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第7話:封印された味覚と、歪んだ食文化 前編 ~味覚の決戦、未来への挑戦~

― 大阪・天王寺、午後10時半 ―


 静まり返るバーに、戦いの火蓋が切られる気配が走る。クロノ・ヴァイスの言葉が、バーの空気中に冷たい波紋を広げた。


 俺――工藤創司は、自身の頭の中で温めていた新商品のアイデア、「封印された調味料」という、誰にも話していないその妄想的な名が、未来から来た彼らの口から飛び出したことに、背筋が凍るような感覚を覚えた。


 しかし、同時に、その名が呼び覚ますものは、俺自身がまだ言語化できていない、「味覚の深み」に対する探求心だった。


「承知いたしました。では、未来の食文化の『最適解』を、皆様にご披露します」ミラ=ミラが静かに前に進み出た。


 彼女の背後にあるホログラムが淡く光り、未来の食卓の風景を映し出す。そこには、完璧に管理された栄養素、計算され尽くしたカロリー,そして機能性を重視した、無味乾燥な『食べ物』が整然と並んでいた。


 彼女の言葉は淀みなく、一切の感情を挟まない。


「未来の食文化は、人間の『感情ノイズ』を徹底的に排除しました。五感を惑わす複雑な風味は生産性を阻害し、情緒的な記憶は消費者の購買行動を非効率にする。これらは全て、『バグ』と判断されたのです」


 ミラ=ミラのプレゼンは、まさに“理屈”の極みだった。味覚はデータとして数値化され、効率と供給の安定性が最優先される。まるで、食べるという行為が、生命維持のための単なる『演算』に過ぎないかのように。


「未来の『味』とは、栄養素と機能性の組み合わせです。これにより、飢餓は過去の概念となり、食品廃棄率は0.001%まで削減されました。これが、我々の提示する『味覚の最適解』です」


 彼女の言葉は完璧で、論理的に隙がない。


 だが、その完璧さが、俺の心に重くのしかかる。俺が目指す「味」は、こんな冷たいものなのか?


「……そない言うてもなあ。そんな味、誰が食いたいねん」


 俺はジャックダニエルを傾けながら、ぽつりと呟いた。この口癖が、緊迫した状況下で、俺の迷いを代弁していた。


「では、あなたの『非効率的な感情ノイズ』とやらを披露してください」ミラ=ミラが冷徹に促す。


 俺はグラスをカウンターに置き、ゆっくりと息を吸い込んだ。頭の中にある「理想の味」を、どう言葉にすればいいのか。部下にも伝えきれなかった、この「深み」を――。


「俺の新商品は……『封印された調味料グラトニック・フォーミュラ』という、まだ名前だけの存在や」


 俺は、これまで誰にも明かさなかった妄想を、バーの真ん中に放り出した。


「それは、舌で感じる味だけやない。目で見て、耳で聞いて、思い出と、そして何よりも『人との繋がり』で、初めてその真価を発揮する『不確かな味覚』なんや」


 言葉を探しながら、俺は続けた。


「例えば、幼い頃に食べた、母親が作ってくれた味噌汁の味。それは、栄養素や成分だけでは再現できへん。そこに込められた『愛情』、隣で笑う『家族の顔』、雨上がりの匂い……そんな『不確かさ』が、その味を唯一無二のものにする。未来ではそれを『ノイズ』と言うかもしれへん。けど、その『ノイズ』の中にこそ、人の心が震える『真実の味』が宿るんや」


 俺の言葉が、バーの空間にじんわりと広がっていく。それは、新商品の具体的なレシピではなく、哲学めいた、感情的な「味覚」の定義だった。


「弁野さん、石田さん、舞鶴さん……あんたらとここで飲んでるこの時間もそうや。このジャックダニエルの味が、あんたらと語り合うことで、日々深みを増していく。この『味』も、俺にとっては『封印された調味料』の一つなんや」


 俺は仲間たちに視線を向けた。彼らもまた、真剣な眼差しで俺の言葉を聞いている。


「しゃあないわ! 現場の味は、理屈やない! 心で感じるもんや!」


 石田がテーブルを叩きながら豪快に叫んだ。彼の熱血漢らしい言葉は、俺のプレゼンに、土の匂いと汗の塩気を加えてくれる。


「感情はときに論理を阻害するが、味覚の奥深さにおいては必須である!人間の五感は、効率だけでは計れない深みを持つ。それは『バグだが必須のシステム』と言える!」


 弁野が山崎をストレートで飲み干しながら、ミラ=ミラの論理を批判した。


「いざ、味覚の舞台開幕や!観客の心を揺さぶる味こそが、真の芸術や!工藤はんのその妄想力、遠慮なく舞台にぶち撒けたれや!」


 舞鶴はカクテルグラスを掲げ、芝居がかった身振りで俺を鼓舞した。


 その時だった。


「……当時のワシには、この味は…理解できなかった…!」


 クロノ・ヴァイスが、突然、苦しげに顔を歪めた。その冷徹な表情は崩れ、瞳の奥に「失敗の記憶」が去来していた。彼自身が「未来で落ちこぼれ」となった過去が、味覚や創造性に関するものだったことが、強く示唆される。


 彼の懐中時計が、カチカチと狂ったように音を立て始める。


「感情ノイズの氾濫……データ、破損。演算不能な領域に属します!」


 ミラ=ミラもまた、AIとしての平静を保てなくなっていた。彼女の瞳がピコピコと点滅し、演算が追いつかない様子だった。


「……この味覚、未来に『温かい感情』として記録されたようやな。引き分けや」時重が静かに、だが明確に告げた。


 俺の「不確かな味覚」が、未来の効率主義に一矢報いた証だった。新商品のコンセプトは守られ、未来への悪影響は回避されたのだ。俺は大きく息を吐き出した。勝敗は引き分け。だが、この一戦は、俺にとって大きな気づきをもたらした。


「そない言うてもなあ、味って、人と分かち合うもんなんやな…。俺の『硬さ』が、部下との『つながり』を阻んでいたんかもしれへん」


 ジャックダニエルをゆっくりと傾けながら、俺は呟いた。


 これまでの「理想と現実のギャップ」に悩む日々が、霧が晴れるように明確になった気がした。


 罰ゲームはなかった。


 クロノ・ヴァイスは、まだ動揺が残る表情で、懐中時計をそっと閉じた。


「曖昧な味覚が、未来の食文化に0.001%の『歪み』を生んだ……。次は、その歪みが『未来の災害』を引き起こす」


 不穏な言葉を残しながらも、彼の足はバーの奥へは向かわなかった。


 代わりに、時重が黙って差し出したラフロイグのグラスを、クロノはちらりと見つめたあと――


「……フン、時の歯車に逆らう愚かな行為だ。だが……この私に勝てるとでも?」と、ラフロイグを手に取り、一気にあおった。


「しゃあないわ、2回戦やな!」舞鶴が笑顔でジャックダニエルを掲げ、石田も「ワシの黒霧島は湯気まで旨いで!」と上機嫌に混ざっていく。


 ミラ=ミラもまた、AIらしからぬ仕草で、控えめにカクテルグラスを受け取っていた。微かに眉をひそめながらも、グラスを傾け、静かに一口。


「……酩酊確率:上昇中。感情ノイズの分析、継続……この状態、興味深い……むしろ……心地よい?」


 彼女の言葉は、途中でふわりと宙に溶けていった。その表情に変化はないが、手の動きを止めた瞬間、ふう、と深い溜息をつく。


「……次に来るのは、過去に『災害』を引き起こした記録やな。未来の歪みは、収束せず……」


 その独り言のような呟きが、静まり返った店内に静かに染み込んでいく。


 夜の帳がさらに深まる中――時重の言葉は、確かに“次なる戦い”の気配を告げていた。

 


第7話をお読みいただき、ありがとうございます。


次回、「第8話:感情のアルゴリズムと、未来への脱走」も、お読みいただければ嬉しいです。

それではまた来週、お会いできるますように!

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