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ソルビエント物語 〜空飛ぶ猫喫茶〜

作者: 耀雪メイカ

ーー見渡す限りの澄み渡った早朝の青空。

遥かなる雲海を下に眺め、私達の乗る飛行船は今日も大空をゆく。

かつて太古の秘術で天空へと浮かんだ、無数の浮遊大陸の間を繋ぐ定期便。

……それが私達の家であると同時に仕事場でもある当船・ソルビエントの役目。


航路は順調で、浮遊大陸に聳える飛行船係留港を出立してから迎える二日目の朝。

窓から見える極上の眺めを堪能しつつ、魔法で窓硝子を部分的に鏡に変えて身嗜みをチェック。

まずはリップのノリ具合を確かめる。

黒い双眸で鏡越しに丹念に唇を確認し、完了したら肌の具合をざっと確認。


小麦色の肌には荒れ無し、一安心すると次は髪のチェック。

私の跳ねっ毛の強い黒のワイルドロングヘアを優しく撫で付け、制服のリボンを結い直す。


その度にサンセットオレンジの明るいスカートが揺れて、シトラスの香水が爽やかに匂った。

明るい橙の色合いは私のパーソナルカラー、そしてお気に入りのデザインの可愛い制服は今日もいい感じ。

それに満足した私は、個室のドアを意気揚々と開けてソルビエント名物の猫喫茶へと躍り出た。


するとテーブルで待ち侘びていたのは、私のペットの雄猫・もこ。

白と雉柄のノルウェージャンフォレストキャットで、立派な毛並みにふわふわとした身体が自慢。

私の姿を見るなり、挨拶代わりの鳴き声を上げた。

そして長くフサフサな尻尾を自慢気に振りながら、大きく伸びをする。


「おはようもこ、今日も張り切っていこう!」

私は笑顔でそう語りかけると、もこは寝転がり構って欲しいというアピールをした。

やんちゃで我儘で構ってちゃんで甘えん坊……そんな性格の猫だから。


私はしょうがないなぁと呟きながら、もこのお腹を優しく撫でてあげる。

するとふわふわな手足を大きく伸ばして、もこは極楽気分と言った感じの表情を浮かべた。

こうしてお腹を撫でられるのが堪らなく好きなのだろう。


もことじゃれていると、ドアベルの音と共に静かに入って来る人影。

それはお客様ではなくて、航空士であり船長たる相棒・イルマ。

フォーマルドレス状の紺色の立派な航空制服に身を包み、その優雅な佇まいは何処か浮世離れしている。


白い肌にエルフの長耳、波打つウェーブのロングヘアは金色の輝きを湛えてその瞳は見惚れる程の碧色。

見る者全ての心を奪う端正な顔立ちと美貌は、クルーというよりはまるで高貴なるお姫様のよう。


一見すると私と同じ十五才位に見えるけれど、私も彼女も共に悠久種と呼ばれるタイプで若い姿のまま極めて長い時を生きる事が可能な希少種族。

だから実際はその十倍以上もの時を生きている。


見た目こそ少女なれど、私達は共に大がつく程のベテラン。

この船の安定運行は彼女に任せておけば大丈夫。

そんな頼れる彼女に私は挨拶を交わす。


「おはようイルマ、結晶石の火力足りてる?」

「ええ、いい感じよハルカ。航路は順調そのもの……けれど気を抜かない為に目覚めの一杯を、ね」

私の声に彼女はそう笑顔で答え、何時もの仕草……ウィンクでコーヒーを催促した。


「何時ものね、任せて」

そう言いながら、いつものように慣れた手付きで私は棚からコーヒーサイフォンと挽き下ろしたコーヒー豆を取り出す。


そしてフラスコにお湯を入れて、私は魔術アートが施された付け爪擁する五指で中空に軽く念じながら陣を描く。

すると空中に赤く輝く陣より火の玉が生じて、フラスコのお湯をより沸かせるべく熱し始めた。

これはこの世界に広く遍く存在する『魔法』の力。


私は生来火魔法を誰よりも得意としていて、この飛行船の浮力も推力も私の魔法を蓄えた結晶石で全てを担っている。

一方イルマは風のエキスパートで、風魔法による巧みな操舵や大気の流れを見切って飛ぶ事は彼女なしでは叶わない。

私達はずっとペアでこのソルビエントを動かして来た、気心知れた無二の親友。


イルマが操舵席を外した今も彼女の使役する精霊の力で操舵コントロールされており、心配は要らない。

魔法の力の恩恵は多大で、この飛行船の運行は私と彼女の各種魔法によりほぼ自動化されており運行要員は私達二人だけ。


けれど勿論魔法を駆使するのは人であって、全くの無人運用は出来ないし気を抜けない。

だからこそ彼女は目覚ましのコーヒーを求める。


大手に大きく劣る客収容五十人規模の飛行客船ソルビエント。

けれどそれを私達二人だけで長年に渡り動かし続けて来たというのは、イルマと私とで分かち合う確かな誇り。

何故ならたった二人だけで飛行船を運用するのは、如何に世界広しといえど私達だけなのだから。


「良しっ、いい頃合いかな」

魔法で沸騰したお湯を見て、私はロートに濾過紙をセットし豆を投入する。

それをフラスコにセットし、蒸気圧で上へと遡流する湯と豆が混ざるのを助けるようにヘラを使って撹拌。

すると熱湯と太陽の恵みで育った香ばしい豆が反応して、一段と芳醇な香りが辺りに漂う。


早朝にゆっくりと流れる贅沢な時間を満喫しながら、私は湯と豆を掻き混ぜ続けた。

彼女に美味しいコーヒーを淹れてあげる為に。


「とてもいい匂い……」

そんな上品な香りに惹かれて、イルマは思わず呟く。

お茶にコーヒーが大好きで通な彼女を唸らせる事が出来て、私の心中にも思わず嬉しさが込み上げて来る。


「うん、コーヒー名産地のクレメンティの高級品だし。何時ものときっと一味違うよ」

両瞼を閉じて、香りに浸る彼女に私は優しくそう告げた。

これは仕入れたてほやほやの高級豆、特に今日のは長年茶葉やコーヒー豆に向き合って来た私さえも魅了する極上の香り。

出発前の市場でのチョイスは正解だったと、内心自画自賛する。


やがて湯と混ざり合ったコーヒーは再び濾過紙を通り、フラスコへ。

後は暫く待つだけ。


一息ついた私は、店であり私達の家でもあるこの空間を見渡した。

大きく開けた硝子越しに見える朝日が眩しく店内を照らし、もこは再び丸くなり眠りの態勢。

満足感と共に私は大胆な方針転換で作り変えたこの飛行船を回顧する。


この世界……浮遊大陸間を結ぶ飛行船便は大手零細を問わず多数存在し、熾烈な生存競争を繰り広げていた。

一回の航路で数日かかる事もあるだけに、ただ積み荷や旅客人数だけを追い求めていては知名度でも料金面でも到底大手に敵わない。

だからこそ重要になってくるのが付加価値。


大手の提供する格安プランは、荷物も客室も手狭で余裕が無い。

浮遊大陸の更なる開拓に沸き立つ冒険者達、特に女性冒険者からは大きな不満が上がっていた。

折角の船旅なのに、景色を楽しむ所か窮屈な思いばかりすると。


そんな大手が見逃す需要の雫を私達零細が巧みに掬い上げるにはどうするか。

その問に乙女心ある私達が導き出した答えは、『猫喫茶』だった。


敢えて積載効率を無視してでも空間を広く大きく取り、女性用個室を設け豪華バスタブにシャワーも完備。

メイク用に鏡台も良い物を取り揃え、更に喫茶空間には可愛い猫達が待つ。


シャム猫、三毛猫、雉猫、白猫、黒猫と選り取り緑な猫達の待つ喫茶空間は心からくつろげると大好評。

私達が打ち出した価格よりも付加価値に重きを置いた方針は見事に当たり、女性客からの熱い支持と固定客を掴む事に成功し客単価も大きく向上。


既に女二人だけで運用していたという事でかなりの知名度があった私達は、女心の解る女性冒険者達の旅の味方として重宝された。

これも零細な飛行船業が手堅く生き残る術、あの時の私達の決断は正しかったのだと改めて実感する。


そう思い巡っていると、いつの間にかフラスコには出来たてのコーヒーが溜まっていた。

私はそれを取り出しイルマ愛用のお洒落なコーヒーカップへと注ぐ。


「出来上がりっ、熱い内にね」

「ええ、有難うハルカ」

私が注いだカップを受け取ると、彼女はそう笑顔で返してカップに一口。

すると至福の表情を浮かべながら、イルマは頬に手を当てた。

美味しいものを堪能する時の彼女の癖。

カップの縁に残るはイルマの瑞々しい口紅、それが艶めかしく光る。


「本当に素晴らしい豆ね、惚れ惚れするわ」

上機嫌なイルマは、そう言うと二口目をカップにつけた。

彼女はすっかりこの味の虜になったよう。

うっとりしながらコーヒーを上品に飲んでいく。


「また欲しくなったら言ってね、すぐ作るから。そうそう、軽い朝食を……っと」

そんな彼女に私はそう言うと、棚からクロワッサンを取り出して朝食を勧めた。

イルマはそれを受け取り、私達は一緒に朝食のパンを仲良く食べ出す。

早起きして堪能する緩やかな朝のひと時……幸せを感じる瞬間。

優しく流れる時間帯を彩る朝日の眩しさが、いい一日の始まりを予感させる。


ふと気がつけば、もうそろそろお客様が起きて来店される頃合い。

手早く食べ終えた私はてきぱきと食器を取り出して開店準備に取り掛かる。

この飛行船・ソルビエント特有のサービスを提供する為に。


「さぁさぁ皆起きて〜、開店の時間だよ!」

私はクッションで寝転がる猫達にそう声を掛けて行く。

その声に反応して猫達は耳を揺らし、大きく欠伸をして起き上がり伸びをする。

ちゃんと言う事聞いてくれるお利口な猫達のふとした仕草に、思わず私は癒やされてしまった。


ふと気がつくと、鳴き声を上げる事無く黒いふわふわとした猫が足元に寄り添うようにして佇む。

この子の名はムイムイ、黒いメインクーンの雌猫。

きっと朝御飯の催促なのだろう、兎のように短い尻尾をふりふりしながら円な瞳を真っ直ぐ私に向けている。


「ムイムイ、朝御飯だよ」

とても大人しい性格で、健気な猫であるムイムイ。

その無言の要求を察した私は、友達の氷雪魔法力が込められた魔導式保冷庫からミルクを取り出し皿に注いで差し出した。


次いで猫の餌用に保存していた肉の切り身を取り出し、新たな大皿に盛って出すと猫達が尻尾を立てながら一斉に殺到。

無数の猫達の鳴き声がハーモニーになって辺りに木霊した。

皆お腹が空いていたのか、貪るようにして無我夢中で肉を平らげていく。


「今日も猫達は食欲旺盛ね」

「ねー、でもそれは元気な証拠だよ」

その光景を微笑ましく見守りながら発したイルマの言葉、それに同調するようにして私は答える。

猫達が餌に夢中になっている間に、私はモップを取り出して手早く床掃除を開始。


手にするモップにも魔法の力が息衝いていて、ひと拭きであっという間に埃や汚れを落としていく。

これは市場で調達したマジックアイテムを制作する一流の付与術師の作。


集塵効果は抜群で、みるみる内に床がその輝きを取り戻した。

こうしてたった二人だけで飛行船を運用出来るのは、術師さん達や友達の力もまた大きく必要不可欠。

彼らの偉大な力に深く感謝の念を抱きつつ、私は看板を開いて店舗をオープン状態にした。


「さて……私は行かなくては。ハルカ、また後でね」

壁掛けの魔導時計で時刻を確認した彼女はそう言って席を立つ。

その仕草も凛々しく、仕事に向かう覚悟と使命感に満ち満ちていた。

そんな彼女の背中に改めて頼もしさを覚える。


「うん、お昼用意しとくから」

操舵室へ向かう彼女へと、私は手を振りながらそう伝えた。

何時も続けて来た何時もの日常のやりとり。

私も頑張らなくちゃと意を新たにして、キッチンのコンロに魔法で火を点していく。


これで準備完了、何時でもオーダーにも応えられる状態になった。

私は大きく伸びをして、ご飯を綺麗に平らげて毛づくろいする猫達と共に来客を待つ。


「お早うハルカ、今日も可愛いわね」

その声に振り向くと、そこには長身細身で妙齢の女性の姿。


ライトブラウンの髪を纏めてポニーテールにして、自信に満ちた瞳もまたブラウン色。

日焼けした肌はとても健康的で、勇ましくも美しい顔立ちは勇猛なる美女と言った雰囲気を醸し出す。


旅を楽しむ為か服装は可憐なハイビスカス柄のワンピースを来ていて、その纏う雰囲気とのギャップがまた見事の一言。

けれどいざ戦う時には軽装のレザーアーマーを身に纏い、長剣を駆使して戦うらしい。


彼女は魔法剣士のジェニファーさん、ソルビエントの常連客。

お洒落好きの旅好きで知られ、冒険者ギルド会報にもコラムを執筆する機会が多い世界にその名知られる有名人。

女性冒険者の言わばファッションリーダー的な存在である彼女に褒められ、私は思わず照れてしまった。


「お早うございますジェニファーさん、そう言われると照れちゃいます。今日もゆっくり猫達と遊んで下さいね」

照れ隠ししながら彼女にそう言って猫達を促すと、常連の彼女の足元に猫達は物怖じせずじゃれついて行く。


「勿論よ、景色と共にじっくり堪能させて貰うわ」

彼女はそう言って寄り添う猫の中からムイムイを優しく抱き抱え上げて、笑顔を浮かべた。

とても満足気な彼女の表情に、私の心も思わず癒やされてしまう。


「そうだ、朝食は何にしましょうか? 新作コーヒーも入ってますよ」

「じゃあサンドイッチ何時もの奴お願いね、折角だからコーヒーも頂こうかしら」

私のお勧めに、彼女は一切迷う事無くそう答えた。

これも今まで培って来た信頼関係があればこそ。


「かしこまりました、早速作りますね」

彼女の注文にいつものようにそう応えると、私は早速キッチンへ向かい保冷庫から材料を取り出して調理開始。

仕入れ立てのメニューに早速入ったオーダー、逸る気持ちとテンションを宥めて慎重を心掛ける。


パンを包丁で丁寧に切り揃え、野菜とハム・チーズを程よい大きさに切断。

切る度にまな板越しに伝わる野菜のシャキシャキとした手応えが心地良い。


切り終えたら手際よくサラダとハム・チーズをマーガリンを塗ったパンに挟み込んでいく。

これでサンドイッチは完了、次はコーヒー。


コンロで沸かしていたお湯をフラスコへ入れて、イルマに淹れてあげたようにして抽出。

名産地の香ばしい豆の匂いが気怠い空気を吹き飛ばし、食欲を掻き立てる。

キッチン最寄りのテーブルにムイムイを抱き抱えて待つ彼女も、この香りを満喫している様子。


お客様の上々な反応に確かな手応えを感じながら、無事コーヒーも完成。

出来たサンドイッチをバスケットに入れ出来たてコーヒーを洒落たデザインのカップに注ぎ、ジェニファーさんのテーブルへと運ぶ。


「お待ちどおさま、サンドイッチとコーヒーです」

「有難う、早速頂くわ」

私の声に彼女はそう爽やかに答えると、食事を察したムイムイは彼女の元から降りてお利口にその足元で佇む。

物静かながらとても謙虚で気が利く猫、振る舞いも上品で愛らしい。


その姿を笑顔で眺めながら彼女は早速サンドイッチを頬張り、コーヒーに手を伸ばす。

味を存分に堪能しつつ彼女は静かに口を開いた。


「今までにない薫りね、何処産の豆なの? とっても美味しいわ」

「流石ジェニファーさんです、仕入れたてのクレメンティ産コーヒー豆なんですよ。今日からメニューに追加したんです」

「ああ、道理で……。あそこは有名だものね、でも結構高かったでしょう?」

「ちょっと背伸びしちゃいました、けれど満足して頂けるならばそれが一番ですから」

彼女の問いに私は笑顔でそう答えた、喫茶店の主としての真心と共に。

その言葉につられるようにして彼女も優しい微笑みを浮かべた。


「とっても貴女らしいわ、だからこそ信頼出来る」

「嬉しいです、そう言って頂けるのが私達にとって一番の喜びですから」

私の言葉で伝わった気持ち、その返礼のように掛けられた暖かい言葉。

心と心が繋がった瞬間はやはりいつでも新鮮で心地良い。

やっぱりお客様の満足から来る笑顔を見られる事が、私にとっての至上の喜びなのだという事を再確認する。


「やっぱりハルカは冒険者よりも、ここの店長の方が性に合ってるのかな。その心掛けある限りきっと繁盛し続けるわ、私が保証する」

「有り難うございます、ここは私達の帰るべき家なので」

温かい彼女の言葉に、私は素直にそう答える。


そう……悠久種は生まれながらに魔法の扱いに長ける傾向があり、その中でも私とイルマは共に極めて突出した魔力を持つ。

元来であればこのクラスの飛行船の運用には数十人規模の腕利き魔導師を要するもの、けれど私達はたった二人で運用出来ている。

これだけ卓越した魔力は、魔法を極める冒険者としての資質も十二分に有るという事を意味していた。


だからこそ魔法使いとして冒険者になる道もあったし、未だに誘われる事もある。

しかしそれでも私達はこのソルビエントと共に在る事を選んだ。


この船は私達が幼少の頃に廃棄寸前の所で出会い、解体あわやと言った所で私達が力を合わせて魔力を発揮しまだまだ運用出来る事を証明した上で正規手続きに則って引き取った物。

以来改修に改修を重ねて大空を飛び続けて来た掛け替えのない相棒。


過剰に重ねた改修のお陰で私達がいなくてはもう動けない船だからこそ、それを放って冒険者になる事は考えられない。

確かに冒険者は一攫千金のロマン溢れる花型職業、けれどこの船には沢山の大切な思い出があるのだから。


「貴方達がこうして女性にも安心の航路を続けてくれるお陰で助かってるって声、結構私の友達からも上がってるのよ。大手はどこも窮屈で手狭じゃない?」

「そういう暖かい言葉があるからこそ頑張れます! 応援ある限り飛び続けますよ、私達」

忌憚の無い彼女の意見を受け止めながら、私はそう答えた。

女性冒険者達の熱い支持を受けて飛行船業を続けられる事実……ひいては誰かに必要とされて、自らもまた誰かの力を必要とする事。

人と世界の輪の中に、確かな居場所があるという事を何よりも有難く感じながら。


ジェニファーさんと会話を続けていると、次なるお客様の姿が見えた。

私はオーダーに備えて、キッチンのコンロで更にお湯を沸かす。

これからいよいよ多忙となる朝食の頃合、改めて気を引き締める。


私は視線を素早く巡らせてフロアを見渡す。

大きく開けたガラス窓からの日差しが木目豊かな床を照らし、一日の始まりを予感させる爽やかさが満ち溢れていた。


テーブルやソファのセッティングは昨夜の内に終えており完璧。

朝食終えた猫達もすっかり接客モードとなり、活発な動きを見せている。

憂いも心配も無い。


私は続々と入る朝食のオーダーに手際良く応え、調理を開始。

小刻みに切る野菜の音が小気味良く響き、沸騰したお湯の音がそれをかき消す。

切り終えた野菜をパンに詰めコーヒーを注ぎ、急ぎ注文の席へと持ち運ぶ。


すると既にお客様はもこと遊んでいてとても上機嫌。

待つ退屈さを愛嬌のある猫達が埋めてくれる、それもまた猫喫茶の大きなメリット。

オーダーを無事届けた瞬間、伝声管からイルマの聞き慣れた声が響く。


「乗客の皆様お早う御座います、本日も快晴……朝は午前八時を回りました。当ソルビエント号はヒューバー発、ベレシティ行きの航路を順調に進行中です」

イルマの可憐な声での定期アナウンス、この声を聞くとホッとする。

ふと視線を外へと向ければ、そこは蒼一面の世界。

思わずガラス越しに手を伸ばしてしまいたくなる衝動に駆られる程の、淀み無く透き通った空。


そんな果てしない空の彼方に、ぽつぽつと浮かぶ大陸の影が微かに見える。

大きさも形もバラバラ、けれど共通しているのはいずれも想像を絶する巨大さであるという事実。

浮遊大陸……本来であればそれは地上にあった物。

それが何故浮く事になってしまったのかは定かではない。


大陸事に多様な個性があり、巨大な山を擁するものや広大な湖を持つものもある。

行き来は不便だけれどその環境に人々は適応し、今や当たり前の物として受け入れていた。


そして浮遊大陸の間の大空を悠々と羽ばたくは、緑色の巨大なワイバーン達。

その巨体より伸びる長大な翼をはためかせながら編隊を組み、堂々と力強く飛んでいる。

彼らは大空の番人であり、同時に飛行船文化の栄華を間接的に支える者達。


飛行船では極端に速いスピードは出せず、空旅はどうしても長くなりがちな傾向がある。

浮遊大陸間は基本的に距離が離れてて、飛行船でも三日から場合によっては一週間を超える事も珍しくない。


けれどどんなにもどかしくとも、その時間を速度で短縮する事は不可能。

何故ならこの大空には太古から脈々と存在し続ける彼らワイバーンが存在するから。


かつて魔法力を純粋に推力へと変換する飛行機が開発された事もあったけれど、それは大空を闊歩するワイバーン達の目に止まってしまう。

彼らは自身よりも速く飛ぶ物を敵だと認識し、魔法のブレスで猛攻撃する習性がある。


その襲撃の格好の的となる為、飛行機の運用は事実上不可能。

倒そうにもワイバーンは数が多過ぎる上に、空中戦のノウハウも無い私達では彼らの駆除も非現実的。


ましてや彼らはこちらから手を出さない限り決して人を襲わない。

人と彼らの共存は既に成り立っている以上、敢えて手出しするのは野暮というもの。

転送魔法や空間跳躍魔法も存在しない為、どの道安全な空輸手段は飛行船だけ。


飛行船はワイバーン以下の速度でしか飛べないけれど、代わりに極めて高い安定性とワイバーンに絶対に襲撃されない安全性。

そして他の追随を許さない破格の運輸能力という余りに大きなメリットがあり、運送コストも安い。

だからこそ飛行船は今尚運送の主力となり欠かす事の出来ない存在となり、この大空を飛び交っている。


「注文お願いします〜、私ハンバーグステーキとエッグトーストをセットで」

「こちらも朝食にトースト四人分と、コーヒー四つお願いね」

「かしこまりました、少々お待ち下さいね」

若干ぼーっとした私を引き戻したのは、お客様からのオーダーの声。

うら若き少女冒険者達の声が、私の作る料理を求めている。

私は使命感に燃えながらキッチンへと急ぐ。

既に猫達とじゃれあうお客様の姿は、このフロアに多くなって来ていた。


いよいよラッシュの時間帯、私は本腰を入れて調理に没頭する。

お湯を沸かしつつ、複数のオーダーを並列処理するようにして同時進行。

野菜を切り、ベーコンやチーズを切りながらフライパンを熱して棚からパンを取り出す。

忙殺されるけれども充実した瞬間の到来、腕によりをかけて調理に取り掛かる。


オリーブオイルとガーリックに卵を取り出して、胡椒を準備。

揃ったら温まったフライパンに順次材料を投入していく。

薫るのは食材の放つたまらなく香ばしい匂い、美味の予感に小躍りしつつ手際良く手順を進行した。

後はオーダーに耐え得る手数の創出。


私は中空に陣を描き出し、手数を増やすべく赤い手の形をした火の精霊を複数召喚した。

この火の精霊は私の意のままに動き、足りない手数を補ってくれる極めて優秀な魔法。

私はフライパンを精霊に任せ次なる料理に取り掛かる。


この魔法あるお陰で、嵐のように殺到するオーダーにも対応可能。

集中力を高く維持したままに注文をテキパキと捌いていく。

完成したものは順次席へと配達、その度にまた新たなオーダーが舞い込んだ。


「クロワッサンに紅茶、デザートにチョコミントアイスを頂戴な」

「ピザトーストに揚げポテト、ミネラルウォーターを二つで」

「胡麻お握りに、梅紫蘇ジュースお願いっ」

「はい、かしこまりましたっ!」

私は飛んで来るオーダーに笑顔で応えて、キッチンへと飛び込み調理再開。

息吐く間も無く次の料理……その次の料理へと着手。


野菜を刻んでは出来た料理を運び、その時頂くオーダーをキッチンへと持ち帰る。

目まぐるしい程のフロアとキッチンの往復。

ミスが無いように心掛けながら、私はお客様の声に応え続けた。



嵐のようなひと時が過ぎ去り、落ち着いた頃には既に昼目前。

昼食の備えと、イルマの為に昼食を作らなくてはならない。

そう思い立ち私はキッチンで調理を開始する。


鍋に湯を注ぎ、パスタを投入。

そして野菜を見繕い、まな板に乗せていく。

手にした包丁でレタスを丁寧に切り揃え、用意したプチトマトとの赤と緑のコントラストがまな板を彩る。

お昼のメニューはサラダパスタ、きっと彼女も喜ぶだろう。


ぽつぽつと舞い込むドリンク系のオーダーに答えつつ、私は調理を続行。

昼の時間帯になり相次いで舞い込む昼食のオーダーに応えながら、工夫凝らしたパスタと添えるサラダを作り続ける。

並行してドレッシング作りも忘れない。


忙しいのはそれだけ私の腕を期待されての事、その期待に店主として応えぬ訳には行かないからこそ。

全身全霊を込め私は料理に没頭する。

やがて昼のアナウンスを終えて、昼下がりになった頃イルマがフロアに現れた。


私はお昼のオーダーをお客様に届けた後に、彼女に出来たサラダパスタを差し出す。


「お疲れ様、お昼はパスタだよ」

「有難うハルカ、頂くわ」

嵐のように多忙なオーダーを見事に捌き切り、やっと訪れた束の間の休息。

私は食べる前に猫達を呼んで、皿に盛った餌を与えた。


「はい、お昼だよ〜」

その声に引き寄せられるように猫達がやって来て、貪るように食べ始める。

朝に続き食欲旺盛、実に見事な食べっぷり。

もこもムイムイもすっかり夢中になっている。

猫達の様子を見て安心した私は、イルマに続いてパスタに手を付けた。


フォークで麺を絡め取り口へと運ぶと、さっぱりとした風味と食感が優しく舌を包み込む。

過度な刺激は無くそれでいてしっかりと主張する酢の効き具合が絶妙で、とても美味しい。

パスタの仕上がりは我ながら良い具合。


サラダに手を付けるとプチトマトとレタスの新鮮さが、口の中に広がり蕩けるように広がって行く。

私とイルマはのんびりと歓談しながらこの風味を堪能、フレッシュな野菜の良さを味わいながら話が弾む。


彼女が言うには、ソルビエントの航行状況は寸分の狂いも無く予定通り。

広域魔法通信網により、障害となり得る曇や乱気流は無くニアミスの恐れのある航路の飛行船も無い模様で至って順調。

天候も穏やかで遅れる恐れは一切無し。


このペースだと目的地であるベレシティにはあと二日で辿り着くらしい。

私は次なる街の市場に思いを馳せた。

まだ見ぬ新たな食材との出会いは、店主としてもとても楽しみなものだから。

そんな膨らむ期待に浸り切らぬよう、私は魔法を発動し手数を増やした。

食器洗いのペースを上げ、夕食ラッシュへの備える為に。


昼食を終えた私とイルマはそれぞれの場所でベストを尽くすべく別れた。

彼女は操舵室へ、私はこれから来るティータイムに備えるべく準備開始。

午後の昼下がりの優雅なひと時、甘味とお茶で可愛い猫達と共に静かに過ごしたい……そんな要望に答える為に。


「ハルカさん、プリンとシトラスティー下さい」

「私はヨーグルトとレモンティーで」

「かしこまりました、すぐお持ちしますね」

早速顔馴染みの常連さん達から立て続けに注文が入った。


オーダーした彼女は雉猫を膝に抱き抱え、もこもその足元に擦り寄りすっかり甘え切っている。

その様子を破顔しながらもう一人の魔法使いの少女が見つめていた。

二人は同じギルドで、共に頑張っている掛け替えのない仲間らしい。

そんな彼女達の姿は何処か私とイルマに重なって見えた。


彼女達の要望と期待に答えるべく、私は素早く保冷庫から注文の品を迅速に取り出して豪華に盛り付ける。

そして沸騰した湯からシトラスティーとレモンティーを作り、洒落たティーカップに入れオーダー完成。

冷めないように急いで手際良く運ぶ。


「お待ちどおさま、ご注文の品です」

「有難うハルカさん、頂きますっ」

料理を届けた瞬間に弾ける笑顔、彼女達は早速甘味を頬張り至福の表情を浮かべる。

お客様が見せるこの瞬間こそが、私の遣り甲斐。

彼女達に可愛がられる猫達も連動するようにして大きく伸びをし、甘える態勢を取った。

とっても微笑ましい光景、見ている私まで満たされてしまいそう。


優雅なティータイムの時間は微睡むような空気と共に瞬く間に過ぎ去り、やがて空は夕暮れの色。

遠く彼方の太陽の輪郭が雲海に触れて、青空は一変して朱に染まり夜の訪れを予感させる。

少し物悲しくも切ない情景、けれどオレンジ系の色を愛する私にとっては一日の中で最も好きな時間帯。


散発的なオーダーを的確に捌きながら、私は一心に夕食の準備に入った。

刻々と過ぎゆく時間、穏やかな夕暮れは過ぎて静かに夜の帳が下りゆく。

徐々に闇に染まっていく澄んだ空に気高く瞬くは一番星。

上空には白い半月が見え、風情を感じさせる。


こんな日には夜風に当たってみたい物だけれど、生憎飛行船には基本的に事故防止の観点から外に出られない構造になっている。

特に猫喫茶をやっているソルビエントだからこそ、事故防止策も十重二十重。

お陰で運用して長年、お客様も猫も事故に巻き込まれた事は一件も無い。

それは私達の誇りでもあった。


そう考えている内に到来するは、夕食の時間帯。

殺到するオーダーを正確に捌きながら、私はキッチンとフロアを往復し続ける。

僅かな手隙を見繕っては猫達に餌を与え、注文の料理をワゴンに乗せて運んでいく。


何時も繰り広げる何時もの日常、けれどその一瞬一瞬が掛け替えのない宝物。

その充実感を噛み締めながら、誠心誠意の篭ったサービスを心掛け実践。

受け取るささやかな感謝の言葉が次なる一歩の礎となるからこそ、多忙という名の荒波を逞しく超えて行ける。


気が付けばすっかり時刻は過ぎて、閉店時間を回った。

ガラス窓の向こうの景色は、月光に照らされる雲海と澄んだ星空。

けれどフロアにはまだまだお客様の姿がちらほら。

お休み前に猫ともうひと遊びされるのだろう。


可愛い猫達との触れ合いを堪能するお客様の姿に癒やされながらも、私は次の日へ向けた準備に入った。

洗い終えた食器を片付けて、生ゴミの始末やキッチン周りの整理・清掃。

魔法の力を駆使しながら、テキパキと進めて漸く今日一日の仕事が終わる。


大きく伸びをした後喉を潤すべくオレンジティーを飲んでいると、操舵室からこちらへ向かうイルマの姿。

どうやら彼女も休息の時間らしい。


「お疲れ様イルマ、一杯どう?」

「頂こうかしら、この香り……ハルカの好きなオレンジティーね」

彼女はそう言うと笑顔でティーカップを受け取り、私は好物である柑橘の香りと色合い湛えるオレンジティーを彼女の器に注ぐ。

そしていつものように二人して乾杯し、互いを労った。


「オーダー今日も大変だったでしょ、一人のままで大丈夫?」

「うん、魔法で何とか出来ているしね。やっぱりソルビエントは私達二人で動かしてこそだし」

イルマの心配を払拭するように、私は向日葵のような満面の笑顔でそう答えた。

操舵に集中出来る環境の彼女は、多大なオーダーの量と日々戦い続ける私を何時も心配してくれている。

それを私は有難くも嬉しく感じていた。


細やかな気遣いと、ここ一番で全面的に信じて背中を預けてくれる彼女。

それは互いに信頼関係がなくては決して成立しない物だから。


「そう、ならいいの。明日も頑張りましょうハルカ、お互いにね」

「うん、勿論だよ。さぁ、夕食一緒に食べよう」

そう言って私は彼女に軽い夕食を勧めた。

ハム・レタス・トマトの入ったサンドイッチを、二人で仲良く食べていく。


オーダーに追われる時間帯からの開放、ほっと一息吐ける瞬間。

静かに流れ行く時間に浸り、二人静かに夕食を堪能する。

食べ終えた私達はそれぞれの個室に戻り、シャワーに洗濯・雑事を終えて再びサロンに戻って来た。

猫達にお疲れ様とお休みの挨拶をする為に。


「この時間は落ち着くね。ほら……もこ、お腹見せて」

櫛を片手に私は屈み込んで、もこのお腹の毛並みを梳く。

長毛種であるもこにとって、乱れた毛の放置は毛玉に繋がるから手入れは肝心。

もし手入れ怠れば、せっかく豪華なふわふわが台無しになってしまう。

そうならないようにブラッシングはお休み前の日課になっていた。


寝っ転がり極楽な表情浮かべるもこの毛のお手入れ。

喉を鳴らしながらふわふわな手足を精一杯伸ばし、いかにも幸せそう。


「そうね、ふふっ……可愛い」

イルマはムイムイの毛並みの手入れ。

黒く品のある雌猫のムイムイは、背を伸ばし櫛を受け入れていた。

本当に心地良さそうな表情に、見ていて思わず微笑んでしまう。

猫達には、お客様だけではなく確実に私達も癒やされている。


長毛の手入れが終わったら、他の猫にも櫛を入れていく。

接客するのは私だけではなくこの猫達も一緒なのだから。


こうして穏やかな時間は過ぎ、ソルビエントの一日は終わりを告げる。

けれど私達の航路はまだ途中、目指す街へは後二日。

それまでお客様に満足して頂けるようベストを尽くし続けねばならない。


とても多忙だけれど、手応えと充実感のある日々……それは私の形無き大切な財産。

それを生み出す場であり私達の家でもあるこの空飛ぶ猫喫茶・ソルビエントを守り、期待に応える為……私は今日も魔法を使う。

お客様の笑顔と満足感を生み出す為に。

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