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第3話:正義の値段とドライ・マティーニ 前編 ~正義の値段~

第3話:正義の値段とドライ・マティーニ


 天王寺の裏路地を、弁野正義は一人歩いていた。ぬれた石畳に靴音を刻みながら、ゆっくりと坂を下る。スーツのポケットの中、スマートフォンがかすかに震える。通知の音はもう切っていた。それでも“見えない目”のように、そこにある。


【加害者の味方をするな】

【人権派気取りのくせに金で動くのか】

【#弁護士って必要?】


 ありふれた批判だ。だが、今回は――

 なぜかいつもより、胸に小骨のように刺さっていた。


(法律は、感情を裁くもんやない。証拠が足りなかっただけ。俺はそれを見極めただけや)


 けれど、世間はそうは思わなかった。悪人を無罪にした――そんなふうにしか、見られていない。弁野は眉間に皺を寄せ、スマホをスリープに戻す。そして、店の前に立った。


 看板には、控えめな文字でこう書かれている。


 バー――「トキカサネ」


「いらっしゃい」


 カウンターの奥で、店主・時重がグラスを拭きながら顔だけ上げる。相変わらず、必要以上の言葉はない。


「山崎。ストレートで」


 弁野は席に座り、しばし無言のままグラスを見つめた。琥珀の液体に、自分の顔がぼんやりと映っている。


(“正しい”って、誰が決めるんやろな)


 心の中に浮かんだ問いは、口に出すには重すぎた。


 カラン、とグラスの音がした。隣の席に、工藤創司が座る。


「今日は珍しく一番乗りかと思ったら……おったな、正義くん」


「……雨やったしな。電車、早めに乗っただけや」


「へぇ、そない真っ直ぐここ来たんや。よっぽど飲みたいことあるんやな」


「別に。静かに飲めればええ」


 工藤は静かに笑い、ロックグラスを指さす。


「それが“静かに”って顔か? SNS、だいぶ騒がしなっとるやろ?」


 弁野は答えない。


「また悪人の肩持ったんか?」


「“悪人”かどうかは関係ない。証拠が不十分。それだけや。俺は筋を通しただけや」


「でも世間は、“弁護士が悪を守った”って思とる。そない単純な話や」


「……それが世間のレベルか」


 グラスを傾ける音だけが響いた。


「せやけど、正義ってのは“筋”だけで測れへんときもあるで」


「筋で測れへんもんを、“正義”て呼ぶべきやない」


「そない言うてもなあ。人間の正義は、いつも感情まみれや」


 その言葉に、弁野は眉をひそめた。


「ようようよう! なんや、今日は正義が眉間に皺寄せとるぞぉ!」


 入口から元気な声が飛んできた。舞鶴尚也、登場。


「……そのテンションで近寄るな」


「おぉ、怖い怖い。なになに? 無罪になった依頼人、実は“マジで悪いやつ”やったとか?」


「……知らん。俺は法律の範囲で弁護しただけや」


「それが炎上してるってことは、“世間”は納得してへん、ってことやな」


 舞鶴はそう言いながら、カウンターの中央に堂々と座る。


「俺もな、“正義の味方”の役やったことあるんや。でもアレ、めっちゃしんどいで。ちょっとでも動機弱かったら、“正義っぽくない”て言われるんや。

しかもやで? 敵より台詞少ない。だるない?」


「それは“舞台”の話やろ」


「ほな聞くけど、“舞台”と“法廷”、なんかちゃうんか?どっちも“観客”の前で“説得”する場やんか」


「観客の拍手がなくても、法的には勝てる。それが俺の仕事や」


「ほな、勝っても客がブーイングする舞台は、正義って言えるか?」


「……」弁野は、言葉を止めた。


 そのとき――


「カチ、カチ、カチ……カチャリ」と、店の奥の時計が異音を立てた。


 ちょうど長い針が“12”の位置を指した瞬間、空気がわずかに震える。グラスの表面に、ひと筋の波紋が広がった。


「……あかん。来よるぞ」工藤がグラスを置きながら、ぽつりと呟く。


 次の瞬間、静かに空間がゆがむ。


「弁野正義。あなたの“正義の判断”は、未来社会において“感情欠如型ノイズ”と認定されました」


 電子音のような声。空気の中から滑り出てくるように、ミラ=ミラが姿を現す。その背後には、アシスタントAI人格レギュ・ミラが控える。小型のホログラム端末のような形状で、ピコピコとローディングしている。


「また出たな……未来の墓場」


「ルール説明:感情に欠けた“正義の振る舞い”が、未来社会に悪影響を及ぼしています。よって、あなたの“正義”の適正を、今宵ここで再審査します」


 ミラ=ミラが、グラスに似た何かを指先で浮かべる。


「テーマ:『正義に、心は必要か』。形式:模擬判断ゲーム。出題数:3問。判定者:人間サイド=舞鶴、工藤」


「なんでワシらが判定者やねん」


「未来の墓場、ナチュラルに横暴やな」


「やめへんで? ワシ、“審判役”得意やから!」舞鶴がなぜか張り切る。


「……また面倒くさい夜になりそうやな」


 弁野は、ふっと苦笑して、山崎をあおった。

 

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