第二章 第一話
女神は悩んでいた。
武が校長室と評価した一室。そこで、彼女はソファーに深くもたれている。丸テーブルに頭痛薬と真水が並び、辺りには地上界からの報告書が散乱し、足元にまで及んでいた。長考の末、とりあえず、と彼女は頭痛薬を服用した。
この部屋は想像以上に快適で、その点に関して武には感謝している。このレザー生地のソファーは彼女を心地よく受け入れてくれるし、アンティークな丸テーブルは、書類を置くのにちょうどいい。一度作ってしまえば、なぜ、今までなかったのかが信じられないほどだ。本当、今までの苦労とは一体なんだったのだろうか。地べたに座って書類を眺めているなんて、思い出しただけでも身震いしてしまう。
身震いといえば、世界は、想定よりも物事が危うい方向に向かっていた。神といわれようとも、万能ではない。ただの管理者であり、システムの崩壊を防ぐだけの存在である。全てを想像し、創造しろ、というのが間違いなのだ。神が万能でないからこそ、それぞれが意思で行動していく、人間や魔族などが存在しているのだ。一々、全ての駒を動かすほどの能力はなく、駒自身に動いてもらったほうが女神の負担は減るということだ。ここでの神は、有限だ。
しかし、その結果、思いもよらぬ事態に陥った。勇者一行を、元の世界に戻す機会を失ってしまったのだ。本来、武の子ども関係の問題をクリアした時点で、異世界移動をしてもらう手筈であった。武も協力的であったし、「そのときには、時間も元に戻してあげてくれ」、とのアドバイスまでもらっている。時間の概念をよく知る人間としての意見だ。これには助かった。勇者一行が、浦島太郎のように困ることはなくなったと思っていい。彼は、先代の勇者として、成すべきことを自ずからやってのけたのだ。けれども、その彼が、ちゃぶ台をひっくりかえしてしまった。目的そのものを消し去ったのだ。
これには頭を抱えてしまった。彼はどうして、こうも悩ませてくれるのだろうか。心の底から不思議でたまらない。いや、確かに、彼は真面目に、真剣に考えて、彼にとっての異世界を、自身で正しいと思う道をしっかりと歩んでいる。それは、とても素晴らしいことだった。あの歳でそうそうできることではない。だが、彼の力はあまりにも大きすぎた。このままでは、魔王ドラキュリアですら、対等に戦うことはできないだろう。どのようにして修行したのかわからないが、昔に比べて、はるかに力をつけている。
といっても、元々は勇人らと同等のモノを与えたはずなのだ。彼らには攻守バランスよく渡した。彼らもそれを望んでいたし、女神自身も、それがいいと思っている。異世界にいきなり放り出されて、防具もなしに戦うことは無茶なことだ。配分は、どうしても各自にあったものになる。危険が少ない方法だ。けれども、武は、否定した。全てを魔力に注ぎ込むことを選択した。
女神は当初、不安がよぎったが、すぐに頼もしいと改めた。人々の絶望から生まれたシステムの崩壊を防ぐために派遣した、女神が厳選し、最も才能あると思しき勇者なのだ。扱いきれる自信があるのだろうと、そう、考えた。現実はそうではなかった。彼は、暴走した。
魔族、魔物、もろとも蹂躙した。死屍累々。人間たちは狂喜したが、魔族たちは狂乱した。無慈悲に積み上げられる死体に、女神自身、戦慄した。ここまでするつもりはなかったのだ。人類に生きる希望さえ与えられれば、それでよかったのだ。けれども、勇者の背中を人類の怨恨が後押しし続けた。魔族は恐れ戦いた。いつしか、勇者が歩けば、道ができるようになっていった。さらに、勇者の暴走は、止まらなかった。力に酔いしれた彼は、欲求のままに女性を抱いていった。人々は、手を叩いて喜んだ。彼の強さを手に入れることこそ、人類最大の喜びとばかりに。異常な状態であった。
結局、彼は、元の世界に戻った。二度目の召喚は、美姫や魔王の娘の執念の結果としか思えない。
そして。
世界は、再び動き出した。
女神には、勇者一行を帰してあげるタイミングがまだ、判断できない。すぐにでもそうすべきなのかもしれない。しかし、そうしてしまうと、人類の希望というものを、奪ってしまう結果になるかもしれない。それならば、ある程度の問題解決がなされたときに、そうすべきなのかもしれない。
丸テーブルには様々な報告書が上がっている。勇者たちの今までの動きだ。もちろん、武のものもある。
「『女神マジ最高!』、かぁ……。仮面を喜んでくれたのはいいけれど、一体、これからどうするつもりなんだか……」
女神は、しばらくソファーの感触を楽しんだ。




