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第2話:黒霧と家族写真と、消されたマンション 前編 ~記憶が薄れていく夜~

 雨上がりの天王寺。駅前の人混みをすり抜け、石田現吾はひとり、路地裏へと足を踏み入れた。部下の送別会という名の「無礼講」で、ビールとから揚げを流し込んだ帰り道――のはずが、なぜか手には封筒が握られている。


 中には、色あせた家族写真。笑う娘、小さく手を振る妻、そして、今より少し若い自分。


「……いや、誰やねんこの髪型。整いすぎやろ」


 ひとりごちて笑いながら、石田は足を止めた。写真の裏には、ボールペンで「2014年・春」と書かれている。まだ娘が保育園だった頃だ。


 もう一度写真を見る。ふと、胸の奥がちくりとする。今の俺は、あいつらにどう映ってるんやろな――そんなことを考えてしまったのは、きっと黒霧島をまだ飲んでいないからだ。


 バー「トキカサネ」。時間がゆっくりとねじれるような、不思議な空間。その扉を開けると、まるで違う世界の空気が流れ込んでくる。


「いらっしゃい」


 無愛想なマスター・時重の声も、ここでは心地よいBGMだ。


「黒霧、お湯割りで……薄めでな」


「……気分が?」


「ちょっと、昔のこと思い出してな。娘の写真、見つかってん」


 ポケットから写真を出して、カウンターに置く。


「いやもうな、俺、いつの間にこんなに老けてん、っていう感じでな。写ってる俺が若いのはええとしてもや、なんか、今の自分と繋がってへん感じがして……」


 話しながら、グラスの湯気に目を落とす。その一瞬、石田は違和感を覚えた。


「……あれ?俺、写ってへん?」


 まさかと思って写真をまじまじと見る。娘と妻は笑っているが、自分の姿が――やや、薄い。いやいや、そんなアホな。酒が足りてへんだけやろ。そう思いながらグラスをあおる。


「記憶のほうが正確や、てこともある」カウンターの向こう、時重がぽつりとつぶやいた。


 その瞬間、奥の時計がガチャンと跳ね、変なタイミングで針が11時を指した。


「……また変な時間、来よったな」


 嫌な予感がした。ここの“変な時間”には、だいたい“変な連中”がついてくる。空気がねじれ、店内の明かりが一瞬だけ揺れる。


そして――出た。


「家族構造異常検出。対象:石田現吾。対応モード、家族記録初期化プロトコル。ミラ=ミラ、着任しました」


 すました顔で、光の中から女が現れた。見覚えのあるスーツ姿、無駄に整った美貌、感情の欠片もない声。


 続けて、黒いスーツに身を包んだ中二病全開の男も出てくる。


「時の歯車は乱れている……無為な家族像が、未来の精度を歪ませる。†クロノ・ヴァイス†、再臨!」


 石田は大きくため息をついた。


「やっぱりお前らかい……ええかげん、週一で来るのやめえや」


「お前がバグらせるからや」


「バグらせてんのはお前のポエムやろ! その“歯車がどう”とか、長い割に意味が薄いねん!」


 カウンターでグラスを磨いていた時重も、目だけで「静かにして」と訴えてくる。


「今回は、“現代型父性の削除”案件です」


 ミラ=ミラが手を伸ばし、宙にホログラムを展開する。そこには「非効率な家族関係」「感情による意思決定の乱れ」などという、ロボットみたいなキーワードが並んでいた。


「君のような“口数は多いが成果は曖昧な父親像”は、未来の家族構造にとって有害です」


「誰が口数多いねん。成果は……まあ……うん」


 石田が目をそらすと、クロノ・ヴァイスが懐中時計を掲げてポーズを決めた。


「さあ、記憶の改変は始まっている。写真の中から消えるということは、記録から抹消される兆候!」


「兆候て……お前な、もっとこう、段階踏んでから脅せや!」


「では段階を用意しよう。“写真薄くなる → 顔がボヤける → 声が聞こえなくなる → 妻にアイスを買って帰っても無視される → 存在抹消”」


「どんどん現実味を帯びてくるからやめろォ!」


 店内に小さな笑いが起きる。その笑いの中で、ふと石田が写真を見返すと、自分の顔がまた少しだけ薄くなっている気がした。


「……ほんまに、消えていくんやろか、ワシ」


 その呟きを聞き、ミラ=ミラがやや間をおいて言った。


「記録がなければ、存在はなかったも同じ。未来の社会は、そう判断します」


「そない簡単に消されてたまるかい……!」石田が立ち上がる。その手には、湯気立つ黒霧と、わずかに色あせた家族写真。


 クロノ・ヴァイスが満足げに笑う。


「いいだろう。今宵の勝負は――“家族記憶の正しさ”を賭けたクイズ形式だ!正式名称――“時間軸外縁に記録された家族記憶構造の再検証および存在論的価値評価試験Ver.0.9β”!」


「うわ、出た出た。また無駄に長いやつや! もう“家族クイズ”でええやろ!」


「俺は長くない!俺は時を操る者……!」


「うるさいわ!誰が中学二年男子のノートそのまま召喚しろ言うた!」


「要約、適切」


「くっ、貴様ら……風情を解さぬか!」


 ミラ=ミラがグラスを持ち上げ、控えめに言った。


「ルールはシンプル。“本当に価値のある家族の記憶”を答えられるか。答えられなければ――写真、削除」


 石田は深く息を吸って、黒霧を一口。そのあと、写真を見つめながらこう言った。


「……ワシの答えが、未来の役に立たんでもええ。けどな、娘が笑った瞬間は、俺の中では世界の中心なんや」


 静かな熱が、グラスの底から立ち昇った。


――その夜、石田の中で、ひとつの“記憶の裁判”が始まろうとしていた。


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