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03. 家

「お兄ちゃんたち、帰ったほうがいいよ」

 子供特有の甲高い声に、三人は振り返った。ジェイは人懐っこい笑みを浮かべると、その子の前でしゃがんだ。

「ハロー。えっと、コンニチワ?」

 小学生くらいの女の子はびくりと体を震わせると、瞬時にジェイから距離を取った。真っ黒な目を見開いて、ジェイを凝視する。ごくりと唾を飲み込んで拳をぎゅっと握ると、目を瞑って口を開いた。

「お兄ちゃんたち、家に帰れ。ホーム、ゴー!」

 女の子はそう叫ぶと、走って逃げていった。


「……なんだったんだ」

 ジェイは困ったように頭を掻いた。

「あの子、なんだって?」

 ロベルトが聞く。

「そんなこと僕にわかるわけないじゃないか」

 ジェイは肩をすくめる。

「『ホーム、ゴー』ってもしかして、“Go home”って言いたかったんじゃないかな?」

 クリスはTシャツの裾で額の汗を拭いながら言った。


 三人の間に気まずい空気が流れる。


「あー……やっぱり歓迎されてないか」

 ジェイは残念そうに眉毛を下げた。

「まぁ仕方がないだろうな。俺らはよそ者の外人だからな」

 ロベルトは気にも留めていないようだ。

「僕たち、出て行ったほうがいいんじゃないかな。こんな辺鄙なところで村人全員に襲われたら、僕たち絶対に助からないよ」

 クリスは周りを警戒するように見渡した。


 ジェイとロベルトは同時に笑いだした。

「さすがにそれはないだろう」

「お前B級ホラー映画の見すぎだよ」


 二人に笑われたクリスは、かっとして頬を赤らめた。

「僕はきちんと警告したからね。後で知らなかったって言っても遅いんだからな!」

 クリスは肩を怒らせて歩き出した。

 遠くから先ほどの男が手招き――それは母国だと『あっち行け』のサインだが、おそらく来いと言っているほず――をしている。

「あらら。プリンスは繊細だね」

「ちょっとロベルト、マジでそういうのやめてくれよ。間に入る僕の身にもなってよ」

 はいはいと流すとロベルトも、クリスの後をのんびりと歩いて行った。


 どこからか視線を感じたような気がして、ジェイは後ろを振り返った。人の集落だというのに、驚くほど静まり返っている。

 もしかして本当に見られているのかも。

 そんな思いがちらりと頭を横切る。バカけた考えを振り切るように、ジェイは首を振って二人の後に続いた。


 ◆◇◆◇


 家主だと紹介されたと思われる男は、背の低い腰の曲がった男だった。顔がパンパンに膨れている。指もズボンから覗く足首も同じだ。名前は木原と言うらしい。自分のことを指差しながら「キハラ、キハラ」と言っていたから、おそらくそれが男の苗字なのだろう。

 いや名前なのだろうか。

 ジェイは一瞬首を傾けたが、とにかくこの男は木原だ。

 ジェイたちも自己紹介をした。つい母国風に名前を名乗ったが、良かったのだろうか。

 この国の人は礼儀を重んじるという。無礼だ! と切り捨て御免でもされたら、とジェイは内心ヒヤヒヤだったが、木原は気にも留めないふうに頷いている。


 木原は、前歯のすべて抜け落ちた口をニコッとさせて、ジェイたちの住む予定の離れを案内してくれた。

「離れっつうか。これはあばら小屋だな」

 ロベルトがボソリと呟く。


 木造平屋建ての、一応一軒家だと思われるその家は、天井もドアの高さもすべてがジェイたちには小さく、これ絶対寝ぼけて何度か頭ぶつけるよなとジェイは思った。

 すべての窓とドアが開けっぱなしになっている。長いことを人が住んでいなかったような、こもった匂いが立ち込めてきた。


「村松、木原、フレンド、オーケー?」

 木原はなまりの強い言葉で言った。

 一応英語でコミュニケーションをとってくれる気はあるらしい、とジェイはほっとした。

 木原は何かをねだるような顔で、ジェイの顔を見ている。

「あ、そうだ。これお家賃です。換金してきました」

 ジェイは決して少なくはない数の紙幣を木原に受け渡した。

 木原はその場で封筒を開けると、札束を数え始めた。指を唾液で濡らして数えること三回。やっと満足したらしい木原は、にっこりと笑ってサムズアップをした。


「飯は後で持ってくるからよ」

 木原は何か口にかっ込む仕草をした。

 おそらく飯のことを言っているのだろうと検討をつけたジェイは、笑顔でサンキューと言った。後ろで二人もボソボソと同じ言葉を繰り返す。

 木原は手を振っていなくなった。



 ジェイは猫背になった背をうーんと伸ばした。背中がピキリと音を立てる。

 熱心に書き込んでいたのは日誌だ。スマホで何でも記録できるこの時代に、紙に何かを書き付ける機会などほとんどないが、教授からのアドバイスで持ってきてよかったとジェイは思った。教授曰く、フィールドワークをするような田舎はインフラが整っていないことが多いから、いざと言う時に頼りになるのは紙とペンだそうだ。

 この村もその例に漏れず、一応電気は通っているらしいのだが、このあばら小屋には電気が通っていない。電球らしいものは申し訳程度に天井にぶら下がっているのだが、点かない。

 おそらく誰も使っていないこの家の電気料金を払っていないのか、それとも壊れているのか。明日木原に確認しないといけない。今手元にあるのは懐中電灯だ。日は落ちてからもしばらく明るかったが、そろそろ字も見づらくなっている。やめ時だろう。いつまでも懐中電灯をつけっぱなしにしておくわけにもいかない。


 モバイルバッテリーはいざという時のために節約しておかなければ。写真もたくさん取りたいし、調べ物をするにはスマホかタブレットが必要だ。だが、困ったことにこの家、全く電波が入らないのだ。さっきからロベルトとクリスは電波を求めて家の中をウロウロしていた。が、家の中ではらちがあかないと思ったらしい二人は外へ出かけて行った。


 クリス、あんなにもう一歩も動けないって言ってたのに、電波が通じないだけであんなに必死になるなんて、現代っ子だなぁ。いや現代病か。


 そこまで不自由を感じていなかったジェイは、今のうちにこの村に来るまでの過程と村人の印象を日誌にまとめておこうと思った。記憶というのはすぐに薄れてしまう。それに第一印象ファーストインプレッションというのはすぐに薄れてしまうものである。これも教授の教えだ。


 それにしても……

 ジェイは低いテーブル(これが噂のちゃぶ台と言うやつか?)に広がった資料を遠くから眺めた。信じられないことに、この家には椅子というものがないらしく、食事も書き物もこの低いテーブルを使うしかなさそうだ。あぐらを組んで座るしかなく、ジェイは何度もテーブルに膝をぶつかっている。

 よくこんな低いテーブルで足をぶつけないものだとジェイは感心した。


 家の木の柱には短い縦線がいくつも付いていた。鉛筆で書かれたのであろうその線は消え掛かっているが、その隣には何かの文字と数字が書かれている。ジェイには読めないが、何かの単語のようだ。

「うーん、なんだろう? なんかの計測に使ったのかな?」

 ジェイは3、4、5、6と、上に行くに従って増えていく文字をなぞりながら考える。

 よく見ると線は二種類、濃いものと薄いものがあり、その隣にある文字は線の太さと合致している。

「ちょっとずつ大きくなっていくもの……この高さ……子どもの身長? 子どもが二人いたのかなあ」

 ジェイは納得しないようにつぶやいた。

 ジェイの脛あたりから始まっている縦線は、腰丈より低い位置でピタリと止まっているからだ。

 何かの伝統的な儀式かもしれないと結論づけて、ジェイはテーブルに戻った。


 ジェイたちは、この村の原因不明の事件を研究するために来た。

 村人、特に老人の肺に水が溜まって溺死する事件が何十年にもわたって続いているらしい。

 共同の風呂場や川で発見されることが多いから、老人の不注意やうっかりによる事故だと思われているが、不可解な点が多い。川は村から険しい道を一時間ほど登ったところにあり、魚が取れるようなところでもないらしい。川とは呼べないくらい細い水の流れが僅かに確認できるだけのところだそうだ。

 つい最近も、川の近くでバケツを握りしめて亡くなっている老人がハイキング中の観光客によって発見された。ヘリが出動したため、その費用は誰が払うのか揉めたらしい。

 そしてジェイが一番興味を引かれたのは、必ずしも全員が水場にいたわけではないということだ。布団で亡くなる人もいる。もちろん死因は、肺に水が溜まったことによる溺死だ。


『水が原因?』

 ジェイは日誌にそう書き込んで閉じた。

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