19. 衝突
◆◇◆◇
翌朝は土砂降りだった。深夜過ぎからポツポツと降り出した雨が本降りになるのには、さほど時間はかからなかったように思う。寝ぼけながら雨音がうるさいなと思っていたジェイは記憶が曖昧だが。
今日はもう一日家にいるしかないな。
ジェイは資料の整理をすることにした。雨があがったらすぐにここを出よう。ああ、でも土砂崩れとかの心配もあるのかもしれないな。山に囲まれてるしなあ。
こういう時田舎は困るんだよな。
自ら進んで来たくせに、悪態をつきたくなる。いかん、昨日からネガティブな気持ちに引っ張られてる。村長の家まじ雰囲気悪かったしな。
それに、夢でまた少女に呼ばれたのだ。
『早く、早く、来て。お兄ちゃん』
そうジェイに懇願する少女の顔の半分は溶けている。残りの半分は村人と同じようにパンパンに膨らんでいて、ジェイはゾッとした。手を伸ばしてきた少女を思わず振り払ってしまった。少女はとても傷ついた顔をしていた。その振り払った手の感触が生々しく残っていて、少女の顔が頭から離れない。
屋根に激しく当たる雨音が、まるでジェイを責めているようだ。
そんな風に思うのはおかしい。頭ではそう分かっているのだが、まるで洗濯機の中に放り込まれたかのような絶え間ない水の音に、頭がうまく働かない。
「ない、ない、ない!」
物思いに耽っていたジェイの思考をぶった斬るように聞こえてきたのは、クリスの焦った声だった。クリスは自分のバックパックをひっくり返すと、中身を手に取っては放り投げていく。
「ない!」
次はジェイのバックパックを掴んでひっくり返した。
「おい! 何するんだよ!」
ジェイは怒って声を上げた。
「僕のスマホがないんだよ!」
ジェイよりさらに大声で叫び返す。
「……どうしたんだ?」
クリスのあまりの慌てぶりに、ジェイは怒りを忘れて聞いた。
「僕のスマホがない」
「トイレじゃないか?」
「あんな穴しか開いてないところに置くわけないだろう」
「じゃあキッチン?」
「もう探した」
「じゃあ、縁側は?」
「そこも探した」
会話はここまでだと、クリスはジェイのバックパックを開けようとする。
「僕のとこに入ってるわけないじゃないか」
「分かるもんか。うっかり入れちゃったのかもしれないだろ」
「いや、それはないだろ」
「じゃあ盗ったのか?」
「人のスマホなんて盗ってどうするんだよ?」
「さあ? こっちが聞きたいね」
クリスは鼻で笑う。
「だから僕は盗ってないって」
「じゃあ別に見られても問題ないよな?」
そういうことじゃない、と言おうとしたジェイは言葉を飲み込んだ。ロベルトがびしょ濡れで帰ってきたからだ。
「やっべー雨だな」
濡れたTシャツとハーフパンツを脱ぎ捨てながらロベルトが言う。
「おい、脱ぐなら外でやれよ。床が濡れるだろう」
ジェイは注意をするが、ロベルトは聞いちゃいない。
「お前か」
クリスはロベルトの前に仁王立ちした。
「は?」
「お前が僕のスマホを盗ったんだな?」
ロベルトは眉を顰めてジェイを見て、それから部屋の中を見渡した。クリスの荷物が散乱し、ジェイのバックパックは乱暴に口を開けられている。
「クリスのスマホがなくなったんだって。で、僕かお前が盗ったってことになってるらしいぞ」
ジェイは呆れたように肩をすくめた。
「お前ついに頭狂ったか」
ロベルトは哀れみの目でクリスを見下す。
「二人して僕のことを陥れようとしているんだろう! いっつも僕の背後で笑ってるの知ってるんだからな!」
クリスは堰が切れたように怒鳴り出した。
僕のこと役立たずだと思ってるだろう。
僕のことお荷物だと思ってるだろう。
バカにしやがって。
僕のこと、なんでも否定する嫌なやつだと思ってるだろう。
お前らが考えなしに面倒ごとに頭を突っ込むから僕が嗜めてやってるのに。
お前らが、お前らが、お前らが!
クリスの目は血走り、口には泡を吹いている。クリスは頭を掻きむしるように乱暴に髪をかき混ぜる。引き抜いた手には髪の毛がごっそりと張り付いていた。
尋常じゃない。
顔を見合わせたジェイとロベルトは、怒りを引っ込めてクリスを宥めようと試みた。
「落ち着けよ、な。そんなこと思ってないから」
「でも今だって二人で目で会話してたじゃないか! 僕のこと笑ったな!」
「笑ってないから。な。そうだ、水でも飲めよ」
ジェイはペットボトルに汲み置きをしておいた井戸水を差し出した。今朝は雨が酷すぎて、とても外に水を汲みにいける状態じゃない。
「ここの水を飲まして、僕を殺す気だな!」
「そんなこと思ってねえよ。Chill out, man. (落ち着けって)」
「落ち着け? 落ち着けだって? お前今までどこに行ってたんだよ? 僕のスマホを捨てに行ってたんだろ!」
クリスはロベルトの胸ぐらを掴んだ。
「ちげえよ。久美に会ってきた。俺らもうここから出るから、久美も大学の寮に戻れって言いに。迷惑かけちまったからな。そしたら車出してくれる人がいるから、一緒に乗らないかって言ってくれたんだ。それを伝えに帰ってきたら、コレだよ」
ロベルトはクリスに抵抗することなく、手を下げたまま冷めた目でクリスを見た。その目に怖気付いたクリスは、乱暴に手を離した。だがロベルトの体はびくともしない。




