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25. 破裂

「取れた!」

 ロベルトが大きな水晶を手にした。ロベルトの手のひらサイズのそれは、どこまでも透明で淡く光っている。


 一瞬水滴が落ちる音が途切れた気がしたが、音はより早く大きい音になって洞窟に響き出した。ジェイはそれを意識の外に追い出す。

 気のせいだ。そうに決まっている。

「おお! すげーデカい! エリカ喜ぶな!」

 ジェイは懸念を振り払うように大袈裟なほど大きな声を出した。

 ロベルトに手渡された水晶を目の高さまで掲げて観察する。宝石に詳しくないジェイでも価値がありそうだと思えるくらい水晶は透明度が高かった。


「よこせ」

 後ろから水晶を奪われて、ジェイはバランスを崩した。咄嗟にロベルトがジェイの体を受け止める。

「おい、ずいぶんじゃねえか」

 ロベルトが低く唸った。目線の先にいるのはクリスだ。

 クリスは真っ青な顔をしている。額には脂汗が浮かび、呼吸も苦しそうだ。その手にはロベルトの水晶が握られている。血走った目を限界まで開きながら、ロベルトを睨みつけた。

「これは僕のものだ」

「は?」

「ここらじゅうにたくさんあるんだから、お前らは他のやつを採ればいいだろ」

「それは俺らが苦労して採ったやつなんだけど」

「さっきからガンガンうるさいんだよ。採りたかったらまた石をぶつければ? お前みたいな筋肉バカにはお似合いじゃないか」


 一発触発の空気に、ロベルトの腕の筋肉が盛り上がる。きつく握った拳は今にもクリスに殴りかかりそうだ。ジェイは慌ててて間に入る。別にクリスを擁護したかったのではない。ジェイだってむかついている。だがこんなところで喧嘩をいている場合ではない。それに、クリスのドラッグはまだ抜けきっていないかもしれないのだ。脳のリミッターが外れたやつはヤバい。ロベルトには無事に帰国してもらわないと。

 僕がエリカに殺される。怒ると美人は怖いんだよ。

 エリカに真顔で詰め寄られる自分の姿を想像して、ジェイは身震いをした。


「クリス、体調はどうだ? ちょっとはマシになったか?」

 ジェイは傷ついた野生動物を手なづけるようにゆっくりと両手を見せて近づいていく。

「おかげさまで最悪だよ。頭は痛いし喉も痛いし腹も痛いし」

 クリスは吐き捨てるように言った。

「それに、お前ら、僕が寝てるうちに何か飲ませただろう?」

「は?」

 ロベルトが拳を鳴らしながらクリスの目の前に立った。

 怖気付いたクリスだが、負けじと声を張る。

「昨日の夜だけじゃない! ここに来てからずっと、僕は薬物を投与され続けているんだ! ここに来てからずっと、僕の体調はどんどん悪化している! お前ら、国に帰ったら訴えてやるからなっ!」


 クリスのあまりの剣幕にロベルトも動きを止める。目を細めてクリスを観察すると、ジェイに目配せをした。


 やべえな。

 うん、やばい。


 ジェイも小さく頷いた。


 一歩引いたロベルトに気づかず、クリスは頭を掻きむしり始めた。

「この水音を止めてくれ!」


 黙った二人に焦れたように、クリスは続ける。


「なんかタプタプ音がするんだよ、ずっと!」

「……音? ああ、この音は多分洞窟のどっかから漏れてる音だから、止められないと思うぞ?」

 ジェイはつい真面目に答えてしまった。やめておけとロベルトに腕を引っ張られたが、返事をしてしまったのはもうしょうがない。

「……洞窟から? わああああああ! こっちからも音がする! こっちからもだ! 止めてくれ! 止めてくれえ!」

「だから無理だってば」

「お前らなんでそんなに平然としてるんだ? タプタプする音が聞こえないのか!?」


 タプタプ? と二人は眉を顰めた。


「腹からだよ! 腹から、タプタプする音が、ずっと聞こえるんだっ! どんどん大きくなるんだよ! 溢れてしまう!」


 うーん……

 ジェイは頭を掻いた。こんな時に笑っちゃいけないと思うのに、笑いが込み上げてきそうになる。


「はっ、そりゃ水の飲み過ぎだろ。それかビールか? お前、一人で飲んでたのかよ、ずりーな」

 ロベルトが鼻で笑うようにクリスを揶揄った。


 ああ、なんでこいつは火に油を注ぐようなことを。

 ジェイは呆れたように天を仰いだ。


「水なんてこの三日間、一滴も飲んでない!」

 クリスは必死そのものだ。まるで、これだけは分かってもらわないと命に関わるかのように。

「そりゃ盛りすぎだろ。水飲まなかったら死ぬぞ」

 こんだけ暑いんだし、とロベルトは冷静に答える。

「仕方ないだろう! 本国から持ってきた水がなくなっちゃったんだから!」

「ここの水飲めば?」

 ジェイもつい常識的な答えをしてしまう。

 ないならあるところから持ってくればいい。子どもでも気づくことだ。

「いやだ! ここの水は変な味がする!」

 クリスはいやいやというふうに頭を振る。

「この坊ちゃんが。ヨーロッパから空輸されたミネラルウォーターじゃないとお口に合いませんかね」

 ロベルトは肩をすくめた。ロベルトの物言いは今更矯正できるものでもないので、ジェイはロベルトを呆れたように見つつも放っておくことにした。


「違う! 水が黒いんだ! 水が黒くて、水蒸気も黒くて、息をするたびに体に入る空気も黒くて! 肺が、内臓が、体が、……あはははは! そういうことか! だからここの老人はみんな溺死して! お前らも、村人も、みんな死ぬ! 黒い水が、あはははは――」

 クリスは口から泡を飛ばしながら体を痙攣させた。

 狂ったように笑い出したクリスの体は、まるで壊れたオモチャのように不規則に揺らぎ出した。胸元がぐっと膨らんで、クリスの体は宙吊りになったかのように上へと伸びる。

『パン!』という音がしたのは一瞬のことだった。クリスの胸を突き破るように湿った音が響いた。

 目を見開いたクリスの体がぐらりと傾く。ジェイとロベルトは、どこからか銃を打たれたのかと思って咄嗟に身を屈めた。だが、音は一度きり。クリスの体の中からしたものだけだ。


 体を傾けたまま、クリスはしゃがんだジェイを見下ろす。一瞬目が合った。クリスの唇が震えながら動いた。何かをジェイに伝えようとしているとジェイは本能的に感じた。それを読み取ろうと目を凝らすが、クリスは白目を剥くと糸が切れたように崩れ落ちていった。

 巨漢がどさりと床に放り出された振動が伝わってくる。クリスの強く打った後頭部からは、じわりと血が滲み出てきた。大きく開いた口からは、黒いヘドロのような液体が出てくる。生き物のように蠢く黒い液体は、クリスの顎を伝わり首から下に流れていく。見開いたままの目はもう何も映し出していない。


 まるで、夜中に目撃した男の死体のようだ。


 強烈なデジャヴにジェイは身を震わせた。

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