお願いすれば、重い溜息。


「---わかった。そのかわり」




俺を満足させてからにしろ。




一歌の唇に不機嫌な獣が噛みついた。




*************





智ちゃんこと智和から届いたメールは至極簡単な一文である。


『来たければ、来ればいい』


どこのツンデレか。


この文をどんな顔をして打ち込み、一歌に送ってきたのか想像するだけで一歌の笑いは止まらない。


そして、現実が想像通りであったので一歌は吹き出した。


「あっはははは!や、やめて、あははは!智ちゃん、その顔反則だから!あはははは!」

「…目ん玉潰してやろうか…」


苦虫を数千匹一気に噛み潰したような渋面。

シルバーフレームの眼鏡の奥の瞳が物騒な光を放つ。


智和の一歌嫌いは有名である。


もちろん一歌もそれは承知している。が、それは一歌が智和を好きにならない理由にはならない。


「ごめん、そんなに怒らないで」

「…口を閉じてろ。一生開くな。なんなら呼吸するな」

「それは無理だよ。…ふひっ」

「…」


またもや襲ってきた笑いの発作だが、智和の指が破壊活動をしたそうに蠢いたので、一歌は慌てて口に蓋をした。


「あらら、智ちゃん唇噛み締めちゃだめだってば。血が出ちゃうよ」

「触るな売女が」

「心外だなぁ、もう!そんなこと言われたら、普通泣いちゃうからね?」

「あんたの心臓には剛毛生えてるだろうが」


こんな有様の智和が、プライドをギリギリ保ちつつ「来て欲しい」と送ってきたからには、困ったちゃんが相当やらかしているということだ。


困ったちゃんが社長を務めるのは、詩哉の会社の子会社通称『情報屋』である。

本社からグループ会社まで、情報システム系業務を一手に引き受けている。


智和と一歌は最上階に向かうためのエレベーターへと乗り込んだ。


 「はいはい。智ちゃんの要請により、心臓に剛毛生えた売女が来ましたよーっと。って、心臓に剛毛生えた売女って何ソレ最悪じゃない?」

 「だから最初からそう言ってるだろうが」

 「こわ!唇切れて血垂れてるよ!?」


噛み締めた唇から一筋血を垂らしながら睨み付けてくる有様は、細面と相まって鬼女のそれである。


嫌がる智和と、ティッシュで唇を拭おうとする一歌が格闘していると、ポーンという軽い音と共に鉄扉が開かれた。


狭い一直線に伸びる廊下の先にあるそこが、困ったちゃんの仕事場兼自宅だ。


 「それで?今回は何をしでかしちゃったの、かな君」

 「…セキュリティシステムを完璧に作り直し誰にもいじれないようにして、部屋からでてこない」

 「…わー」


全社のセキュリティを任されている情報屋』の中でも、困ったちゃんは情報セキュリティを殆ど一人でプログラミングしたと言っていい。


完璧なセキュリティシステム。


聞こえはいいが、終宵町という場を考えればそれは最悪の出来になる。


何故ならば、終宵町における会社同士の情報の盗みあいは当然(・・)であるからだ。


何処まで盗むか、盗ませるか。隠すのか明かすのか。ダミーを仕込むのか。


それら情報戦をこなすのを含めて情報セキュリティであり、『情報屋』の所以だ。


腹の探り合いを常としていたというのに、突然鉄壁を築いて雲隠れしたとなると、痛くもない腹を壮絶に探られる。


現在詩哉の会社は終宵町の情勢から背を向け引きこもったことになっている。

プログラム主と同様。


「お兄ちゃんが知ったら流石に怒っちゃうぞー、これ。智ちゃん、どうにかならなかったの?」

「あの人のプログラムを解除しようとして屍となった奴らに言ってこい」

「ゴメンナサイ」


世界でも上位に入るプログラミング術を持つ困ったちゃんのプログラムを解こうとして、不眠不休で挑み散っていった社員の姿が簡単に想像でき、一歌は即座に謝罪した。



「----もう。かな君、聞こえてるんでしょ?」



上等な木製の扉の上部、そこには言われなければわからない隠しカメラがある。勿論集音機能つきだ。


返事はないそこに、一歌は説教することにした。

困ったちゃんはこちらを見ている。多分。


「いくらお兄ちゃんが長期でいなくなって寂しいからって、悪戯しちゃダメでしょう!」


「あの智ちゃんが、私にヘルプメール送ってきたんだよ?ツンデレ風味の!それだけでも、どれだけ大事になってるかわかるでしょう?!」

「黙らすぞ」


「こんなに心配してるんだよ!お願い、開けて?」


可愛らしく小首を傾げるサービスまでしたが、一向に扉は沈黙したままである。


一歌の背後で鼻で笑う気配がした。


「もぉ!お兄ちゃんに怒られても助けてあげないからね!?」



ガッシャンガタゴロゴロゴロ



何か落として転がる音がしたが、その後音沙汰もない。


一歌は扉に額を預け、囁くように言った。




「ねぇ、せめてお話しようよ。折角会いに来たのに、顔も見れないなんて、…寂しいよ」




沈黙が少し、一歌の携帯が着信音を響かせた。

発信者は目の前の扉の向こうの困ったちゃん。


そんなに顔を合わせたくないか。



「もしもし、かな君?」

『今時の女子高生というものに、勉学以外に勤しむものがあるとは露とも知らなかった』

「様子見に来るのが遅れてごめんね。怒ってるの?」

『時々見かける野良猫を暫く見かけなかっただけで立腹するような人間がいるか?』

「えっと、いないね。自意識過剰だった」

『ましてや、その猫が他家で飼われていたからといって』

「…そ、そうだよね。気にしないよね」



なんでさっさと来なかった、雪晴のところに行ってるとはどういう了見だコラ。



かな君--犬飼奏多は本日も通常運転で、尚且つ一歌がいの一番に雪晴のもとに向かったことに大変ご立腹である。


奏多の曲がりくねった臍を正すのは根気と忍耐とあとは愛が必要である。



「かな君あのね、『金糸雀』で一杯遊びすぎちゃったみたいで、私疲れちゃった。どこかゆっくり出来るところに2人で行かない?」

『…』

「あ、それとも映画観に行く?かな君が好きなシリーズの最新作出てたよね?」

『…』

「お家でゆっくりした方がいいかな?2人でご飯作ったり、ゲームしたりして遊ぶ?」

『……君がどうしても俺とそうしたいって言うなら、仕方がないから付き合ってあげてもいいけど?』



一歌の頭の中で、高飛車なペルシャ猫があらぬ方向を見ながら尾を振った。


懐に入ればこっちのもの、あとはひたすら愛を込めてでろっでろに甘やかせば機嫌も治るはず。



よし、あとはこの調子でセキュリティシステムの話に----。




「あぁ!?」



密かに拳を握った一歌の背後でドスの効いた声があがった。


振り向けば、智和が携帯片手に鬼女を通り越して般若になっている。



「どうしたの、智ちゃん」


「…今、一階に客が来てる。



門倉の倅だ。」



「うわぁ…」




関東に拠点を置く裏世界の最大勢力。


終宵町でも幅を利かす、門倉組のお越しである。


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