29. 鞠
女の子はジェイの首から腕を引き抜いた。ジェイと一緒に落ちた衝撃で腕が変な方向に曲がっているが、気にした様子もない。
「あともうちょっとだったのに」
女の子は残念そうに呟いて、しゃがんでジェイの頭をいいこいいこしながら撫でた。愛しむようなその手に悪意はない。
「私らの寝床に男を連れ込もうなんてお前も大人になったねえ、まあもう死んでるけど」
黒いモヤの中から出てきたのは一人の十代半ばほどの少女だった。真っ赤な着物に金色の刺繍が入った着物は華美だが、袖は汚れ胸元は切り裂かれている。少女は女の子の頭にぐりぐりと手を押し付けると、女の子の頭が揺れるほど髪の毛を掻き回した。
女の子は鬱陶しそうにそれを払う。
「だって、お兄ちゃん遊んでくれるって」
「それでおめかしして髪の毛も整えたのかい。お前も一丁前の女だねえ。女は死んでも女だなんて、まったく業が深いもんだ」
少女はおかしそうに笑った。揶揄うようなその響きに女の子が少女を睨んでも、意にも介さないように腰に手を当てている。
「そんな意地悪なこと言わないの。タキだって頑張ったんだから。ね、タキ?」
優しく女の子に声をかけたのは白銀の長髪の女だった。三人の中では一番年長者だろう。派手さはないが灰色の立派な着物を着て穏やかな笑みを浮かべている。
「スエお姉ちゃん! アイがいじめる!」
タキと呼ばれた女の子はスエの着物にしがみついた。スエはタキを抱き上げて目元に唇を落とす。
「タキね、がんばったの。お兄ちゃんをごしょうたいしたのよ」
「こいつらがっつり黒い水飲んでるみたいだけど、どうやったんだ?」
アイと呼ばれた少女は端に転がっているクリスの腹を足で突いた。
「お兄ちゃんたちね、タキのおうちにすんでたのよ」
タキは嬉しそうに話し出す。
「お前の家ってあれかい、村の外れのボロ小屋か」
「ボロじゃないもん。アイはいったことないでしょ! とうちゃんとかあちゃんとタキとおとうとがすんでたとこだもん」
タキはぶんぶんと拳を振り回す。「こーれ」と叱りながら、スエは宥めるようにタキの髪の毛を梳いた。スエのすらりとした指が頭を撫でると、タキはうっとりするように目を細めた。
「お兄ちゃんのゆめに入ってね、いっしょにあそんだの。お兄ちゃん、かぞくがほしいんだって。だからタキがなってあげるの」
「「…………」」
年長者二人は無言で視線を交わした。
アイはこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
「あのな、タキ。お前は両親に捨てられたんだよ。お前の親父が借金で首が回らなくなったから、村長がそれを肩代わりしてお前が生贄になったんだ。家族なんてそんないいもんじゃねえぞ」
「ちょっと、アイ。この子はまだ小さいんだから」
スエが嗜めるが、アイはそれを鼻で笑った。
「はっ! 子どもっつったって、生きてたらもう婆さんの歳だろう。……タキ、こいつらをどうやってここまで引っ張ってきた?」
アイは目を細めて低い声で聞く。
「おとうとに、お兄ちゃんたちに黒のお水をのませてっておねがいしたの。でも、なかなかのませてくれなかったのよ。だからお兄ちゃんを夢でよんで、ここまできてもらったの。なのに、いじわるなおじさんが連れてかえっちゃったの。だからね、おじさんのおなかをパンってしたの。タキはわるくないのよ。だっておじさんがいじわるしたんだもん。それでね、お水のませてくれなかったら、おとうともこうなるよって夢で言ったの。そしたらきのうの夜にやっとのませてくれた。夜にお兄ちゃんたちが寝てるときにね、お口に入れたの」
タキはつっかえつっかえ話す。その目は友だちと遊んだ時のことを話すように煌めいている。
「ああ、あの歯がないジジイか。お前の血族だったんだな。だから介入できたのか」
アイは納得したように腕を組んだ。
タキはこくりと首を上下させる。
「お兄ちゃんたちもう帰っちゃうんだって。おとうとももう死んじゃうから、早くしなきゃって思ったの」
「……それで大雨を起こしたのね。タキ、お水の力はゆっくり使わないとダメって言ってあったでしょう。タキが自由にできるお水はもうなくなっちゃったわよ。困ったわね。村人が困るわ」
スエは眉を下げてため息をついた。
「いいじゃねえか、村がどうなろうと」
「でもお兄ちゃん来てくれた」
二人の反論にスエは呆れた顔をする。それにムッとしたらしいアイは語気を強めてタキを褒めた。
「よくやった、タキ。お前も男を手玉に取れるようになったんだな。せいぜい利用してやれ。でも気をつけろよ。いいか、男の遊びなんて一つしかないんだよ。こいつら、私を散々弄んで、最後には四㽷に投げ捨てやがって。『人柱になっていただいた』なんてほざきやがって! 人の一生なんだと思ってやがるんだ!」
アイはジェイとロベルトの体を力一杯蹴った。
「やめて! お兄ちゃん、連れていくの!」
タキはスエの腕から出ようともがくが、スエはタキを腕に閉じ込めて離さない。お願いする目で見ればいつもタキは『しょうがないわね』と許してくれるのに、今日はダメなようだ。タキは涙目で唇を噛み締めた。
「そこら辺にしておきなさい。いいじゃない、たまには男が入っても。私たち生け贄は、私たちみたいな生娘か、あなたたちみたいな女ばかりだから。たまには殿方と話をするのもいいんじゃないかしら。ふふふ」
威厳のある声でアイに命令すると、スエはころころと笑い出した。鈴の音の鳴るような軽快な音が洞窟にこだまする。
「チッ! これだからお嬢様は。御沼池家のお嬢様は、アタシら庶民とは違いますからねえ。蝶よ花よと育てられて、最後には人柱になるとは、ご立派な人生ですねえ」
アイは吐き捨てるように嫌味を言う。スエは微笑みを絶やさずにそれを見つめる。
「スエお姉ちゃん、お兄ちゃん連れていっていい?」
タキはおずおずと切り出す。スエはタキと目を合わせると、タキのおでこにコツンと自分のそれを当てた。
「いいわよ。でも約束して。これが最後だからね」
「はい、スエお姉ちゃん」
「もうタキはお水を使う力は残ってないの。これ以上無理したらタキが溶けちゃうからね」
「はい、スエお姉ちゃん」
タキは素直に返事をする。スエはタキの頬を優しく撫でると、困ったように眉を下げた。
「また生け贄が必要になるかもしれないわねえ。村のお水がなくなってしまうわ。まあでもそれは置いておいて。じゃあアイ、お願いできるかしら?」
スエはアイに声をかける。アイは嫌々な態度を隠さずに、その苛立ちをぶつけるように力いっぱいジェイの腹を蹴り破った。黒い水と共に、口からほんわりと光る何かが出てきた。アイは喉に手を突っ込むと、それを引きずりだす。
「お兄ちゃんに何するの!」
タキはスエの腕から逃れるとアイの脚を拳で叩いた。
「いてて。何ってお前、魂を引っ張り出してやってるんじゃねえか」
「たましい?」
「そうだ、これ」
アイは緩やかに光るそれをタキに手渡す。タキは着物の袖で魂についた黒い水を拭うと、じっと見つめた。
「きれいね」
タキはうっとりとした目でつぶやいた。
「タキ、ずっと鞠が欲しかったって言ってたでしょう? まあるくするといいわよ」
スエの言う通りにタキは魂を丸めて鞠にした。なかなかきれいなまん丸にはならなかったけど、タキの鞠だ。ずっと欲しかった鞠と、お兄ちゃん。タキはにこりと笑う。涙がまだ目元に残っていて、それが一粒頬を弾くように落ちていった。
それを呆れた様に見ながら、アイはジェイの両手を乱暴に掴むと、死体を洞窟の外にひきずっていく。
「アイ! お家は反対!」
「私らの寝床に男の体なんて漬けられるわけねえじゃねえか。水が汚れちまうからなあ。そうだろ、お優しいお嬢様?」
アイはスエを上から下まで値踏みするように見た。
「そうね、お水が濁ってしまったら村人たちの飲み水がなくなってしまうわ。村のみんなは私たちの祝福で命を繋いでいるのだから、ね」
難しい話はタキにはよくわからない。タキは自分のものになった鞠を弾ませてみた。ぽよんぽよんとよく跳ねる鞠に嬉しくなる。タキは鞠をぎゅっと抱きしめると「ずっと一緒よ、お兄ちゃん。タキがかぞくだからね」と話しかけた。
鞠は困ったようにほんのりと光った。
◆◇◆◇
記録的な豪雨が地方のある地域を襲った数日後、一つのローカル記事が全国紙に掲載された。海外から研究のために四㽷村を訪れていた大学生三人が死亡したという内容だった。
遺体は村の外れで発見された。発見者は豪雨の被害を見回りに来ていた四㽷村の住民だ。遺体の損傷は激しいが、解剖の結果、溺死であることが判明した。フィールドワーク中に豪雨に巻き込まれたのではと関係者は話しているという。
感染症疑いのため、火葬。遺骨は遺族の元に送り返された。




