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 縁側に出ると、珍しくも彼女は柱に凭れたままうつらうつらとしていた。

 膝の上に置かれた本は、開かれたままその上に手が乗っている。


「……おや」


 隣に座り、少し乱れている裾を引っ張って直す。妖怪となってから色々と枯れ果てていたと思っていたが、今の私には目に毒である。眼福でもあるが。

 着物に慣れていないらしく、起きている間は兎も角寝ている間はとても無防備だ。

 暫くそうしていると、小さな頭がこっくりと前に揺れた。危ない、と思って軽く支えると、そのまま方向を変えて肩の上に収まる。

 その幸せを堪能しながら、ふと、その膝の上にある本をそっと引き抜いて、目で追う。


 ――『死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから』

 

 私の頃と、随分文字が違って少し苦労したが、ようやくその目に付いた台詞を読み終える。

 どういう物語なのか、始めから読んでいないからとんと検討も付かない。ただその台詞を読んで、ふと、不安になる。

 彼女もいつか、こうして、居なくなってしまうのだろうか。


 ――『日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか』

 自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて、

 『百年待っていて下さい』と思い切った声で云った。

 『百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから』――


「百年」


 もしも彼女が、死んだと仮定する。

 それだけで胸の引き裂かれるような痛みを感じる。けれど、帰ってくるというのなら――いくらでも、待てるだろう。百年くらい、余裕だ。

 怨念を抱いて蹲り、あるいは暴れた永い時。それよりは、きっと短い。


 でも。


「……何をしているんですか」


 きっと、この声を聞きたくて堪らなくなる。その目に見つめられたくなる。その柔らかな手で触れて貰いたくて仕方なくなる。


「いえ……」

「返してください」


 そうだ、と思いつく。死んだのなら、生き返らせればいいのだ。

 待ちきれなくなる、その前に。






 狂骨。

 井戸の中から、釣瓶に吊られて幽霊のように浮いている妖怪。

 その顔は骸骨で、白髪が生えているという。

 ――石燕は、何故そんな名前を付けたのだろう。何を理由に、狂、という字を選んだのか。


「これ、何ですか?」


 卓袱台の上に置かれたものを指差すと、薄は緩慢な動きで拾い上げる。

 線香のようなそれは、僅かに甘いような苦いような奇妙な香りがした。


「反魂香ですよ」


 ……はんごんこう? 私の認識が正しければ、反魂香、というものだろうか。


「誰か、生き返らせるんですか」


 それは確か、伝説上のお香である。元々は焚いた煙の中に死んだ妻が見えたとかいう故事に由来する。また別の話では、反魂樹という木の香だ。どちらにしろ、焚くだけで亡くなった者の魂を呼び戻して生き返らせる事が出来たという。正直、眉唾だが。

 薄は底無しの穴を思わせるような黒い目をぱちくりとさせ、微笑んだ。


「あなたですよ」

「……私、生きてますが」


 くすくすと笑う、骨男。……また肋骨が剥き出しになっている。その度に着物が脱げかけるものだから、なんともいえない滑稽さがある。

 慌てたように着物を直した時には、もう肉付きが戻っていた。流石にあばらは浮いていないが、痩せた胸板は頼もしさより頼りなさが勝る。筋トレでもさせてみようか。


「いつか、死ぬでしょう」


 そして気を取り直したように、少し真面目な顔でそう言う。死ぬなと言わないあたりが、なんとも死人らしいかもしれないが。

 ……それは確かにそうである。私は人間である以上、既に数百年生きていて、更にずっと永く生きるという彼よりは早死にするだろう。自然の摂理だとは分かるが、しかし。


「命云々より先に、寿命を延ばす方法を考えるべきです。大体寿命で死んだのなら、生き返っても老人ではないですか。またすぐに死ぬでしょう」


 盲点だったらしく、あ、と横で声が上がる。

 薄がどこかずれた感性だというのは、既に最初の時点で分かっている。


「……そうですね……はい」

「そもそもまだ結婚していませんし」


 一つ屋根の下で暮らしてはいるものの。

 ちゃんと人間の姿でいられるようになるまで結婚しないと言ったのだから。

 そういう所はきっちりしなければいけない。約束は、守ってこそだ。


「そう、ですね……」

「たった12時間耐えればいいだけです」


 だから早く、達成していただきたいものだ。

 ……そう思う自分に、少し胸がこそばゆくなる。


「そうですね。何も百年待つ訳ではありません」

「百年経ったら私も骨ですよ……」


 何故か嬉しそうな薄を前に、私はまた溜息を吐くのであった。









引用元は夏目漱石の「夢十夜」です。

花にキスするシーンが無駄にロマンティック。

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