第五話
シルクは、村の中心で、スパイダーマンをにらめつけていた。
村では血の惨劇が繰り広げられている。幾人かの魔族のうち、スパイダーマンは下品な表情で幼い女の子の髪を引っ張っており、泣いて懇願する母親を蹴りつけていた。
なんてことをッ!
薙刀を構え、殺気をたぎらせた。
シルクの肉体年齢は人間でいうところの、十六歳前後だ。実年齢は約三歳であるが、魔族の中でもひ弱なハーピィの成長は早い。人間と同等、もしくは人間よりも下の力しか持たないハーピィたちにとって、成体になるための時間を割くことは生存の妨げになる。進化の上にたどり着いた、弱者ゆえの早熟であった。
そんなシルクのチャームポイントは、ハーピィの中でも特殊な、さらさらで艶やかな黒髪である。ゆるやかなウェーブもかかっている髪をかきあげる仕草は、スタイルのよさや美麗な造形も加わり、無意識に異性を虜にしている。純白のドレス、無垢な翼と黒髪は相性がよく、男の心を常に揺さぶる。
チャームポイントは、けれどもコンプレックスでもあった。黒髪のハーピィは数人いる。全てが同時に生まれた兄弟であり、全てのハーピィから兄弟は特別扱いを受けていた。王族のように慕われ、敬われる。友人の欲しい彼女からすると、黒い髪は、自慢ではあるのだけれど、友だち作りの壁でもあった。うっとおしくもあり、また、愛しくもあった。
母の髪の色は、ハーピィとして代表的なピンク色であることから、おそらく父親の髪の色を受け継いだと思われる。しかし、シルクを含め、兄弟誰もが父の姿を見たことがない。ある日、幼いシルクは母に聞いた。「みんなはいるのに、どうしてあたしたちにはいないの? お父さんはどこにいるの?」と。母は穏やかに答えた。「長い長い、旅に出ているのよ」と。「いつ帰ってくるの?」無邪気なシルクの疑問に、またも、母は穏やかに答えた。「わからないわ。けれども、あなたは自慢していいのよ。あなたのお父さんは、私たち全てのハーピィを守ってくれたの。そして、それ以上に。世界中が知る、立派な方だから」。そして、しかし母は人間に殺された。「人を恨んではいけないわ。みんな、必死に生きてるのだから」と、言葉を残して。無抵抗のまま、微笑んで。
どうして? どうしてっ? どうしてこんなときでもお父さんはここにいないのッ!? いつも、いつも、いっつもそうだ。この髪のせいで友だちもできないし、こんなときだってちっとも来てくれない。早く帰ってきてよ、お父さん!
他のハーピィに守られながら、兄弟で泣いて、兄弟で父を呼び続けた。
早く、お父さん……。お母さんを悪いヤツから守ったんでしょ? でもお母さん、いなくなっちゃったよ? 死んじゃったんだよぉ!? さみしい、さみしいの、さみしいよぉ……。お願い、ねぇ。あたしたちも助けてよぉ、お父さん……。
父はどれだけ経っても来なかった。それが、当然のことだと知ったのは、戦争が落ち着いてからのことだった。他のハーピィから、父が、すでに故人となった勇者であることを教えられたのだ。人のために笑って死んだ母。人のために笑って死んだ父。居ないのだ。二人とも、この世界には。からっぽになった。力が抜けてしまった。それから、唇を噛んだ。悔しかった。恨めしく思った。人が、両親を奪ったのだ、と。
憎悪を力に換えて、シルクはようやく動き出した。旅に出たのだ。父が見て回った世界を巡るために。母の愛した人間を観察するために。衝撃的だった。里では経験しなかった壮大で美しい景色に、魔族に対して理解があるサトシとの出会い。憎しみは、やがて、慈しみに代わっていった。微笑み続けた母と同じように。また、戦い続けた父と同じように、手にもつ得物を、守るために奮うことを決意した。今では黒い髪は一番の自慢になっている。白い羽との相性は抜群なのだから……。
そして、彼女は守り続ける。人を、そして魔族を。正しいことを守るために。悪しきことにを滅するために。それはいつでも変わらない。激しく揺ぎ無い決意は、彼女をより美しく魅せた。
「あなたね、村を襲った魔物は……!」
「ひゃっはぁっ。なーんだぁ、ハーピィの分際で、このオレにたてつこうってぇーのかぁ?」
「黙りなさいッ。世の中には、やっていいことと、悪いことがあります」
「人間だぜぇ? お前も魔族だろぅ。なーんの問題があーるってんだよぉ」
スパイダーマンが、女の子の顔を爪でつつく。涙を流す幼児をゲラゲラと笑う化け物。必死に母親は右足をつかむも、怪物の一蹴りで宙を舞った。ピクリとも動かない。
「もろい、脆いよなぁ。こーんなことで死ぬんだぜぇ? 元々は勇者の女だったってなぁ。人間なんて、勇者がいなけりゃなーんにもできねぇ癖によぉ。ヒャハァッ」
ヒドイことをっ。
激情に駆られるも、深呼吸を繰り返す。彼女は弱い。冷静にならなければ、殺されるだけなのだ。そこで、勇者という言葉が気になったので、まず、女の子を観察してみた。最初に認識したのは黒い髪。そう、黒い髪であった。シルクと同じ、黒い髪。意味するものは、勇者の子孫であるということ。
「お前はぁ……ッ!」
シルクの目の前が真っ赤になった。
薙刀を突く。しかし、スパイダーマンは女の子を盾にした。驚いて刃物を引くシルクに向かってスパイダーマンは女の子を投げ、彼女は武器を手放し優しく受け止めた。包み込む少女の身体は震えており、体温が冷たい。とても怖い思いをしたのだろう。
守らなきゃ。
想いとは裏腹に、頬を殴りつけられた。転がるシルク。
けれども手の中の小さな命に被害はない。
守りきるんだ。あたしは、お母さんと、お父さんの子どもなのだから。痛くても怖くても、あたしは立ちあがってここにいるんだから。そうなんだ。見たことはないけれど。お父さんは、いつでも立っていたはずなんだ。あたしたちを庇って。人間を庇って。弱きものを庇って。
シルクは立ち上がった。勇敢に。威風堂々と。
「殴って死なねーってのは、ハーピィにしては頑丈じゃぁねーかぁ? ちょっと傷ついたぞぉ、オレは」
「あたしは、守るんだ」
「あぁん?」
「お母さんと、お父さんのように」
「んんー? おーおーおぉーっ! よく見りゃぁ、お前、髪が黒いじゃねぇーかぁ。お前もなんだぁー、勇者の子どもだってーのかぁ?」
シルクは血のつながった姉妹を解放した。
母親の元に瞳を濡らして必死にかけより、ゆさぶっていた。「おかあしゃん。おかあしゃぁんっ!」しばらく続いた。シルクが警戒しつつ、羽根を使っての低空飛行で近づく間も。シルクが呼吸と、胸の鼓動を確認する間も。ずっと、続いていた。シルクは、想い出の母のように微笑んで。名前も知らない妹の頭を撫でた。
「大丈夫。まだ、生きてる」
「ほんとう?」
「うん。だから、ね?」
「うん……、おねえちゃんは?」
「あたしは、まだ、大丈夫だから」
たぶん、お姉ちゃんという言葉の意味は、望んでいるものとは違う。でもそれは、まだ知らないだけなんだ。あたしは、気が付いた。たぶん、この子もすぐにわかると思う。そのときは、笑顔でいたい。自慢できるお姉ちゃんの顔で受け入れてあげたい。だってあたしは、お姉ちゃんだから。
「打ち所でぇーも、よかったかぁー? 残念、残念だなぁ。でもいいかぁ? よぉーく聞きやがれ。今はなぁー、魔王ドラキュリア様の命令でなぁー。勇者の子どもを殺して回ってるんだよぉー、ヒャッハァ! でなぁ、後はコイツで最後ってわけだ。ギャハハッ! お前もあの世に送ってやるよぉ」
スパイダーマンが声高に笑う。
気色悪い。
気持ち悪い。
不快だった。
勇者の子どもを殺して回っている? では、他の子は? もうみんな死んだの? 最後? そんな馬鹿な。
確かなことは、敵が、とても危険なことだ。魔王ドラキュリア。そして、その配下であるスパイダーマン。かつての魔王ドラゴン領に住む彼女には知らないことだらけだ。
スパイダーマンの魔の手が伸びる。
顔を殴りつけるもビクともしない。自慢の髪をつかまれ、胸元付近まで引っ張られる。悔しかった。こんなヤツに、手も足も出ないなんて。それでも、とにかく腹を殴り続けた。頬に一筋の雫が垂れた。
「やっぱり黒いなぁ。お前も殺してしまおーかぁ」
吐く息が血なまぐさい。
殺されるの?
何もできずに?
妹も守れずに?
イヤだ。
イヤだよ。
お母さん。
お父さん。
あたしは、負けない。
負けないいんだ。
「お前らは不愉快だ」
しかし、シルクの声ではなかった。




