08. 洞窟
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あまりの暑さに上半身裸で歩いていたら村人に避けられた。
年頃の娘たちは三人が近づくと家人に家の中に入らされる。子どもも同じくだ。
「その格好はやめた方がいいと思う」
いち早く(と言っても数日かかったが)村人の警戒心の原因を察したジェイは、ロベルトに忠告した。暑くて仕方がないが、きちんとTシャツを着るようにしたら、ほんのわずかだけ村人の警戒が解けたような気がする。
「こんなに暑くて服なんて着ていられるか」
日焼けした上半身をむき出しにしているロベルトは軽く流す。
「通報されるぞ」
クリスは蚊に刺されて真っ赤な上半身を掻いた。
「だってずっと曇りで服が乾かねーんだもん。しょうがなくね?」
ロベルトの言うことも尤もではある。共用の洗濯機はあるが乾燥機はないらしいこの村では、ほとんどの村人は服を手洗いしている。それを手で絞り、外に干しておくのだ。湿気が高いためにいつまでも乾かない。さほど多くの衣類を持ってきたわけではない三人は、毎日服のコーディネートに苦労している。
まさかこんな田舎で服に悩むとは、デートをするわけでもないのに、とジェイは頭を抱えている。
村人とのコミュニケーションがうまくいかない三人は、今日も村の周辺の森を見て歩いている。
村人全員が水ぶくれしてるというのは、三人の中で意見が一致した。肥満ではなくおそらく水分だろう、と。
体質か?
それとも食生活か?
塩分が多い? 確かにその傾向は否めないが、飛び上がるほど塩辛いわけでもない。では肝機能障害か?
運動不足ではないはずだ。農業が主流だと思われる土地だ。村人は朝から晩まで外で作業をしている。機械化はもちろんしていない。何度か手助けを申し出たが、頑なに断られている。
この暑い中で妙に生き生きとしている作物と、疲れ果てたような村人との対比が不気味だ。
「鍬を持って虚な目で見られるのはなあ。表情変わんねーしな」
とはロベルトの言だ。
どこへ行っても遠くでひそひそされるのは、流石に堪える。だからこうして村の外に来てしまうのだが。
「多分、俺らが固まってるのがいけないんだと思う。田舎の人間は排他的だからな。どこの国でもおんなじようなもんだ。ばらけようぜ」
バックパッカー経験者のロベルトが言う。
「いやだよ! 危害を加えられたらどうするんだ!」
クリスは声を荒げて反対する。
「ロベルトの言う通りだ。打ち解ける努力が必要なんだよ。僕たちが三人で固まってるから、村の人も話しかけづらいんじゃないかな」
ジェイはロベルトに賛成した。
じゃあもう少し見回ったらばらけるか、と話していたところで以前見つけた洞窟の近くまで来ていたことに気づいた。
「おっ、せっかくだから入ってこうぜ」
冒険好きなロベルトはさくっと中に入っていく。鼻歌を歌い出す始末だ。
たじろいだジェイとクリスだが、顔を見合わせて目を回すと、ロベルトに続いた。
洞窟の中はひんやりとしていた。湿気が多いのは外と変わらないが、空気が冷たい分、体の表面が冷えて心地良い。
奥の方はわからないが、手前側はところどころ上部から外の光が入ってきているようだ。岩壁には苔が生えている。二階建ての建物ほどの高さの洞窟は、大型トラックが入りそうなほどの幅がある。
潮の香りとはまた違う、独特な水の匂いがする。カビというほど不快ではなく、さりとてプールの塩素のような鼻にツンとくる匂いとも違う。何かが発酵しているような匂い。生き物と死んだ物の中間のような匂いだ。
ぽた、ぽた、と雫が落ちる音が絶え間なく聞こえてくる。
三人はいつしか無言になっていた。
まるで掘り立ての墓の穴の前を通るような気持ちになってくる。近い将来に埋められるであろう穴には、かつて生きていた人間が入るのだ。それを『気味が悪い』とふざけるほど三人は子どもではなく、かといって子どもの頃の恐怖心が消えたわけでもない。
「もうやめよう」と誰も言うことができずに、三人は中へ進んで行く。
少しづつ狭まっていく岩壁に、だんだんと息が苦しくなってくる。浅く呼吸を繰り返すが、息を吸えている気はしない。肌寒いと思うほどの冷気なのに、汗が滲み出てくる。汗が背中を伝った。そのあまりの冷たさに思わず仰け反る。
一歩づつ前に進むたびに、足元を冷気に絡め取られていくような感覚がする。それなのに歩みを止めることができない。まるで何かに引っ張られるように三人は歩いて行った。
雫が落ちる音は前からも後ろからも聞こえる。前の音は三人を先導するように、後ろの音は三人を通せんぼするように鳴り響く。
ぽた、ぽた
ぽた、ぽた
ぽ――
「こんながは、入らさんな」
懐中電灯の光が三人の背中を照らした。振り向くと、強い光が三人の目を刺した。懐中電灯を持っているのは背の低い人間のようだ。声の低さからいって、おそらく高齢の男だろう。洞窟の入り口に手を付けている男は、表情はよく見えないが三人を睨みつけているようだ。
驚いて立ち止まる三人に、男はさらに言う。
「あぶねーっつってんだ。いいからさっさと出ろ」
男は懐中電灯を三人と外に向かって交互に動かした。
流石に男の言いたいことが通じた三人は、おっかなびっくり来た道を引き返して男の前を通り過ぎた。「ソーリー」と小さく謝ったが、男は口を真一文字に結んで顰めっ面をしている。鷲鼻で鼻の付け根に大きなほくろがある男だった。いいからさっさと出ろ、と顎で合図されて、三人は大人しく外に出た。
曇り空だが、わずかに漏れる陽の光に肩の力が抜ける。いつの間にか握りしめていたらしい拳を解くと、ジェイは手を開いて閉じてと繰り返す。
「ここは入っちゃいけねえって木原は教えてないのか? ったくあの役立たずは面倒ごとばっかり起こしやがって。いいか? ここには入るな。は い る な。わかったか?」
男は腕で大きくばってんマークを作ると、痰を吐き捨てて去っていった。
「すげえ怒られたな」
ひゅーと息を吐きながらロベルトが言う。茶化している声だが、いつもより張りがない。
「ほんと。ハイスクール以来ぶりかな。大人に怒られたの」
ジェイも調子よく返してみたが、語尾が震える。
クリスは真っ青な顔をしながら肩で息をしている。
怒られたのが怖かったのではない。洞窟の空気が異常だったのだ。
クリスを笑うことはジェイにはできなかった。無言でクリスの肩を軽く叩くと、三人は言葉少なげに家まで戻った。
スケッチブックには、『呪いの洞窟』とでも書いておこう、とジェイはぼんやりと思った。