第八話
綾瀬はアガリ症だ。
たとえば学校で、先生の質問に自分から手を上げることなんてまず間違いなくありえない。先生からの指名があったときには答えるけれど、それにしたって手足が震えてしまう。何かクラスの係りを決めるときだって自主的に役職をしようと思わないし、何事もないように縮こまって時間が過ぎるのを待っている。カラオケだってできないし、好きなことといえば、昔からの友達と隅っこの方で絵を描いたり好きなアニメの話をすることだ。そんな内向的な女の子だ。
でも、勇気を持てるように努力をしている。好きな人に振り向いてほしいから。彼と一緒に公園でのんびりしたいといつも妄想している。二人は話をしながら、彼は公園の小鳥にパンくずを優しく与え、綾瀬はそれをスケッチする。ぽかぽかと晴れた日で、さわやかな風が吹き、命の香りを感じさせる。ゆっくりとした、穏やかな時間。
綾瀬はその妄想を目指していた。
だからこそ、何も知らないバスケットボールの、何も知らないマネージャーということをしている。中学では美術部だったのだ。運動部なんて全くかかわりあいのない世界だった。知らない世界に飛び込むことはとっても勇気のいることだった。だけれども、そこには好きな人がいた。少しでも近づきたかった。
一宮勇人。格好良くて、女子の話によく出る登場人物。身長は普通くらい。成績は知らない。昼休みにはいつも男の子たちと体育館でバスケットをしている。一年生のころから試合に出場していて、チームの中心選手。綾瀬との接点は部活ぐらいで、同じクラスになっても話はほとんどしていない。中学のころから彼は目立っていて、なんとなく見つめている自分に気がついて、いつの間にか近づきたくなっていた。
そんな勇人が、今、王の前で堂々と自己紹介をしている。玉座に座る王に、勇者一向は片膝をついて謁見をしていた。勇者たちは知らないが、過去に飽食の王と呼ばれた当時の面影は見る影も無く、現在は引き締まった肉体に精悍な面構えと威厳に満ちあふれていた。その上、主を守らんとする騎士が数人おり、それに加えて召喚の部屋にいた全ての人が周囲を固めている。威圧感は半端ではなかった。
一宮君はすごいなぁ、と綾瀬は思う。
私なんて、王様が怖くて、うつむいてばかりなのに……。
勇人の自己紹介が終わると、勇人は、裕也、クリス、綾瀬の順に名前を紹介した。裕也はお辞儀のみをするだけだったので、クリスも綾瀬も、続いてならうように頭を下げるだけでよかった。
綾瀬は自分の番が終わったことにホッした。すると視界がだんだんと拡がりはじめ、だいぶ聞き取れるようになってきた。
今度は武の番だった。
「こちらが、カエンダーです」
静かな空間に、武が頭を下げる際の衣擦れが響く。
いくらなんでもカエンダーはない、と綾瀬は思う。女神から渡された防具が怪しい白仮面と黒マントだったとしても、それにカエンダーなんて明らかに偽ってるとしか考えられない名前だ。疑ってくれ、と言わんばかりの変装だった。
う~ん……。でも、私が同じ立場だったら、本名を使うのは恥ずかしいかも。女神様からの防具ってことは何かすごいものなんだろうし、外すわけにもいかないよねぇ。だったらブログで使う名前とか使っちゃうかもしれない。ってことは、カエンダーっておかしな名前もアリなのかなぁ……?
「貴様、偽名を使うか。それに余の前で仮面を外せぬとは、本当に勇者なのか?」
ナシだった。
バッサリと切り捨てられた。
しかし見事に胸を張って武は答えた。
「はい。仮面越しにも見える黒髪。黒い学生服。紹介された勇者たちと同じ世界から来たことは、同じ世界の住人である勇者たちに聞かれれば自明の理かと」
「そうなのか? 勇者ユウトよ」
「あ、はい。本当です。サイ――」
「カエンダー」
「……カエンダーは、ボクたちと同じクラスで、同じ学校で、同じ地球の人です」
「ならばなぜ名を偽る?」
「契約だからです。ウィン、哀れな俺をたのむ」
「お主の口はどうなっとるんだ……」
「いいから」
武の肩に乗っていたイタチが光の粒を纏って地に飛び降りると、ウィンは青年へと変化した。王も騎士も姫も巫女も、等しく驚いていた。
「風の精霊、ウィンと申します。彼の真の名を封じることで彼と契約しております」
全くの嘘だ。
ウィンと武は契約はしているが、妖怪との契約なんてそんな難しいものではない。ただ、一緒にいようね、と子ども同士が口約束しているようなもので、名前なんて関係なかった。カエンダーは女神とウィンと武の三人で考えたテキトーなものだったし、ウィンも精霊ではない。この精霊もどきも嘘をぺらぺら並べられる時点で大概である。
しかし、さも当然である、と憮然とした表情を浮かべた。
綾瀬は素直に信じた。それは王も同じだったようで、
「これはこれは、精霊様! そのような魔法が使えるとは精霊様以外いらっしゃいません。偉大なる精霊様がいらっしゃるとは露知らず。お疑いして申し訳ありません」
と、謝るほどであった。
「いやいや、それも仕方の無いこと。あの怪しげな白いマスクも、本当のところは契約の一種なのです。姿を隠し、名を隠し、魔力を隠すことを覚える。我との契約とは、すなわち風なのです」
「それは素晴らしい」
「お待ちください」
騎士の中でも一番大きな男性が一歩前に出た。
「私はわが国、ヨゴバマヘイズダースのビューテ姫様親衛隊隊長、クライス。勇者様から『シュイダシャプランコ』との異名をいただいたものでございます。発言の許可を!」
……ん?
綾瀬は何かよくわからない違和感を覚えた。