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15. 招待

 ◆◇◆◇


 雨が降らないこの地で、どうやって水源を確保しているのか、ジェイはずっと疑問に思っていた。

 老人が死亡したという例の川にも行ってみたが、やはり川と呼べるほどの水量は流れていなかった。そのわずかな水さえ、下流に行くほど先細っていく。


 上下水道設備が全く機能していないわけではないが、さりとて十分に整っているわけではないこの村は、生活に必要な水はほぼ地下水に頼っている。

 地盤沈下は起きないのだろうか?

 雨も降らないのに、水はどこからやってくるのだろうか?

 村の外の山には雨が降るが、山を越えると雨が降らないのだろうか?

 村の『バブル』――三人は村の外と中の空気の違いをまるでシャボン玉に囲われているようだと思い、こう表現することにした――が存在するのも、何か関連があるのだろうか?


 地下水の水源は、村の中心にある御沼池という家の湧き水だそうだ。共同炊事場で使っている水も、そこから引っ張ってきているらしい。井戸から水を汲んで使っているのは三人だけらしい、と久美に聞いた時は、思わずこめかみがぴくりと動いた。


 木原め。適当なこと教えやがって。


 悪態をつきたい気持ちだったが、ジェイはそれをなんとか引っ込めた。久美の方がよっぽど驚いていたからだ。


 煮沸? してないよ。

 黒い水? ああ、朝一は出るね。

 飲んで? いやいや、流石にそれは飲まないよ!


 久美曰く、一応水源は湧水と同じだろうとのことだ。ただ湧き水として湧き上がっているものと、地下から汲んできたものだとやはり純度が違うらしい。


 あまりにも久美が心配してくれるので、三人は怒りを引っ込めるしかなかった。


「――自分の出身地のことをこう言うのはあまり良くないのですけど……」

 久美はちらりと三人の顔色を伺った。三人は久美を励ますように頷いた。


「あまりここには長くいないほうがいいと思います」

 久美の硬いその声に、三人は思わず黙り込んだ。久美の目が泳ぐ。怖がらせてしまったのかもしれないとジェイは慌てて口を開いたが、ロベルトに先を越された。


「……それは、なんでかな? まあ、夏のバカンスに最高とは言えないけどね」

 ロベルトは柔らかい口調で聞く。そして軽く肩をすくめて久美に白い歯を見せて笑いかけた。久美はほっと肩の力が抜けたように、弱々しく笑みを返した。


「その、皆さんはフィールドワークでいらしているのだと聞きました。ここは田舎ですし、なんの面白みもないただの村です。もっと、世界遺産があるところとか、遺跡があるところとか、そういうところに行った方がいいんじゃないかと思います」

 久美の声は、まるであらかじめリハーサルしてきたかのようなモノトーンの口調だった。顔は真っ白で、瞬きもしないまま一気に言い切る。


 セリフをあらかじめ考えていた?

 このことを伝えにきた?


 ジェイは僅かに目を細めた。


 表情が消えると、途端にこの村の住人のような顔つきになる。やはり久美もこの村の住人なのだとジェイは再認識する。それをやや残念に思いつつも、ジェイとロベルトは目配せをした。ロベルトは瞬きをして、ジェイの言いたいことは分かったと示した。


「そうなんだよー。俺も行くなら南の島がいいって言ったんだけどさ。こいつが教授にウケるマニアックなところに行くって聞かなくてさ。こいつオタクなんだよ」

 ロベルトは軽い口調でそう言うと、おどけたようにジェイの頭を小突いた。


「なんだよ、『俺はバックパッカーだからどこでも寝れる』って豪語してたくせに。こいつ夜中にネズミが出たって大騒ぎしたんだよ」

 ジェイもそれに乗る。ついでにびっくりしたロベルトのモノマネも大げさにしてみた。本当はそれをやったのはクリスだが、この際そんなことはどうでもいい。ジェイのコミカルな動きに、ぎこちなく久美は笑ってくれた。


「まあどっちにしてもさ、あと数日で帰るから。ごめんね、嫌な役をやらせちゃって」

 ロベルトが安心させるように微笑んだ。久美の頬に赤みがさす。


 こいつ、いいとこ取りしやがって、とジェイはロベルトを睨んだが、ロベルトはどこ吹く風だ。


「よかったです。それで、あの、こんなこと言った後に大変恐縮なんですが……その、今夜、我が家にお招きできないかと思いまして……」

「あなたの家ってことは、村長さんのお宅?」

「はい。父が学者さんのお話を是非伺いたいと」

「わかった。じゃあお邪魔するよ。ありがとう」


 諾と伝えると、久美は握っていた拳を緩めた。ずっと握り締めていたスカートには皺ができている。今度こそ本当の笑みを浮かべると、久美はお辞儀をして去っていった。


「……どう思う?」

 久美の姿が見えなくなってから、ジェイは聞いた。

「今までガン無視決めてた村長が急に動き出したこと? まあ怪しいわな」


「やっぱり昨日のあれと関係してるのかな?」

「まあ今朝のあれもだいぶやっちまった感じだしな」

 二人は鼻にシワを寄せて考え込んだ。

「……関係してるかもしれないし、関係してないかもしれない。久美は昨日の深夜バスに乗って今朝村に着いたんだってよ。普段は大学の近くの寮に入っているらしい」

 ちなみに大学はそこそこ栄えたところにあるらしい。おすすめは海鮮だって、とちゃっかりロベルトは情報を仕入れている。


「へえ。っておいちょっと待てよ。バスは運休中じゃなかったのか」

「バスで来れるギリギリ近くまで来て、そこから家の人に車で迎えに来てもらったんだってさ」

「車! 車か。自家用車なんてあるのか、ここ。見たことないけど」

「あるんだってよ。まあ俺たちのためには出してくれないだろうけどな」

「そっか。じゃあただの里帰りなのか。言葉が通じる久美が帰ってくるまで待ってたってところかな、村長は」

「それか、わざわざ呼び戻されたのかもしれないぞ。久美の口調だと夏には戻る予定がなかったっぽいし、いつも里帰りするのは冬休みだけらしい」


 おかしな点はあるが、三人がどうにかできる問題ではない。そう結論づけた三人は、行くしかないだろうなと腹を括った。

「まあいずれにせよ招かれたんだからな。行かなかったら久美に悪いし。よかったじゃないか。せっかく空港の免税店で買った高い酒を献上できる機会ができて」

 ロベルトはジェイの肩を小突く。

「もしかしたら村長が車を出してくれるかも」

 いつになく希望的観測を口にしたのはクリスだ。

 ジェイは久美ともう一度話せるのが唯一の楽しみだな、と頷いた。

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