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22. 拒絶反応

 ◆◇◆◇


 雨足は弱まるどころか強くなる一方だ。叫ばないとお互いの声もうまく聞き取れない。早くクリスを探さないと。

 焦るジェイの肩をロベルトが強く掴んだ。ロベルトは親指で何かを差している。目を細めてそちらを見ると、ジェイは納得したように無言で頷いた。泥濘に足を取られながら二人がたどり着いたのは、例の洞窟だった。入り口には雨が降りかかっているが、少し中まで進めば雨は入ってこない。ジェイは大きくため息をつくと、びしょ濡れのフードを外した。ナイロンのカサカサという音は無くなったが、その代わりに雨の音がさらに大きく聞こえるようになる。

 今更ながら、よくこんな中を外に出たものだと思う。


 ロベルトはTシャツを脱いで絞ってる。ジェイもそれに倣った。ひんやりとするこの洞窟中で濡れたままでいたら風邪をひいてしまう。


「これ、戻るのにも一苦労だぞ」

 疲れたようにロベルトが言う。

 せめてクリスを見つけられればとジェイは辺りを見渡すが、暗くてよく見えない。その考えを読んだように、ロベルトが懐中電灯を灯した。

「お前……」

「一応、な。備えよ常にって言うだろ」

 さすがアウトドア男。ロベルトはなんて気の利くやつなんだろう。ジェイは感動して、ついでにとばかりに聞く。

「ちなみに非常食とかは?」

「流石にそこまで準備してねえよ」


 ですよねー。

 ぺったんこになりつつある腹をさすりながらジェイは呟く。


「あー、でもマッチでも持ってくればよかったな。夏とはいえ、冷えるとやばいぞ」

「こういう時のお約束って……」

 ジェイは言葉を区切った。

 遭難、低体温症といえば、頭に思い浮かぶのは人肌で温めるってやつだ。

 ぶわりと鳥肌が立った。

「僕は嫌だからな」

「俺だって嫌だよ」


 意見が一致して何より。ジェイは絞ったジーパンを何とか履き直した。


「……なんか、まじ悪かったな。僕の研究につき合わせて」

 ジェイは気まずげに切り出した。

 ロベルトは友人も多くいるし、来年の卒業後はすぐに結婚する予定だ。フィアンセだって彼氏が夏に丸々居なかったら普通は怒るものだ。でも彼女は快く送り出してくれた。


「いいって。これはこれで面白かったから。俺らがじいさんになっても笑えるネタだぞ」

 ロベルトはなんてことない風に言う。その器の大きさに、ジェイは地味にへこんだ。


「僕ももっと心が広かったら結婚できるのかなあ」

 冗談っぽく言ったはずなのに、妙にしんみりとしてしまう。

「何、お前結婚したかったの? 早くね?」

「お前が言うな」

「俺はもう運命のハニーに出会っちまったからな。まあ、別にゆっくりでいいんじゃね。競争なわけでもないし」

「そうだね。僕もいつか運命の人に出会えるかな」

「お前のなー、その素直なところ可愛いって思う女はいると思うんだけどなー。お前はいい奴すぎるからなー」

 感心したような、心配するような声でロベルトが言う。

「可愛いって……」

 やや引きながらジェイはロベルトから距離を取った。

「ってエリカが言ってたんだよ」


 エリカはロベルトの婚約者だ。美人で高校時代はチアリーダーをやっていた高嶺の花だった。フットボール選手と付き合っているという噂をからりと笑い飛ばし、ロベルトと付き合いだしたのはprom(ダンスパーティー)の時だった。

 エリカのような可愛い子に可愛いと言われると複雑だ。かっこいいって言われたいのに。ジェイは鼻に皺を寄せた。


「大器晩成型なんじゃねえの?」

「おい」


 褒められてるのか貶されてるのか微妙なロベルトの発言に一応突っ込んでみたが、ジェイの口元は緩んでいる。

 やっぱりロベルトと来れてよかった。自分より先を進んでいるロベルトを見て焦っていたけど、マイペースでいいのかもしれない。


「お前が結婚する前に一緒に旅行できてよかったよ」

 ジェイはロベルトに笑いかけた。

「いやまじすげー素直じゃん、フラグ立つぞ」

 ロベルトはおどけたように腕をさすった。


 洒落にならないこと言うのやめろよ、と言いかけたところで、奥から叫び声が聞こえてきた。『ヘルプ!』と言ってるように聞こえる。二人は即座に走り出した。


「クリス!」

 クリスはさほど入り口から離れていないところにいた。うずくまって喉を押さえている。

 おえっ、おえっと苦しそうにえずいているが、うまく吐き出せないらしい。ジェイはクリスの背中を叩いた。吐くのを助けようとしたつもりだったが、クリスは体を捻って腕でジェイを吹っ飛ばす。壁に叩きつけられたジェイはその衝撃に息を呑んだ。


「っ!」

「大丈夫か!?」

 ロベルトがジェイの背中をさすった。それに涙目で頷くと、ジェイは「大丈夫、それよりクリスをなんとかしないと」と体を起こした。


 急性中毒になっているのかもしれない。体が何かを拒否しているのだ。早く吐き出させないと。


「ったくしかたねえな。クリス、噛むなよ」

 ロベルトはクリスの口の中に手を突っ込んだ。抵抗しようとする手を掴み、さらに奥へ手を入れる。クリスは暴れ出した。もう片方の腕がロベルトを殴りそうになるところを、ジェイは後ろから羽交締めにした。


 クリスは胃の中から盛大に吐き出す。吐瀉物がかかったロベルトは「げっ」と後ろに飛び退いた。ジェイもクリスの体から腕を外して見守った。


 しばらく痙攣していたが、やがて落ち着いたクリスは地面に寝転がった。涙目に鼻水が垂れ、肩で息をしている。呼吸も安定してきたようだ。


「おおーい、大丈夫か?」

 ジェイはクリスの顔の前で手を振った。クリスはそれを鬱陶しそうに見て顔を横に向けた。


 よし。意識はあるみたいだな。


 ジェイはほっと息を吐いた。ロベルトは自分の指をなんどもTシャツに擦っている。

「こいつ、噛みやがった」

 恨めしそうにクリスを睨む。わずかに血が出ているようだ。

「一応洗ってきたほうがいいんじゃない? ほら、感染症とか」

 ジェイはその傷を見てうわあと顔を顰めた。四本指にくっきりと歯形が付いている。

「洗うって、どこで?」

 ジェイは外を指差した。

「まじかよ」


 ロベルトは自分の指と外の大雨を交互に見た。重いため息をつくと、外に向かって歩き出す。どちらがまだマシか――いわゆる the lesser of two evils ――を天秤にかけた結果、雨の方がマシだという結論に達したのだろう。「すぐ戻る」と言い残して、ロベルトは来た道を戻って行った。


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