第1話:時空の隙間とジャックダニエル 前編 ~漂うジャックの香り~
おっさんたちのくだらん話……世界は少し優しくなるかもしれない
第1話:時空の隙間とジャックダニエル
― 天王寺、午後10時 ―
雨上がりの夜。アスファルトにまだ水たまりが残る静かな裏通り。遠くに電車の音がゴトンと響く以外は、町の音がどこか遠ざかって聞こえる。
その道を、俺――工藤 創司は、黒いビジネスバッグを片手に歩いていた。
喧騒の駅前から少し外れた、古いビルの地下。看板も出ていない、知る人ぞ知るバー――「トキカサネ」。
「今夜は……ジャックやな」
自分に言い聞かせるみたいにポツリと呟いて、そのまま階段を下りていく。目の前には、あの地下の扉――“トキカサネ”の入り口や。
カラン。ドアベルの音とともに、微かに木の匂いがする静かな空間に入る。照明は控えめ。カウンター奥には、黒いシャツのマスターがひとり、静かにグラスを磨いていた。
時重年齢も本名も不明。何者かもわからん。けど、ここの主であることだけは間違いない。
「……ジャック、ロックで」
無言のうなずき。グラスに氷がコトリと落ち、琥珀色の液体が静かに注がれる。いつものように、余計なことは言わない。けど、必要な酒だけは完璧に出てくる。それが時重という男や。
俺が一口目を口に運ぼうとしたとき――
「おう、工藤はん。お先にやっとったんかいな!」
のれん(無いけど)をくぐるようにして現れたのは、顔なじみの男――石田 現吾や。スーツの上着は脱いで肩にかけ、ワイシャツの袖はめくっている。どう見ても営業帰りの酒飲みや。
「しゃあないわ。上が、今日も資料つくれ言うて……この時間や。くうぅ……黒霧、濃いめで頼むわ、時重さん」
「お前、よう来るなほんま」
そう言いながらも、俺の声には笑いが混じる。石田とは幼馴染やけど、仕事も気質も真逆、けど、なぜかウマが合う。
続いて現れたのが、静かに扉を開けて入ってきたスーツ姿の男――弁野 正義。腕時計を確認しながら、「時間通りやな」と呟いた。
「……山崎。ストレートで」
一見するとクールで近寄りがたいが、実は一番熱いやつ。その証拠に、グラスを口にしながら、ぽつりと呟く。
「今日もまた……“勝手に消された依頼人”が一件あった。どう考えても辻褄が合わん」
「またか……最近、妙に多いな」
酒が回りはじめた頃、カウンターの隅の席がスッと埋まった。どこから来たんかわからん、けど確実に“場を変える”男――舞鶴 尚也。
「いざ、決戦や。今日はカルーアミルクと……赤玉パンチをブレンドで!」
「また混ぜよった!?」
「甘くしてからの!撃つ。これが舞台人の流儀や!」
全員がグラスを手に、くだらない話と笑い声が交錯する。でも――その夜は、少しだけ空気が違っていた。
ふと、時計の針が午後11時11分を指した瞬間、時重がカウンターの奥から一歩、前に出てきた。
「……来るぞ」
時重のその声で、空気がピリッとなる。店の照明がふっと揺れて、空間そのものがわずかにざわつくような、妙な感覚が走った。背筋に、すうっと冷たいもんが這う。嫌でも、いつもの夜やないとわかる。
そして、店の奥の非常口――普段は開かずの扉――が、勝手に開いた。
そこから現れたのは、白いコートを羽織った男。鋭い眼光と、アイラモルトのような煙たさをまとった風貌。
「時の歯車に囚われし亡者たちよ……。今宵、再び、回す時が来た」
――クロノ・ヴァイス「未来の墓場」の幹部のひとり。
「出たな、スモーキー中二病」
石田が呟き、弁野がグラスを持ち直す。
「おいおい、せっかく酒ええとこやったのに……またあれか?」
舞鶴が肩をすくめると、クロノの後ろから二人の影も現れる。
ひとりは、どこか愉快そうな目をした男――グローム所長。
もうひとりは、無表情な女――ミラ=ミラ。
「久しぶりに来たら、甘口人格からやで」
「酔いの確率論は89.6%。この条件なら、勝てる確率も上がる」
「……やかましいわ」
工藤がぽつりと吐き捨てる。いつものバーに、現れた未来の亡者たち。だが、この空間では――“遊び”の名を借りた勝負が、始まろうとしていた。
「さあ、まずは……ジャックダニエルを一杯ずつ。それが、この空間でのルールだろ?」
クロノの声に、時重が微かに笑ったような気がした。全員の前に並ぶ、氷の入ったグラスと琥珀の液体。
“あの夜”の扉は、確かに開かれた……。
お読みいただきありがとうございます。
後編は、本日夕方ごろに更新できるようにしていきます。
KDP(Kindle Direct Publishing)にて電子出版している作品です。完結はしていますので、最後までお付き合いいただけると、私、嬉しいです。