午前0時の魔法
現代版です
「腕力で男らしさばかり誇示するくせに、好きなことは噂話と粗探し。そんな男と結婚しなくてもいいでしょう?僕と駆け落ちしませんか?」
その言葉は、そろそろお開きに近づいた同窓会の酒の席で、場違いなほど上品に落ちた。
都内から電車で一時間も離れていないのに、ここら辺は恐ろしいほど保守的だ。
女性は対等に口喧嘩をしているように見えても、実は甲斐甲斐しく男性の世話をしていたりする。
それができる「イイ女」は口をそろえて、「手のひらの上で転がしておけばいいのよ」と豪快に笑う。
そんな「イイ女」に対して、ここでの「イイ男」とは、力強く豪快で、リーダーシップにあふれる人だ。
もちろん、そうした条件を本当に備えた格好いい人もいる。
ただ、私の彼氏は、その理想像を少し都合よく勘違いしている節があった。
親の建築会社に勤める二代目の跡取り。やんちゃな面影が残る笑顔に、現場仕事で鍛えられた筋肉質な身体。
大翔は、いかにもな地元の「人生の勝ち組」だ。
大翔から結婚を前提に付き合おうと言われたときには、親をはじめ、友達からもずいぶん祝福されたものだ。
――真面目な子がお嫁に来てくれたら、二代目も安心だよ。
――やったじゃん! 玉の輿じゃん!
いい話だとは思う。
大翔は基本とてもいいやつだ。明るいムードメーカーで仕事もできる。
生まれ育ったこの街にいる、家族、友達、母校の先生や、卒業式で植えた記念樹まで、たぶん大翔は地元に根差すものを全部愛していて、大事にしている。
その輪の中に入りさえすれば、自分が育ったような幸せな家庭を作る人生は約束されている。
だけど、不安要素はいくつもあった。
大翔の元カノはあちこちにいたし、付き合い始めた翌日には、全く知らないおばちゃんたちの井戸端会議のネタになっていた。
大翔と結婚するということは、そういう人たちもひっくるめて、うまく付き合っていかなきゃならない。
そして一番の不安は、大翔の理想とする幸せが、いつだって最優先だということだ。
私が生甲斐にしている、細々と続けている本の翻訳の仕事は、大翔からみたら何番目になるのだろう?
結婚してもしばらくは続けられるかもしれない。けれど、ずっとは無理だろう。
「おーい!そこで何サボってんだよ!ほら、グラスが空いてるよ!」
酒の匂いを含んだ大声が、小上がりの座敷の奥から飛んでくる。
周りでゲラゲラ笑う声が、それに追随するように響いた。
声の方を見れば、顔を赤くした大翔が、鍛えた二の腕を見せつけるように、空になったジョッキをわざとらしく掲げていた。
――店員さんを呼べばいいじゃない。
たぶん、私がトイレに立った帰りに、蓮に呼び止められたのを見て、邪魔してきたのだろう。
私を顎で使うことで男らしさを周囲に見せつけたい大翔を放っておくと、どんどん高圧的になって面倒になる。
座敷へ戻ろうとする私の進路を、蓮は体でふさいだ。
面倒事になりそうな予感に、自分でも眉間にしわが寄っているのが分かるが、気にせず睨みつける。
「ねえ、冗談やめてよ」
「冗談で、人生を左右することなんて言わないよ」
細身の身体にぴったり合った黒いスーツに、つややかな黒髪。ほのかに香る爽やかな香水の匂い。
冷たく見える理知的な顔は、普段の様子とまったく変わらなかった。
先ほどより少し芝居がかった声で、蓮はもう一度言った。
「僕と駆け落ちしませんか?今夜、午前0時発の電車で」
その一言で私の気持ちは、かすかな紙とインクの匂いに満たされた、小学校の図書室へ引き戻された。
私は、子ども向けアニメで見たシンデレラが大好きで、そこから本を読むのが好きになった。
最初は絵本から、だんだんと児童書へ。
図書室にはグリム童話全集があると知ってからは、昼休みに図書室へ通っていたのだが、そこにはよく蓮がいた。
グリム童話全集を読むなんて子どもっぽい、と言われるのが恥ずかしくて、図書室へ入るときはいつもこそこそしていた。
いつものようにこっそりと図書室へ滑り込んだ時、窓際の机で本を読んでいた蓮が顔を上げた。
パチッと目が合い、蓮はちょっと笑ったように見えた。
だけど、姿を見られるのが嫌で、私はすぐに目をそらし、本棚の陰に隠れた。
そのまま、身を潜めながら、お目当ての書架へ移動する。グリム童話全集に手を伸ばそうとした瞬間、
「グリム童話なら、こっちのほうが原作に近いよ」
後ろから、静かな声がした。
恐る恐る振り返ると、蓮が一冊の本をこちらに差し出していた。
私がこれまで読んでいた本よりも、もっと古くなった表紙に、時代を感じるようなフォントのグリム童話全集。
「どうして?なんでこれを?」
受け取った本と蓮の顔を代わる代わる見つめる。
「すごく楽しそうな顔をしていたから、どんな本を読んでいるか気になって、タイトルを見ちゃったんだ。そしたら、グリム童話全集だった」
「は、恥ずかしいから。お願い!誰にも言わないで」
「恥ずかしがることはないと思うけれど。誰にも言わないよ」
「…ありがとう。私、シンデレラがずっと好きで。でも、そういうとみんな馬鹿にするんだ。蓮もそう思う?」
蓮は少しだけ考えるように視線を落としてから、静かに言った。
「好きなものを好きでいるのは、おかしくないよ」
そう言って、いつもの窓際の机へ戻っていった。
書庫にあったという古いグリム童話全集は、言い回しも古く、難しい漢字も沢山使われていて、ストーリーも知っているものと少し違っていた。
読み終わった後、蓮にお礼がてらその事を伝えたら、改定や翻訳者で内容が変わることがあると教えてくれた。
「外国語を読めるようになったら、もっと深く物語を知れるよね。小春は、シンデレラのどこが一番好きなの?」
「12時で魔法は解けちゃうけれど、夢が叶うのは魔法が解けてからなところ」
「へえ意外。てっきり魔法にかけられるところかと思ってた」
「そこも好き。でも、12時で日付が変わったら何かが変わる感じの方が好きなんだ」
「もしもーし! 聞こえてるぅー?」
回想は大翔のからかうような大声で断ち切られ、現実に戻された。
「大翔、心狭すぎ。久しぶりに会う同級生と話すくらい許してあげなよ。ほら、新しいビール!」
「陽菜は気が利くなあ!それに比べて、小春はダメだな。だけど、小春は英語ができるだろ?これからこの辺にも外国人の住人が増えると思うんだ。それには小春はとても必要なんだ。結婚して二人でこの地域を盛り立てていけたらいいと思ってるんだ」
しばらくはこの話題で大翔はご機嫌だろう。
「誰かの夢を叶える一部になる必要はないでしょう?」
蓮がそれを見ながら冷ややかに言った。
「小春の夢は、自分がいいと思った洋書を自分の言葉に訳すことじゃないの? 一度、地元を離れてチャレンジしてみなよ。それで通用しないと思ったら、しれっと帰ればいいんですよ。『どさくさに紛れて独り立ちしてみようとしたけれど、自分には無理だった』とでも言えば、ご両親もあの男も、それ以上は何も言わないでしょう。うまくいったなら、堂々と帰ればいいんです」
「なんで駆け落ちなのよ?」
「もちろん、好きだから」
あまりにもあっさりと言われて、告白されたとすら認識できなかった。
「地元に縛られる魔法を解くなら、午前0時の電車に乗って出て行きましょう。夢が叶うのは、魔法が解けてからなんでしょう?」
壁にかかった時計を見れば、12時まで、あと三十分。
外へと続く、真っ直ぐな下り階段を見つめる。
あの階段を降りるとき、私の靴はいつでも地元に戻れる印のように、階段に張り付いて脱げるんだろうか。
もし、靴が脱げたとしたら、拾ってくれるのが運命の人なのか?
それとも、何の問題もなく電車に乗ってしまえるんだろうか。
私の選択を面白そうに待つ蓮と、私の動きに不信感を持った大翔が立ちあがろうとする様子が、肩越しに感じられる。
どちらでもいい。どちらでなくてもいい。
運命を試してみたくなった私は、真っ白な光で照らされた出口が待つ階段に、挑むように向かって行った。




