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第5話 勾玉の力

 炎が消え、蛛鬼のいなくなったあとを美弥が呆然と見つめていると、欄干にしがみついていた男の子のむせび泣く声が聞こえてきた。美弥は青年から離れ、男の子のもとに駆け寄った。欄干から下ろしてあげると、男の子は泣きじゃくりながら美弥に抱きついてきた。

 肩で大きく息をしている青年が、男の子の背中をさすって慰めている美弥に、勾玉を渡してきた。


「これ、大事なものなんだろ」

「ありがとうございます」


美弥が受け取って首にかけると、青年は欄干に背を持たれかけて、力尽きたように両手両足をだらんと投げ出した。


「お、お姉ちゃん、ごめん、なさい」


男の子は涙と鼻水を拭って、財布を渡してきた。美弥は胸を撫で下ろし、ヒック、ヒックと肩を震わせて泣きじゃくる男の子の頭を優しく撫でた。


「いいのよ。お金が必要なんだよね。お母さんはご病気?」


唇を噛み締めて頷く少年に、美弥は同情の眼差しを向けた。   

 痩せ細り、青白い顔で弱々しく微笑む母の顔が浮かんでくる。母と美弥に何の関心もなかった父だが、神部家当主の正妻という手前、治療を施さないで放っておくわけにもいかず、定期的に医者を呼んだり、薬も多種多様なものを用意してくれていた。

 もし、自分がこの男の子と同じ立場だったら、母の病を治す薬を買うためにどんなことでもしただろう。できることがあればやってあげたい。そう思うが、自由に使えるお金もなく、女中と同じ扱いを受けている役立たずの元令嬢の自分には、力になれることは何もないことが悔やまれる。

 何もしてあげられないもどかしさで、内心地団駄を踏んでいると、疲れた顔の青年が男の子に年齢を尋ねた。6つだと返答されると、「奉公に出るにはまだ早いか」と呟いた。それが聞こえた男の子は、唇を突き出して俯いた。


「近所の店を回って働かせてくれって言ったら、チビでやせっぽちのガキは使えないって言うんだ」

「それはそうだろうな」


何か良い方法はないものかと美弥が思案していると、青年は羽織を脱いで男の子に差し出した。


「これを質に入れろ。それなりの額はもらえるだろう」

「いいの?」


目を輝かせる男の子に、青年は頷いた。


「一時しのぎだろうが、俺が今できることはこれしかない」


男の子は青年から羽織を受け取ると、子どもらしく無邪気な笑顔を浮かべた。


「ありがとう! 兄ちゃんいいやつだな!」

「良かったね。お母さんの病気、早く良くなるといいね」

「うん。じゃあな!」


男の子は嬉しそうな笑顔で大きく手を振り、隣町の方へ走って行った。


「あの、本当にありがとうございました。恐い人かもと思っていてすみませんでした」


美弥が青年に頭を下げると、首にさげている勾玉が揺れた。美弥は頭を上げると勾玉を着物の中にしまい、右手首に目を向けた。あざがすうっと消えていき、ほっと安心して胸に手を当てる。青年は欄干を支えに立ち上がり、美弥の右手に目を向けた。


「勾玉は母君からもらったと言っていたな。それにさっきのあざ、生まれつきか?」

「はい。あざがあることは誰にも言わないでおいて頂けますか? これは人に見られてはいけないと母から言われていたんです。何でかは分からないのですが、勾玉を身に着けておくとあざが消えるので、肌身離さず持っていなさいと言われて」


それなのに、あんな簡単に盗られちゃうなんて、空の上のお母様から叱られちゃうわ……。


 しゅんと肩を落とす美弥を、青年はじっと見つめた。橋の上をさあっと風が吹き、橋の上に落ちていた美弥の赤いリボンが舞い上がる。腕を伸ばした青年がリボンを掴んで美弥に渡した。


「これも母君からか?」

「はい。生まれてからずっとあざを隠すために手首に巻いてくれていたんです。勾玉をもらってからはこうやって、髪に結んでいて」


美弥はささっと髪の先の方にリボンを結んだ。


「さっきの鬼が阿倍野家の陰陽師と言っていましたよね? 阿倍野様のお邸の方なのですか? 書生さんのようなお姿ですが」

「あ、いや、これは。まあ、そんなようなものだ」


曖昧に答える青年に、美弥ははっとして肩をすぼめた。


「もしかして、明日の妹…、いえ、桃華お嬢様と阿倍野家の若様の顔合わせの準備で来られたのですか? お忙しいのにご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございませんでした」

「いや、気にするな」


青年が足を一歩踏み出すが、ふらっと前に倒れそうになり、美弥は慌てて支えた。


「大丈夫ですか?!」

「……すまない」


青白い顔をした青年は力のない声で言うと、欄干を掴んで支えにした。


「使いの途中だったのだろう」

「はっ、そうでした! まだひとつも終わらせてない! でも、本当に大丈夫ですか? お医者さんを呼びましょうか?」

「いや、休めば大丈夫だ。俺のことより、自分の用事を済ませた方がいいんじゃないか」

「すみません、助けてもらったのに何もしてあげられなくて。今日は本当に、ありがとうございました!」


美弥は早口で言うと、青年に一礼し、バタバタと元来た方へ駆け出した。


 お使いをすませて帰ると、門の外で辺りを見回していたおまつが、目を吊り上げて駆け寄ってきた。


「あんた、お使いに何時間かかってんだい。奥様と桃華お嬢様がお怒りだよ。何であんたを行かせたのかってあたしまで叱られて、とんだとばっちりだよ」

「すみません、おまつさん。色々ありまして」

「いいから、さっさと桃華お嬢様の部屋に行きな」


両手いっぱいに抱えた複数の風呂敷を抱えながら、長い廊下を真っ直ぐ進み、途中右に左に曲がったりしながら、ようやく桃華の部屋の前までたどり着いた。風呂敷をおろして、室内に声をかけようとした瞬間、襖が勢いよくピシャッと開いた。


「やっと戻ってきたのね。亀よりのろまじゃない」


桃華が不機嫌な顔で上から見下ろしてくる。ごめんなさいと、頭を床につけて平謝りをする美弥を、桃華と一緒に部屋にいた佳江が睨み付けてきた。


「おまつから、あんたが使いに行ったって聞いて嫌な予感はしてたんだよ。簡単な使いも満足にできないなんて」

「霊力だけじゃなくて、全てにおいて能無しねえ。こんなのが姉だなんて信じられないわ。まあ、あんたを姉と思ったことは一度もないけど」


桃華はふっと蔑む笑みを浮かべ、扇子で扇いでいる佳江を振り返った。


「お母様、何でお父様はこの役立たずを家に置いとくのかしら? 理解できないわ」

「懐が深くていらっしゃるのよ」

「あの、お使いの物を」


美弥は頭を上げ、床に置いてある風呂敷を部屋内に入れようとする。桃華は懐から扇子を取り出し、風呂敷に触れている美弥の手の甲を叩いた。


「いたっ」

「汚い手で触らないで」


美弥は赤くなった手の甲をさすり、あかぎれとすり傷だらけの手に目を落とす。

 桃華は自分で風呂敷を部屋の中に入れながら、溜め息をついた。


「婚約して結納したらあんたの顔見ずにすむわ。清々する」

「あなたはいいわね。私はずっとこれと一緒。嫌になるわ。旦那さまに追い出してって頼もうかしら」

「どんくさくて、のろまで、簡単な仕事もできない、家畜以下だもの。お父様だって許して下さるわ」

「桃華ったら。本当のこと言ったらかわいそうよ」

「あら、お母様はお優しいのね」


アハハハハと高笑いする桃華と佳江を前に、美弥は何も言えず俯いた。


「さあ、桃華、早く準備しないと。こののろまのせいで時間がおしてしまったわ」

「そうよね、急がなくちゃ。晴磨様、この帯気に入ってくださるかしら」


風呂敷を全て部屋の中に入れた桃華は、廊下でじっとしている美弥に目もくれず、後ろ手でピシャッと襖を閉めた。

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