第6話 封印されし霊力
「美弥」
晴磨に名前を呼ばれ、昨日の出来事を思い返していた美弥は、はっと顔を上げた。
「大事なものだというのは分かっている。それに昨日した約束も覚えている」
晴磨は美弥の右手首をそっと握り、耳元に顔を近づけてきた。
「え、えぇっ?」
晴磨が触れた所が熱を帯び、美弥は頬を赤らめた。囁いてくる晴磨に、美弥は耳までゆでだこのように真っ赤になっていく。
「こうしておけば見えない。少しだけでいい。勾玉を貸してくれないか」
美弥がこくこくと小刻みに頷くと、晴磨は耳元から顔を離した。美弥は空いた左手で首から紐を外し、差し出された晴磨の掌の上に勾玉を置いた。
「晴磨殿、さっきからこそこそと何をしているんですか。桃華との縁談はそちらのご当主と話しがついているんです。勝手なことをしてもらっては困りますぞ」
イライラした口調で政伸が机をバンと強く叩き、美弥はビクッと肩を震わせ、怯えた表情で政伸に目を向けた。
すると、高い位置で黒髪を2つに結び、袖と裾にレースのフリルが施された藤色を基調にした着物を着ている少女がどこからともなく現われ、政伸の隣に立って指を突きつけた。
「こいつ、キライ」
舌足らずな高い声を出す少女から目が離せず、美弥が見つめていると、少女の二重瞼のぱっちりした朱色の瞳と目が合い、美弥はパチパチと瞬きを繰り返した。少女がフリフリと小さく手を振り、美弥はつられて手を振り返した。
「クラのこと、みえてる」
少女が晴磨の方に目を向けると、晴麿は頷いて握っていた美弥の手首から少しだけ手を離した。手首に一枚の柊の葉に似たあざが浮かんでいるのを確認すると、また手首を隠すように握った。
「晴磨殿、聞いているのか!」
「私達のことを無視して、馬鹿にしているのですか?」
「晴磨様、そんな不細工で汚らしい役立たずと結婚しても、何も良いことはありませんわよ。さっきのは何かの間違いでしょう? 私と結婚してくださるのですよね?」
怒りをぶつけてくる政伸、佳江、桃華には目もくれず、晴磨は少女に目を向けた。
「うるさい。クラ、黙らせろ」
クラと呼ばれた少女は頷くと、朱色の目を光らせて3人に指を突きつけ、左から右にすーっと指を動かした。
何をしているのか分からず、美弥は首を傾げた。すると、3人が口を開こうとするが、唇が縫い合わされたように閉じられ、んーっという声にならない声を上げた。3人はがっちり閉じられた上唇と下唇を引きはがそうと躍起になるが、一向に口を開けることができない。
「んーっ、んっ、んっ!」
政伸がこめかみに血管が浮かび上がらせ、晴磨を指差して声にならない声を上げて怒りをぶつけた。佳江と桃華は政伸の後ろに隠れながら、目を吊り上げて晴磨を睨んでいる。
「おまえたち、なまいき。はるまより、れいりょくないくせに」
クラがすっと目を細めると、黒いもやがクラを包みこんでいき、少女の姿から黒々とした獅子のような獣の姿に変わり、鋭い朱色の瞳があやしげにキランと光った。日差しが差し込んでいた明るい部屋が一気に暗くなる。真冬のような寒気を感じ、美弥はぶるっと震えた。
政伸たちにも見えているようで、尻もちをついて目を見開いて黒獅子を見上げ、佳江と桃華は畳にへたりこんで青ざめた顔で涙を浮かべて抱き合った。
「ケケケケケッ」
部屋中に不気味な甲高い笑い声が響き渡る。黒獅子が、政伸、佳江、桃華に襲い掛かり、黒いもやとなって3人を覆い隠すと、声にならない悲鳴が聞こえてきた。美弥は困惑した表情で晴磨を見て、唇を震わせて問いかけた。
「は、晴磨様、こ、これって一体……?」
「クラ、もういい」
晴磨が言うと、3人を覆っていた黒いもやがなくなり、寒気が消え、部屋の中が再び明るくなった。かわいらしい少女の姿に戻ったクラは、トコトコと晴磨の方に歩いてくると、その隣にちょこんと正座した。
「美弥、ありがとう」
晴磨が勾玉を美弥の首にかけ、美弥の手首から自分の手を離した。あざがすうっと消えていく。手首をさすって顔を上げると、晴磨の隣に座っているクラの姿が消えていた。
「あら、あの女の子は?」
「やはり、視えなくなったか。あれは俺の式神だ」
「式神、ですか?」
「俺と契約を交わした使い魔のことだ。どうやら美弥には、桃華やそこの当主よりも強い力があるようだ。勾玉で力が封印されているから、今まで誰にも気づかれなかったんだろう。少しの間はずしただけでも、そこの3人には見えない式神が見えたんだ。それに、昨日の鬼の一件でも美弥から力を得たおかげで、追い払うことができた」
「私に、そんな力が?」
首を傾げると、晴磨が今は何もない右手首を指差した。
「手首のあざがその証拠だ。詳しくは明日、阿倍野家に来てから話そう」
「え? 明日?」
「ああ。さっきも言っただろう。俺は美弥を婚約者に決めた。明日から阿倍野邸で生活してもらいたい」
「えぇっ! さっきの本気だったんですか?!」
「冗談で言うことじゃないだろ」
「それはそうですけど‥…」
ダンダンと地団駄を踏んで晴磨に指を突きつけている政伸と、涙目で震えながら2人で抱き合って泣いている佳江と桃華に目を向けて、美弥は眉を下げた。
「クラ、口封じの術を解け」
晴磨が声をかけると、3人の口がパカッと開いた。
「はぁっ、はぁっ。よくもやってくれたな! いくら国一番の陰陽師の後継ぎとはいえ、こんな無礼は許されないぞ。それに何の説明もなく婚約者を変えるなど、言語道断!」
「説明しないと分からないのが答えだ。お前たちは誰も式神のことが見えていないじゃないか」
「さっきの邪悪な気が式神のものだというのか? 悪鬼と同じではないか!」
政伸が肩をいからせて声を上げると、晴磨は隣に目を向けて囁いた。
「クラ、抑えろ」
「美弥が桃華や私より力があるなど、ありえぬ! 何が力の封印だ! どこにそんな証拠がある! 私は認めんぞ!」
「ま、政伸様、美弥を選んだというのですから、もういいではないですか」
佳江が政伸の足にしがみついて、涙を流しながら頭を横に振った。
「そうよ、お父様。晴磨様がこんな恐ろしいことをする方だなんて知らなかった。嫁いだら何をされるか分かったもんじゃないわっ」
桃華は佳江に抱き着いて、涙でぐしゃぐしゃになった顔でわんわん泣き出した。
「お前たち、何を!」
「美弥、明日の早朝、迎えの馬車を寄こすから、それに乗って俺の邸まで来てくれ」
晴磨はそう言うと立ち上がり、襖を開けて部屋を出て行こうとする。晴磨の肩を政伸が掴みかかった。
「待て! ご当主に話は通っているのか。何も聞かされていないぞ」
晴磨は振り返ると政伸を睨みつけた。
「離せ」
低い声ですごまれ、政伸はたじろいで手を離した。
「当主がどう言おうが関係ない。婚約は当事者の問題だ。俺が美弥を選んだんだ。誰にも文句は言わせない」
「これは家同士の繋がりのための婚約だ。親を無視していいわけないだろ!」
「家同士の繋がりなら、神部家の令嬢であれば問題はないはずだ。それに、何が親だ。実の娘を力がないからと女中と同じ扱いをしていたお前に、美弥の親を名乗る資格はない。いいか、これ以上俺の婚約者に傷をつけてみろ。口を縫い合わせるだけではすまないぞ。八つ裂きにして鬼の餌にしてやる」
「っ!」
政伸は息を呑み、真っ青な顔で金縛りにあったかのように動かない。桃華と佳江はひぃーっと悲鳴をあげて、隣の部屋に続く襖を開けて這うように逃げ出した。
美弥は急な展開についていけず、部屋を出て廊下を歩いていく晴磨の後ろ姿をぽかーんと見つめた。




