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09. 女の子

 ◆◇◆◇


「ここの水はな、都会の塩素まみれの水と違って美味い水だからな。御沼池(おぬち)さまのおかげだ。都会の水なんてまずくて飲めたもんじゃねえ。あんなドブ川を渡ってきた水なんて豚だって飲みやしねえ。こっちの水は新鮮でうめえからな」

「オオ! ソウデスネ!」

「やっぱり水が上手くねえとよ」

「ソウデスネ!」


 話して満足したのか、でっぷりとした腹の男は去っていった。

「何の話だ?」

 ロベルトがジェイに聞く。

「さあ?」

 ジェイは肩をすくめた。

「さあってお前、相槌打ってたじゃないか。『ソウデスネ』って何だよ?」

「『I see.』だよ。昨日の夜単語帳で勉強した」


 一応『旅のお助け簡単フレーズ集』の本を持ってきたのだ。まあネットがあればなんとかなると思っていたが、このinternet-free――つまり、ネットが繋がらない――環境では、頼りになるのは紙媒体だ。

 きっと文明が破滅しても紙の本は残るんだろうなあ。紙強いよなあ。最強だよなあ。ジェイはパンツのポケットに入れておいたフレーズ集を叩いた。


「で、お前は分からないけど相槌は打っていたと」

「お前が言ったんじゃないか。現地に溶け込む努力をしろって。多分水がどうのこうの、っていう話をしてたと思う。井戸をさしてたから」

「That’s a start. (まあまあな滑り出しじゃないか)」

 ロベルトが子どもを褒めるような口調で言う。


 馬鹿にされてるのかは微妙なところだが、ジェイは素直に頷いた。


 洞窟で村の男に叱られてから、なるべく三人は個別行動をするように努めた。

 女受けの良いロベルトは主に年配の女性に話しかけ、見慣れれば人畜無害そうに見えるジェイは農業の雑用を引き受ける。

 多少、村人の態度は軟化しているように見える。


「この村は僕たちを殺しにかかってるのか」

 クリスがどさりとズダ袋を置いた。真っ赤な顔から湯気を吹き出して、全身汗がダラダラだ。

 二人の努力を嘲笑うように、クリスは頑なに村人と交流しようとしない。じゃあせめて植物でも調べてくれ、とクリスは村の外にお使いに出すことにした。決して追い出したわけではない。適材適所ってやつだ。

 獣に襲われたら嫌だと、クリスは生えている草木を引っこ抜いて家の前で仕分けをすることにしたらしい。

「お前それ後でどっかに隠しておけよ。勝手に取ってきたってバレたらまたキレられんぞ」というロベルトのアドバイスにも、聞き耳を持たない。

「まじで殺される」

 クリスはまだぶつぶつと言っている。

「そんな大げさな」

 ジェイは笑った。

「いや、大げさじゃない。ここにいたらいつか死ぬぞ」

「死ぬかよ。この村の人は問題なく生きているんだ。慣れれば案外快適かもしれないよ」

「どこらへんが?」

 いやに機嫌の悪いクリスは、しつこくジェイに絡んでくる。


「……えーっと、自然が豊かで星がきれいなところ?」

「星なんか見えないじゃないか」


 この村に来て早くも二週間ほど経つが、晴れた日は一度もない。いつもどんより曇り空だ。黒く厚い雲に覆われている割に、雨が降らないというのも気持ちが悪い。


「まあ確かに長く居たいとは思わないよな」

 珍しくロベルトがクリスに同意した。口が斜めに下がっている。いつも面白いことを探して輝いている目に力がない。


 こんなに不機嫌なこいつを見るのは珍しい、とジェイは眉を上げた。いつもどんな嫌なこともからりと笑い飛ばす性質の男だ。

 湿気と相性が悪いんだろうなとジェイは思った。ずっと一緒にいても意外な面というのは出てくるものだ。


「まあ、住めば都って言うし」

 そうは言ってみたが、あまり説得力がない自覚はある。


 森に囲まれた盆地であるここは、空気が動かない停滞した土地だ。

 閉塞感と圧迫感。まるでドーム型の見えない何かに囲まれているように、外と内の区別があるように感じられるのだ。


「息を吸ってるっつーより、水分を吸ってる感じがするよな」

 ロベルトが言うことには一理あるかもしれないとジェイは頷く。息を吸うたびに、重い何かが体に溜まっていくような気がする。それは汗をかいても、水浴びをしても消えることはない。


「だからこの村の人はボソボソ話すかもしれないよ」

 クリスがボソリと言う。

 ジェイとロベルトは何のことかと首を傾げた。


「水分が体に入らないように」


 クリスのダークジョークに、思わず二人は笑った。


 確かに村人は口をあまり開けないで話す。だから余計に何を言ってるか分からないのだ。これがこの村の特徴なのか、それともこの国の言葉の特徴なのか、判断がつかない。


 空港から直にここに来たからな。帰りは観光をして帰ろう。

 帰りのことを思えば、少し気持ちは軽くなる。そのためには何らかの成果を残さないと、とジェイは気を引き締めた。


 ◆◇◆◇


 ジェイの見る夢はさらに鮮明になってきた。

 幼い子どもは女の子のようだということがわかった。ボブカットよりやや長めの黒髪は、まるでハサミで一気に切ったかのように切り揃えられている。着ている物は着物だろうか。着物というのはもっと豪華で華美なものだと思っていたが、庶民の着るものはこれくらい地味なのかもしれない。


 女の子はいつも水場で遊んでいる。場所はいつも同じだ。暗いトンネルのようなところ。その突き当たりの奥だ。子どもの背丈ほどの高さのそこは、池だろうか。

 女の子は初めは浅いところで遊んでいる。ジェイはそれを見守る。だが、女の子は真っ暗な水にどんどん入っていくのだ。なんのためらいもなく。肩までつかり、やがて頭まで沈んでいく。ジェイは助けようと思うのに、体が動かない。

 だめだ、そっちに行っては。

 必死に手を伸ばすのに、女の子は沈んでいく。


『お兄ちゃんも、いっしょに、いく?』


 声が頭に響いて、ジェイは目を覚ます。

 はあはあと浅い呼吸を繰り返す。心臓が痛いほど鳴っている。額の汗を拭おうとして、体が軋んだ。どうやらよっぽど力を込めていたらしい。


「ううん、うーん」

 隣に寝ているロベルトが眉を顰めて寝返りを打った。

 こいつもうなされているのか?

 起こしたほうがいいかと手を伸ばしたが、ジェイは頭を振った。

 ただの夢だ。起きて冷静になれば、あの時感じた焦燥感は霞のように消えていく。


 それでもそのまま寝る気分にはならなくて、ジェイはバックパックからビールを取り出すと、一気に半分ほどあおった。

 ぬるい炭酸と苦味が喉元をすり抜けていく。アルコールが頭まで回ると同時に、一気に現実に引き戻された。


 ただの夢だ。


 残りの半分を飲み干すと、ジェイは再び布団に入って目を閉じた。


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