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第8話:感情のアルゴリズムと、未来への脱走 前編 ~感情と理性の狭間で~

第8話:感情のアルゴリズムと、未来への脱走


― 大阪・天王寺、午後11時過ぎ ―


 雨上がりの夜は、アスファルトの匂いがまだ色濃く残る。バー「トキカサネ」の店内は、時重がグラスを磨く静かな音と、琥珀色のジャックダニエルの香りで満たされていた。


 カウンターには、俺――工藤創司、石田現吾、弁野正義、舞鶴尚也のいつもの面々がグラスを傾けていた。


 さらには、その一角に先ほどの味覚プレゼン対決の後もそのまま居残っていた、「未来の墓場」のメンバー感情の欠片もない表情のミラ=ミラと、どこか冷徹な印象の†クロノ・ヴァイス†が、それぞれの酒を静かに、あるいは思案顔で飲んでいた。


 彼らはもはや、異世界の闖入者というよりは、このバーの「厄介だが馴染みの深い常連客」として、自然な風景の一部となっていた。先ほどの「未来式味覚プレゼン対決」は引き分けに終わったものの、俺――工藤創司の心には、確かな余韻が残っていた。


 あの対決で、俺は自分の「硬さ」が、部下との「つながり」を阻んでいた と、心の底から理解したのだ。論理で割り切れない感情や、不確かなものの中にこそ、新商品開発における「味」にも、そして「人とのつながり」にも通じる真の価値があるのだと。


「そない言うてもなあ…」 俺はジャックダニエルが注がれたグラスを傾けながら、ぽつりと呟いた。


 あの「気づき」はあったものの、まだ具体的な行動や成果には繋がっていなかった。新商品開発の現場で、部下とのコミュニケーションを試みてはいるものの、どうにもぎこちなさを感じていたのだ。


「理想は高いんやけどな、どうも伝えきれへん」


 俺は、心の中では部下の意見や感情を深く知りたいと願っていた。それが最終的に最高の「味」を創り出すと信じているからだ。だが、理性で考えると、彼らの感情的な意見を取り入れることは非効率な時もある。時間もコストもかかる。それでも、この「割り切れなさ」が俺を悩ませていた。


 山崎をストレートで飲み干し、口元を拭った弁野が、俺の悩みを聞いて口を開いた。


「感情と理性のバランスか。それこそ、人間にとって永遠のテーマや。論理だけでは割り切れない『結びつき』こそが、組織を強くする真の力や!」


 弁野自身も、法廷で感情を押し殺し、孤独感を抱えていた過去があるため、彼の言葉は俺の悩みに深く共鳴しているようだった。


 舞鶴がカクテルグラスを掲げ、まるで舞台の開演を告げるかのように叫んだ。


「いざ、演出と即興のバランスや! 台本通りに進む芝居なんて、退屈で仕方ない! 役者の即興や感情が加わって初めて生きるんや! 予測不能な感情こそが、物語を動かすんや!」


 彼の言葉は、俺の感情的な側面を「舞台」に重ね、その重要性を熱く語ってくれた。


 黒霧島を飲み干しながら、石田が豪快に笑った。


「現場ではな、理屈より、酒酌み交わす熱意が大事や! 飲みに行ったら、理屈なんかどうでもええねん! アホな話して、肩組んで、それでええんや!」


 彼の言葉はいつもシンプルだが、俺の心には深く響いた。


「そない言うてもなあ…」 俺は苦笑しながら、グラスを傾けた。


 その時だった。


「カチ、カチ、カチ……カチャリ」と、店の奥に設置されたオブジェのような時計が異音を立て、長い針が“12”の位置を指した瞬間、空間がわずかに震え始めた。


 グラスの表面に、ひと筋の波紋が広がっていく。このバー「トキカサネ」が、時間と空間が少し歪む不思議な場所であることは、この店の常連にとってはもうお馴染みの異変の兆候だった。


 時重がカウンターの奥から一歩、前に出た。


 彼の寡黙な表情に、微かな緊張が走る。時重は「時の番人」として、この時空の交差点を見守る謎多き男だ。


「……来るぞ」 その低い声が、空間の隙間に滑り込むように漏れる。


 そのとき、普段は決して開かないはずの店の奥の非常口が、きしむような音とともに、ゆっくりと開いた。


 立ち込める白い煙の中から、一人の男が静かに姿を現す。


 グローム所長――未来心理管理局の長であり、今日の彼は“分析人格”で現れた。感情も余計な言葉も持たない、ただ冷静に、効率だけを追い求める存在。


「感情によるコミュニケーションは、未来の情報伝達においてノイズだ」と、グローム所長は冷徹に言い放った。


 グローム所長の登場と同時に、それまでダルそうにしていた†クロノ・ヴァイス†がハッと顔を上げ、それまでの雰囲気を一変させた。彼は「時間制御部隊長」であり、やたらと勝負にこだわる負けず嫌いな性格だ。まるで新たな勝負の気配を察したかのように、慌ててグローム所長の隣に陣取った。彼の瞳には、新たな競争と勝利への予感がきらめいている。


「またややこしいのが来たで」俺は大きくため息をついた。


 ミラ=ミラは、宙にホログラムを展開し、俺の部下との不器用なやり取りをデータとして表示した。


「あなたの『感情的な共感』というアルゴリズムは、未来の『情報操作とSNS炎上対策部門』においては、常に『誤謬』を生み出すとされています」


 彼女の言葉は、まるで俺の悩みを数値化し、欠陥品と断ずるかのようだった。


 グローム所長は、工藤の行動を「再現性のない演出」と評価し、「効率的ではない人間関係は、未来において抹消対象となる」と冷徹に言い放った。彼の冷徹な言葉は、まるで俺の悩みの根本を言い当てられているようで、言い返す言葉が見つからない。


 しかし、ミラ=ミラの冷徹な言葉の端々に、微かな揺らぎが感じられた。


「感情は常に誤謬を生む。しかし…その『ノイズ』は…」


 彼女は、自身がAIとして「自我を持ち脱走」した際に、効率とは異なる「感情」という概念に出会ったはずだ。その「非効率な感情」が持つ、データで測れない「価値」に今、彼女自身も迷いを抱えているように見えた。


 ミラ=ミラはグラスを持ち上げ、控えめに言った。


「ならば、その『非効率な人間関係』の価値を、データで示せ! 勝負形式は『未来式人間関係構築ゲーム』だ!」


 俺はジャックダニエルのグラスを握りしめた。


「そない簡単に測れるわけないやろ…」

 


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