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27. 喪失

 ◆◇◆◇


 しばらく無言で先に歩いていく。明かりは完全になくなっているが、まるで二人を導くように水晶が道を照らしていく。本当は水晶が照らしていないところに脇道があるのかもしれない。外に通じる道もあるのかもしれない。そう思いはすれど、暗闇の中の唯一の光源から離れる気には到底なれなかった。


 持ってきていた懐中電灯はバッテリーが切れてしまった。スマホは水没したのか、何度ボタンを押しても暗いままだ。光がないと人はこうまで脆いものなのかとジェイは実感した。街灯に群がる虫の気持ちが今ならわかる。人も動物も虫も、光がないと生きていけないのだ。


 楽しそうに跳ねる水音が聞こえてくる。楽しそうってなんだよと自分に突っ込むが、そう聞こえるのだから仕方がない。無邪気なほどの軽やかさに、神経が逆撫でされる。こっちはこんな目に遭ってるのに。理不尽な思いが胸に満ちるが、そんなことに気を取られている場合ではない。後ろではロベルトがクリスの重い体を運んでくれているのだ。ジェイの役割は帰り道を見つけることだ。


 思考がブレていたのはほんのわずかな時だったように思う。その隙をつくように、ジェイの前にふっと子どもが現れた。まるで煙のように一瞬で姿を現したのだ。


 いや、そんなわけはない。ジェイは乱暴に目を擦った。

 くそ、視界がぼやける。

 奥に行くにつれて洞窟の中の水分が多くなっていくのか、霧のような灰色のモヤがかかっている。滝でもあるのだろうか。それにしては静かすぎる。

 ジェイは目をぎゅっと閉じて開いた。女の子だろうか。着物を着たその子はまだいる。前髪が長く、顔に影を作っている。表情は見えない。ジェイはゆっくりと女の子に近づいてしゃがみ込むと声をかけた。


「こんにちは。迷子? ママと逸れちゃったのかな?」

 そうだったら困るけど朗報だ。どこかに出口がある可能性が高いからだ。

 女の子は黒髪の隙間から真っ黒な目でジェイを見上げる。

「えーと、なんだ、ハジマテ? いや、ヘメマジテ? 挨拶はなんていうんだったっけな」

 無理やり作った笑顔が引き攣る。頭にモヤがかかったように働かない。

 女の子はジェイに手を伸ばした。ジェイはその手を取った。死んだ魚のような冷たさに、反射的に手を払いそうになる。それをぐっと堪えてジェイは口角を上げた。

「ママのところにつれて行ってあげるから。行こう」

 安心させるように女の子の黒髪を撫でたが、頭皮までしっとり濡れている。ボブより少し長めにカットされた髪の毛から水が滴り落ちている。ぽたりぽたりと垂れる雫を拭うこともせず、女の子はジェイを見続ける。

 外の大雨にやられたのかもしれない。低体温症が心配だ。

 抱き抱えるか、それとも背負っていくか。考えた末、ジェイは女の子をおんぶした。両手が塞がるのはよろしくない。つるつる滑る岩肌に足を取られたら大惨事だ。女の子は華奢な見た目とは思えないほど強い力でジェイにしがみついた。首に回った腕に喉が潰れそうになるが、何も言わずにそのままにさせる。

 よほど怖かったのだろう。ジェイは安心させるように女の子の足に軽く手を添えた。足も冷え切っている。鳥肌が立ちそうなのを誤魔化して、腕を後ろに組んだ。


「なあ、この子さ」

 ジェイはロベルトに話しかけたが、違和感を感じて途中で言葉を切った。

「ロベルト?」

 声をかけても返事はない。

「おい、ロベルト、どこだよ?」

 辺りを見渡してもロベルトの姿は見えない。灰色の霧が揺れ動くが、生き物の気配がしない。

 しまった、はぐれたか。いつからだったのだろう。

 血の気が引きながら駆け出そうとしたところ、濡れた岩を踏んで転びそうになった。近くの岩壁を掴んでなんとか耐える。

「ごめん、びっくりしたよな。僕の連れのさ、ロベルトってやつが見えなくて。あいつはいっつも注意散漫だからさ、なんか面白いものでも見つけてどっかで道草食ってるのかも。はは」

 通じないことはわかっているのに、ジェイは早口でそう捲し立てた。妙に甲高い声が出た。声が震えそうになるのを笑いで誤魔化した。

 大丈夫だ。まだそんなに歩いていないはず。近くにいる。絶対に近くにいるはずだから。自分にそう言い聞かせるそばから、不安が押し寄せてくる。まさか、という思いを飲み込んで、慎重に歩き出した。


 ドク、ドク、と耳の中で脈の流れる音がする。

 ドク、ド、ドドドク。ああいやだ、不整脈ってやつか。おっさんでもあるまいし。

 早鐘を打つ心臓に悪態を吐きながら自分を叱咤する。

 しっかりしろ。ロベルトはクリスを背負っているのだから、そんなに遠くへはいけないはずだ。来た道を戻れば絶対に会える。


 耳の後ろから衣擦れの音がした。女の子が無言で前を指差している。紅葉のような小さな手だ。その先には何かが、いや誰かが倒れている。あのピンク色のTシャツは、クリスが着てた――


「ロベルト!」

 ジェイは滑りそうになるのも構わずに走り出した。クリスの巨体からはみ出すように、ロベルトの後頭部が見える。かろうじて触れる耳はゾッとするほど冷たい。

 クリスの体をどかそうとして、ジェイは体が自由に動かないことに気づく。背中に背負っている女の子がジェイの体を締め付けているのだ。ジェイは女の子を下ろそうとするが、女の子は頑として降りようとしない。諦めたジェイは女の子をそのままにすると、ありったけの力を振り絞ってクリスの体をどけた。

 くらりと眩暈がした。息が乱れる。吐き出す息が黒い。

 眉を顰めたが、それどころではない。

 クリスの体は力無く転がる。それを申し訳ないとは思えど、事は一刻を争う。


 ジェイはロベルトの体を仰向けにすると、ロベルトを揺さぶった。

「ロベルト、ロベルト、起きろ、起きろってば」

 震える手でロベルトの頬を叩く。反応はない。さっきロベルトがクリスにしたように首元で脈を取ろうとするが、コントロールできない手の震えにそんな簡単なことさえできない。口元に手を当ててみても、息をしているかは判別がつかない。だって息をしていないなんてこと、あるわけがないじゃないか。ロベルトだぞ?


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