第三話
勇人の意識は日本に飛んでいた。
それは少し古い記憶。
目の前に父がいる。
基本、アウトドア派である父は、どこにでもいる、普通の父親だ。趣味はプロ野球観戦に草野球、そしてホームセンターめぐり。日曜大工に憧れを持ち、休日にはちょっとした小道具を作ってみたり、インパクトドライバーという、自動でネジを締めたり緩めたりしてくれる機械を、光悦とした笑みで眺めている。服装はいつも、ブランド物でもなく、ユニクロですらない。ショッピングセンターのセール品でもなく、ワークマンなどの日々働く人のための作業用品店で購入できるものばかりで、頭髪の薄さも相まって本当に味気ない。将来の自分を想像してしまって身震いしてしまう、そんなどこにでもいる父親だ。
そんな彼が、パソコンに向かっている。当時、小学六年生の勇人は、あぁ、また野球ネタを見ているのかな、なんて考えるも、大きな笑い声が気になって、手に持ったDSを閉じ、ついつい、覗いてしまった。「お父さん、何見てるの?」父はニヤついて言った。「野球の無料ゲームだよ。勇人もやってみるかい?」「くまのぷーさん? なにこれ、簡単そう」「そうか。俺はこれにハマッててな。面白いぞ~」「うん、やってみる!」それが、悪夢のはじまりだった。
単純なゲームだった。マウスを動かし、タイミングを合わせてクリックする。それだけのゲームだ。きっず用のディスニーゲームとあって、よくある簡単楽勝ゲーなのだろうと高をくくった。お父さん、なんでこんなゲームしてるんだろ? よし、ボクがちょちょいのちょいでクリアして、お父さんに自慢してやろう。そんな軽い気持ちでスタートの文字をクリックした。「大人なのに、こんなのするんだー。お父さん、弱っちぃねぇ」だが、父は口を耳まで裂けさせ、「そうか。それなら、勇人に教えてもらおうかな」と後ろから眺めていた。ボクが子どもだからって、舐めているのかな?
けれどもそれは、自分の方だったと思い知らされた。実に数秒後のことであった。
このくまのぷーさん。丸太をバット代わりに持ち、様々な森のどうぶつたちの投げるボールをホームランにしていくことになるのだが、いかんせん、スイングスピードが神がかっていてボールを捉えられないのだ。ためしにクリックしてみると、超速過ぎて、バットを振る姿が全く見えない。「え? なにが起こってるの?」混乱している間に、ボールはゆっくりと追加していく。目標は十球のうち、三本のホームラン。一球目が簡単に終わってしまった。
見かねた父がアドバイスをくれる。「緑色のマークがあるだろう? そこが、バットの芯だ。その辺りでタイミングよく当てると、ホームランになるんだよ」しかしタイミングと言われても、このスイングスピードでどうしろというのだろうか。二球目、やけくそで連続クリックをしまくるも、ただのぷーさんによる素振りに終わった。勇人は泣きたくなった。結局、クリックではなく長押しする必要があったことに気付いたのは、父の助言によるものだった。
勇人は頑張った。迫りくる森のどうぶつたちの投げる球を、幾度となく弾き返した。右に左にと打ち分ける黄色い化け物のパワーは凄まじかった。しかし当たらない。クリアができない。ある程度はバットに当たるようになってきた。それでもホームランにできない。なぜなら、投げられるボールが魔球すぎたのだ。縦に揺れるボール。いきなり加速するボール。右に左にブレるボール。消える魔球。その全てを投げる男の子。勇人は絶望した。
そして、ついに勇人は禁断の果実を手にした。ハチミツによるドーピングである。今まで貯めに貯めていたホームランで得たポイントを、パワー、ミート、スピードに全てつぎ込んでぷーさんを成長させたのだ。きっず用? プライド? 関係ない。これは、男と男の戦いなのだ。いつしか、勇人はハマッていた。偉大なる、ぷーさんによるホームランダービーに……。
「大丈夫ですか!? 一宮くん、生きてますかッ!?」
「あれ、綾瀬さん……?」
「良かった! よかったです」
綾瀬の頬が緩んだ。垂れた瞳は濡れているようにも見えた。
一体何があったのだろうかと顔を上げてみると、そこで、自身が横になっていたことに気付いた。雄たけびが聞こえる。そうだ、ぷーさんか。痛むわき腹を押さえ、立ち上がる。折れてはいないようだ。いや、これは回復魔法をかけられた後か。とにかく、まだ動ける。勇人は剣を拾った。
戦況は五分五分だった。六対五の状態はかわっていない。苦しい状況が続いていた。裕也が腰の入った剣戟を加える。その隙にコルトとタンネが追撃しようにも、他のぷーさんの丸太によって阻まれる。本当に魔物なのだろうか。魔族といわれても納得のできるほどのパワーだった。そういえば、タイトルホルダー級だっけ。吹き飛ばされた今、なお更、恐ろしく感じる。
でも、ボクは勇者だ。それに、思い出したこともある。
「綾瀬さん、ハチミツだ」
「えっ?」
「ハチミツだよ。ヒロジマカーブのマエノケンさんに渡されたアレだよ」
「確かにありますけど……」
「思いついたことがあるんだ」
「どうするんです?」
「くまのぷーさんの大好物はハチミツだよ?」
「それって、ディスニーの中の話です」
「そうだね。でも、試してみる価値はある」
「食べてる隙に攻撃でもするんですか?」
「そう。モンストの生肉みたいにね」
「わかりました」
「頼むよ。じゃ、行ってくる。そこらへんに置いてくれたらいいから」
勇人は走った。
敵。近くのぷーさんを切りつける。けれども太い丸太で防御された。でも、今のボクにはコレがある。勇人は魔力を練り、魔法を奏でた。「いっけぇ、静電気!」パリっと剣の先から放たれたそれは、熊の化け物を驚かすには十分だった。ガラ空きのボディーへ盾で殴りつける。硬い腹はびくともしない。しかし、ダメージは与えたようで、動きが鈍くなった。胸を、全力で突く。野太い叫び声。一頭の熊が倒れた。
次は!
雷を纏いて虎となす。腹に力を込め、裕也を殴りつけようとした一頭に体当たりした。「勇人!」裕也が喜びながら、ふらつく一頭にトドメをさした。これで、あと三頭!
「みなさん! ハチミツをセットしました! こちらですっ」
綾瀬の元に一行が駆け寄ると、飢えた三頭が走りよってきて、ハチミツのつぼを一心不乱に舐め始めた。一つのつぼを奪い合い、喧嘩まで起きている。その間に、綾瀬にキュアをかけてもらいながら、裕也による作戦の打ち合わせをした。殴りあう三頭のうち、負傷が激しいぷーさんから全員でアタックしていくというものだ。息を吹き返したパーティは、一本の槍となった。
槍の威力は想像を超えた。一頭、また一頭と、リズムよくぷーさんを葬ることに成功したのだ。これにはみんなが高揚した。勝てる! 最後の一頭だ。だが、しかし。突きは決まらなかった。攻撃の直前、黄色い化け物が拳を握り、咆哮を上げたのだ。あまりの声量に耳を塞いでしまう。なにが起こったのだろうか。わからぬまま、勇人たちは格段にパワーアップした一撃による風圧だけで吹き飛ばされてしまった。転がり、そして起き上がる。
「強くなったってのか」
裕也の呟きに、勇人はハッとした。
「ドーピング……」
「何、言ってんだ、勇人?」
「いや、ちょっと昔の思い出が」
「なんだそれ。けど、どうする? コイツは近寄れば怪我じゃすまない」
「そうですね。僕が引き付けましょうか」
「私も援護します。コルトなんかにカッコイイところなんてとられたくありませんから」
「言うね、タンネ。よし、僕と共闘しようじゃないか。いいでしょうか、裕也様」
「いいぜ。そこでクリス、弓で遠距離射撃だ」
「わかったワ」
「勇人は俺に続いて、クリスの打ち終わりに攻撃だ。綾瀬さんは倒れている熊の息の根を止めてやってくれ」
「わかりました」
「『ゆうゆうコンビ』?」
「そうだ、その恥ずかしいコンビだ。よし、行くぞ!」
コルトとタンネがまず、走り出した。
しかし脚は、突然、止まった。
熊に向かって、パーティでない誰かが攻撃を仕掛けたのだ。
「助太刀します。ビカチュウ! 十万ボルトだ!」
「ビィィガァヂュゥゥゥ!」
一人の青年と、一匹の電気ねずみだ。
「今です! ぷーさんは弱っています、みなさん一撃を!」
黒焦げになる熊に突撃するコルトとタンネ。
続こうと勇人も走ろうとしたが、どうも、裕也とクリスの様子がおかしい。振り向くと、裕也がクリスをなだめていた。
「これ以上はやめてヨォ! ココは異世界なのヨォォォ!?」
「どうしたクリス! 大丈夫だッ。これで終わるんだよッ」
「違う、違うのォ……」
とりあえず、二人は置いといて、勇人は攻撃に参加することにした。
悪夢を終わらせるために……ッ!




