第4話 蛛鬼、現る
一方男の子は、隣町との境に流れる川に架かっている橋の下にある土手で、財布の中を覗いていた。
「へへっ。たんまり入ってる。こんだけあれば母ちゃんの薬も買える。あの姉ちゃんが持ってたこれも、金になるかな」
翡翠でできた勾玉を指でつまんで顔の上に掲げて首をかしげた。つるつるとした乳白色の表面にうっすらと淡い緑色が滲んでいる。
「なんか、きれいだな。売るのもったいないや」
「小童、それはおまえのか?」
男の子の目の前に、筋骨隆々の胸元を見せつけるようにはだけさせた白と黒の格子縞の着物をまとい、頭の上の方で波打つ金髪を束ね、黄色の目をした若い男が唐突に現れた。
「うわっ! おまえ、どっから出てきたんだよ! これはおれのだぞ」
男の子は後退りしながら、勾玉の紐を首にかけ、財布を後ろ手に隠した。
「本当におまえのかあ?」
男は大股で男の子に近づき、勾玉に顔を近づけてくんくんと匂いを嗅いだ。
「気に食わない霊力のニオイがぷんぷんするぜ」
「な、何してんだよ!」
「おい、本当のことを言え。誰かから盗んだんだろ。これを持ってたのは誰だ。言わないと食っちまうぞ」
男がニヤッと口を開くと、獣のような牙を覗かせて脅すようにガチガチ鳴らした。
「ひぃっ! ば、化け物!」
男の子が腰を抜かして尻もちをつくと、男は盛り上がった筋肉を見せつけるように上半身の着物を脱ぎ、自身の両拳をガツンとぶつけ合わせた。すると金髪の頭の上から2本黄色と黒の縞模様の角が生え、背中から蜘蛛のような足が6本生えてきた。
「よく見ろ、化け物じゃねえよ。鬼蜘蛛の蛛鬼(様だ」
男の子はガタガタ震え出し、その場から動けなくなる。
「カーカッカッカッカッ! どうだ、ビビったか。ほら、早く言えよ。その勾玉を持ってたやつは誰だ」
男の子は涙目で声を震わせながら、首を横に振った。
「だ、誰かなんて、分かんない。わ、若い女の、人だった」
「若い女だと? カカカッ、これは当たりじゃねえの? で、そいつどこだ?」
「し、知らない。おれ、こんなのいらない!」
男の子は勾玉を首から外して放り投げ、力を振り絞って橋の下から飛び出した。
「逃がすわけねえだろ。俺様が喰ってやるよ。カカカッ」
黄色の目を光らせた蛛鬼が勾玉を拾い上げ、バタバタと必死に橋の上に駆けていく男の子をあざ笑いながら、大股で後を追いかけて行った。
「うわあぁぁぁー! 誰かー! 助けて!」
欄干の上によじ登って中腰になり、落ちないよう欄干を両手で掴んだ男の子は、涙ながらに大声で助けを求めた。
「あっ、あの子!」
男の子の声を聞きつけ、青年の後から駆けて来た美弥は、欄干の上で泣き叫ぶ少年を見て目を見開いた。
「助けなきゃ!」
欄干に近づこうとするが、青年に腕を掴まれて止められてしまう。
「近づくな」
「でも!」
「あの子どもが何に怯えているか分からないか?」
「えっ?」
「やめろ、こっち来るな!」
男の子が右横を見て怯えた顔でしゃがみ込み、声を張り上げる。美弥が男の子の目線の先に目を向けると、すぐそこに蛛鬼の姿があった。美弥は息を呑んで恐怖で全身の血の気が引いていき、さっと青年の後ろに隠れた。
「な、何、あれ?!」
「お、鬼よ!」
「逃げろ!」
橋の上を歩いていた人々が蜘蛛の子を蹴散らすように逃げまどい、辺りは悲鳴と怒号に包まれた。
「おいおい、逃げるなよ。順番に喰ってやるからよ。まずはお前からだ。俺様が喰ってやるんだから光栄に思いやがれ」
背中から生やした蜘蛛の足をうごめかせ、右手に持っている勾玉の紐をくるくる回しながら、男の子に左腕を伸ばし掴みかかろうした。
「あっ、私の勾玉!」
美弥が青年の背後から顔を出して声を上げると、蛛鬼が鼻をひくつかせ、男の子の方から青年と美弥の方に顔を向けてきた。
「ん? なんか臭うな」
「ひいっ! こっち見た!」
美弥が首をすくめると、蛛鬼は顔をしかめ、青年を睨みつけた。
「カカッ。くせえと思ったら、阿倍野の小僧かよ。あと、勾玉の霊力に似たニオイもうっすらするな。おい、後ろの女、おまえか?」
自分の方にドタドタと足音を鳴らして向かってくる蛛鬼の恐ろしさに、美弥はガタガタと全身が震える。
「ちっ。あいつらを連れてくるべきだった。何故、白昼堂々姿を見せている? 昼間は力が弱いんじゃないのか」
ぶつぶつ呟きながら青年は懐から護符を出し、人差し指と中指の中に挟んでふうっと護符に息を吹きかけた。
「破!」
青年が蛛鬼に向かって護符を放つが、背中の蜘蛛の足で薙ぎ払われ、さあっと消えていった。
「くっ、駄目か」
「カカカカッ。こんなへなちょこ陰陽師の護符なんか効くかよ。鬼羅様に聞いてた通り、おまえは式がいないと何もできねえんだな。おまえを殺してそこの女を連れて行けば、鬼羅様にほめられるぜ。カーカッカッカッカッ!」
蜘蛛の足がにゅるにゅると伸びて素早い動きで青年と美弥を捕えにかかる。
青年はすんでのところで美弥を抱きかかえ、橋板の上に転がった。その拍子に美弥の手首に巻いていたリボンがほどけ、柊の葉のあざがあらわになった。
「そのあざは!」
青年が目を見開いてあざを見つめ、美弥はとっさに左手で隠した。
「なにっ、あざだと! やはり、お前だったか!」
蛛鬼が橋の上を飛ぶように跳ねて美弥に近づいてくる。蛛鬼から守るように、青年が美弥の肩を片手で抱いて自分の傍に引き寄せた。空いている手で懐から再び護符を取り出し息を吹きかけ、投げつけた。
「破!」
「そんもの、効かぬと…‥ぐわっ!」
背中から生えている蜘蛛の足で薙ぎ払おうと護符に触れた瞬間、足が吹き飛び、欄干の上に登っている男の子の下に転がっていった。
「う、うわーっ!」
男の子は驚いて悲鳴を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で欄干にしがみついた。
「な、なぜだ! おまえ、何をした!」
「何だ、この感覚は」
美弥の肩に置いた左腕からじんわりと温かい気の力が流れ込んでくるのを感じ、左手を見つめた。 先程とは異なる威力に驚愕した美弥は、口許を押さえて息を呑んだ。
「俺様の足になんてことしやがる。許さねえ」
蛛鬼がふんと胸筋に力を入れてふくらませると、無くなった足が再び生えてきた。そして、両腕を横に開いて天を仰ぎ、耳をつんざくような雄叫びを上げた。
「グオォォォォッ!」
体が徐々に膨らんでいき、人間の体から脱皮するように黄色と黒の縞模様の巨大な鬼蜘蛛が現われ、ギラギラと光る黄色の目玉が8つ開眼した。
「な、何あれ! 怖すぎるっ!」
半べそをかいて、咄嗟に青年に抱き着く美弥の肩を、青年がぐっと抱き寄せて囁いた。
「しばらくこのままで」
美弥は恐怖と緊張の面持ちでこくこくと小刻みに頷いた。
「オンアビラウンケンソワカ」
青年が右手の人差し指と中指を立て、呪文を詠唱しながら描いた五芒星が、宙に浮かび上がる。
「六根清浄急急如律令」
腕を高く振り上げると、巨大な五芒星が蛛鬼の真上に広がり、蛛鬼を取り囲むように青い光が降り注ぐ。光は炎へ変わり、青い炎が蛛鬼を丸呑みにした。
「ギャアァァァァ!」
断末魔の雄叫びの中、蛛鬼は勾玉を放り投げ、炎から守るように体を8つの足で覆い、ふっと姿を消した。




