#2 出会い
「―――ッ!?」
次に渚が目を覚ましたのは、自分の部屋のベッドの上だった。
「あれ…? 私…あの時……」
真奈と話している時の記憶が曖昧になっている。
いつもの場所に行ってから、私は何をした?
思い出そうとすると、ひどい頭痛がする。まるで、思い出してはいけないとでも言うかのように。
頭を押さえながら、渚はベッドから出て、リビングへと向かった。
「……え…?」
異変に気がついたのは、リビングのドアを開けた時だった。
時計の針は午後7時を指している。毎日必ず母親が夕飯を作っている時間のはずだ。
「母…さん……?」
しかし、リビングにも、それに続くキッチンにも、母親の姿は無い。
「母さん! 父さん! 信二! みんな、どこにいるの!?」
両親の寝室、弟の部屋、洗面所、お風呂、トイレ、物置。
どこに行っても誰もいない。気配すら感じなかった。
「そんな…何で……ッ?!」
茫然と立ち尽くす渚だったが、突然聞こえた轟音と激しい揺れに、とっさに身を隠す。
しばらくして揺れは収まったが、渚はパニックを起こしそうな頭を抱え、机の下で小さく震えることしかできなかった。
「何なのよ…何で、こんな……」
考えても答えが出てくる訳がないと知りながら、考えることをやめられない。
――なっちゃんはさ、パラレルワールドって、信じる?
そんな渚の頭に蘇ってきた言葉があった。それは、ぼんやりとした記憶の中で、はっきりと響いてきた言葉だ。
「パラレル…ワールド……」
渚はあの場所に向かおうと、家を飛び出す。
しかし、家のドアを開けた渚を待っていたのは、信じられない光景だった。
「何…これ……」
渚の目の前に広がる世界は、蒼。
時間はもう夜。いくら日が長くなったからと言っても、もう太陽は沈んでいるはずの時間。
にも関わらず、見たこともない蒼く輝く月によって、外は明るく照らされていた。
「はぁっ…はぁっ………なん…で…」
家を飛び出し、渚は秘密の場所へと走った。
あそこに行けば何かが分かる。
そんな漠然とした考えに縋り、震える足を前へ前へと動かす。
帰り道に真奈と二人でよく寄った、陽気なマスターがいつもコーヒーをサービスしてくれた喫茶店。高校の野球部が部活帰りにこっそりと空腹を満たしていたラーメン屋。隣のおばさんがよくおじさんに値切りを迫っていた八百屋。
普段なら大勢の人で賑わっているはずの商店街。
なのに、今の商店街には、誰も、いない。
ここにいるのは、渚たった一人だった。
「やだ…こんなのやだよ……」
商店街を抜け、学校の前の坂を通り過ぎ、森へ。
あの場所へ行けば――
そんな微かな希望を胸にひたすら走る渚だったが、たどり着いた場所で彼女を待っていたのは、信じられない風景。
「嘘…だよね………」
森の中をどれだけ探しても、あの場所が見つからない。
真奈と初めて出会った場所も、毎日寝ころんだ芝生も、どこにも無かった。
やっぱり、違う世界なんだ―――渚はふとそう感じた。
あるはずの物が存在しない世界。似ているようで、決定的に違う世界。
それに気づいた時、渚の体からふっと力が抜けた。
その場にしゃがみ込み、確かめるようにもう一度呟く。
「パラレル、ワールド…」
今自分が置かれている状況と、真奈の言葉の意味。
ぼんやりした頭で膝を抱えると、自然と涙がこぼれた。
「何で…こんな事になっちゃったのよ……誰か…助けて………」
そんな渚の呟きは、再び聞こえた轟音に飲み込まれる。
再び起こるのはさっきよりも強い揺れ。
渚の周囲の木々が、あまりの揺れに耐えられず次々に倒れていく。
そしてその中の一本が、まっすぐ渚に向かってきて――
『こんな所にいたのね。探したわよ、マスター』
音も無く、渚に迫っていた木が止まる。
いや、それだけではない。
さっきまでの揺れも、倒れようとしていた周辺の木も、全て止まっていた。
『全く、突然この世界に反応が転移してきたと思ったのもつかの間、いきなり動き出さないでよね。この世界は、今までマスターがいた世界ほど安全じゃないんだから』
突然頭上から響いたその声に、渚は小さく顔を上げる。
そして、目の前に広がる光景に、目を見開いた。
「あ、あなたは…何……?」
大きな手で渚を包み込んでいたのは、全長10メートルはあるのではないかという鋼鉄の巨人だった。
渚の頭に真っ先に思い浮かんだのは、弟がよく見ていたアニメに出てくる主人公が操るロボット。
そのアニメではカラフルだった全身は美しく真白に輝き、体長を超えるのではないかと錯覚させるほど大きな三対六枚の羽を広げたその姿は、まさに天使のようだった。
『私はナギ。とりあえず今は、あなたのパートナーってことにしといて』
「ナギ…?」
あまりの出来事に唖然としている渚の耳に、どこかで聞いたような機械音声が響く。
どうやら目の前のロボットが発した音声らしい、と理解する前に、渚の体はひょいと持ち上げられ、胸に開いたハッチのような所に放り込まれた。
『ほら、いつまでもボケッとしてないでこっち来て。次がくる』
「え? えぇッ!?」
無造作な動作の割にどこにも体をぶつけること無くシートに落ち着けたのは、『ナギ』と名乗ったロボットの気遣いだろうか。
訳も分からずあたふたする渚の頭上でハッチが閉じると同時に、周囲がパッと明るくなった。
渚がいたのは、全周囲モニターで囲まれた空間。そこにあるのは、不思議なレバーやボタンがたくさんついているシートとその足元にあるペダル。ずっとパソコンのスタート画面のように、不思議な文字が下から上へと流れている正面に設置されたパネルだけ。
まるで、宙に浮かんだ椅子に座っているような不思議な感覚に体を強張らせる渚の目の前で、最後の文字を見送ったパネルが真ん中から左右に割れ、奥から小さな球体がせり上がってきた。
緑色に点滅しているその球体の表面には、中央に少し大きな黄色い点があり、その周辺で小さな赤い点が所々動いている。
無意識にその赤い点の動きを目で追っていた渚の元に、先ほど聞こえた物と同じ音声が飛び込んできた。
『メインシステム、サブシステム共にオールグリーン。じゃあ、行くわよ』
「ち、ちょっと待っ―――」
その声にふと我に返り、慌てて口を開こうとするも、もう遅い。
周りの景色が高速で後ろに移動すると同時に、前方からの急激な圧力が渚を襲う。
その圧力に息を詰まらせながら、渚はとっさにシート横にあるレバーを握り締めた。
が、その程度で自身の体を支えられる訳も無く、渚はシートの上を二度三度と跳ねる。
そんな渚の耳に、再び声が聞こえてきた。
『ちょっと、何やってんのよ! ちゃんと座ってて!!』
「そんな事言ったって…」
『全くどんくさいんだから! ……って、あら?』
そこで何かに気づいたように声が止まる。
目に涙を溜めて必死にシートにしがみついてギュッと目を閉じていた渚の体が、そこで急に軽くなった。
「………?」
恐る恐る目を開けてみると、先ほど現れた球体の上で、小さな女の子が罰の悪そうな顔で苦笑していた。
『ゴメンゴメン、擬似重力を働かせるの忘れてた』
今も周りの景色の流れは変わっていないが、先ほどまでの圧力は消え、渚はゆっくりとシートに戻ることができた。
ふと見ると、右の方のパネルが忙しく動いているので、恐らくこれで何かをしたのだろう。
正面に視線を戻すと、先ほどから現れた小さな女の子と目が合う。
全身が半透明で球体の上をふわふわ浮いている辺り、3D映像か何かなのだろう。
見慣れない青い髪。腰まで伸びる長いツインテールは、どこか幼さを感じさせる顔立ちによく似合っている。
服装は一般的なブレザーの制服を少し崩した感じ。だが、こちらも青を基調とした配色で、今まで見たことの無い物だ。
指で突っついてみるも、もちろん感触はない。
目まぐるしく変わる状況に言葉を失っている渚に彼女は笑顔を向け、言った。
『改めまして、こっちの世界にようこそ。歓迎するわ、マスター』