第33話 付喪神たちの復活
陽射しが差し込む縁側の上に、天日干しされているかのように、美弥が受け継いだ嫁入り道具の手鏡、櫛、簪と小箱が並んでいる。それらを見下ろす形で中庭に立っている美弥が、一歩後ろに下がっているクラを振り返った。クラが頷いて小さな手を差し出す。美弥は首から勾玉をはずして、真剣な表情で頷き、クラに手渡した。右手首に柊の葉のような形のあざが浮かんでくるのを確認してから、両掌を嫁入り道具の方に突き出した。
鼻から息を吸って、口から吐き出し、呼吸を整える。
掌がじんわりと温かくなる。
心の中で願いを唱えるように、固く目を閉じた。
ボタンさん、チョウさん、コハクさん、それにサクさん。皆さんが妖力を取り戻せますように!
ドンッ! バキッ!
「へ?」
何かが壊れるような音がして目を開けると、嫁入り道具が並んでいた縁側の板にぽっかり穴が開いている。青ざめた顔で慌てて穴の中を覗くが、そこには何もなかった。
「みや、ちから、つよすぎっ!」
中庭にいたはずのクラが、いつの間にか縁側の柱の影に身を潜めていた。腕の中に嫁入り道具を抱え込み、怯える目で美弥を見ている。美弥が謝罪しながらクラのもとに駆け寄った。ありがとうございますと頭を下げた時、背後から小馬鹿にした笑い声が聞こえてきた。
「あーあ、縁側に穴開いちゃってる。下手くそねえ。晴兄様もそう思うでしょ?」
わざとらしく驚いた顔で穴を覗き込んだおなつが、隣に並ぶ晴磨を見上げた。
「も、申し訳ございません! 後で直しておきます……」
美弥が深々と頭を下げると、晴磨が頭を上げろと言ってきた。だが、おなつにくすくす笑われ、不甲斐なさと恥ずかしさで顔が熱くなり、頭を上げることができない。俯いていると、美弥の前に晴磨がしゃがみ込み、下から顔を覗き込んで耳に心地よい声で名前を呼んできた。
「美弥」
端正な顔立ちと、吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられた美弥は、耳まで真っ赤になっていく。晴磨は握りしめていた美弥の手を両手で包み込み、ゆっくりと立ち上がった。
晴磨の手に覆われた自分の手が燃えるように熱い。顔も火が出るほどを熱く、心臓は早鐘を打っている。じっと見つめてくる晴磨に困惑しながらも、目を逸らすことができない。
「ちょっと! いい加減、晴兄様から離れなさいよ!」
耐えきれなくなったおなつが割り込み、晴磨の手を美弥の手からどかして、晴磨の腕にぎゅっとしがみついた。目を吊り上げて美弥を睨みつけ、ベーっと舌を出してくる。クラが対抗するように、美弥にぴったりとくっつき、おなつをきつく睨みつけた。
「おなつ、邪魔をするな。美弥の霊力を確かめていたというのに」
肩をすくめた晴磨は、おなつを腕から引きはがした。
「邪魔してないもん。手を握って見つめ合ってただけじゃない。そんなんで霊力を確かめるって何よ!」
「変な言い方するな。見えない霊力を感じ取って、確かめるためにはだな」
唇を尖らせてむくれるおなつに、晴磨が困惑の表情で説明していると、縁側の奥から歩いて来たミチが声をかけた。
「おなつちゃん、おはる姐さんが探しとったよ。仕事さぼっとったら、お仕置きや言うてたで」
おなつはビクッと体を震わせると、ポンと音を立てて消え去った。
溜息をつく晴磨と立ち尽くす美弥を交互に見たミチが、ニヤリと笑みを浮かべた。
「やっぱりおなつちゃん、美弥ちゃんのこと目の敵にしまくってるわ」
「何であんなにつっかかるんだ。あいつは男嫌いだが、同性とは上手くやれる方だと思っていたんだが」
晴磨が眉をしかめると、ミチが溜息交じりに苦笑した。
「主はほんま、女心が分かってへん。おなつちゃんは美弥ちゃんに嫉妬してるんやで。それともなにか、ほんまは分かっとって気づいてへん振りしとるんか? そんなんあかんで。仮とかなんとか言うても、婚約したんやから、おなつちゃんにははっきり言うてあげんと」
「おまえは、女のことになると口うるさくなるな。おなつのことは、今はいい。それよりも」
晴磨は穴の空いた縁側に目を向けた。それにつられたミチも同じ所を見て、目を丸くした。
「早く霊力の扱い方を、身に着けた方が良さそうだ」
美弥は恥ずかしそうに、宜しくお願い致しますと頭を下げた。
悪鬼に邸の場所が気づかれないよう晴彦と四神が結界を張っているので、美弥の霊力も感知されないが、念には念をと、晴磨は中庭に結界を張るようクラに命じた。
懐から紙の式を取り出した晴磨が、短い言葉を呟く。晴磨が手を離すと、式は落下せずに宙に留まった。美弥が不思議そうに見ていると、晴磨は目を閉じ、人差し指と中指を立てて「急急如律令」と呟いた。人型の式は瞬時に蝶に変わり、紫色の透き通った羽を羽ばたかせて辺りを優雅に飛び回った。
「すごいです! きれいな蝶々ですね」
目を輝かせて、舞い続ける蝶を目で追いかけていると、動きを止めて地面に落下した。蝶は人型の式に戻り、晴磨がそれを拾い上げた。
「霊力を的確に操るためには、霊力を使って行いたいことを明確に想像する必要がある。霊力が弱いと、想像できても力が追い付かず、霊力を高める修業が必要だ。だが、美弥には既に巫女の霊力が備わっている。具体的に想像できればこれぐらいすぐにできるようになるはずだ」
ちなみに詠唱するのは霊力を即時に高めるための手段だから、覚える必要はないだろうと晴磨は言うと、先ほどと同じように人型の式を宙に浮かせた。美弥は晴磨と同じようにきれいな蝶を思い浮かべ、人型の式の前に両手を広げた。
きれいな紫色の蝶々になって、自由に優雅に飛び回って!
目を閉じて心の中で念じると、掌がじんわりと温かくなっていく。
ふいにチョウの姿が思い浮かび、早く霊力を扱えるようになって、自分の霊力を注いで元の姿に戻してあげたいという思いが込み上げてきた。
「お嬢」
凛とした声に目を開けると、今しがた思い浮かべたチョウの顔が目の前にあった。だが、体は紫色の羽を羽ばたかせている蝶で、美弥は思わずひぃっと短い悲鳴を上げてのけ反った。
蝶の姿をしたチョウは、「お嬢」と連呼しながら辺りを飛び回り始める。新種の妖怪のような不気味さに、晴磨は顔をしかめた。晴磨の命令で縁側を修理していたミチは、手に持っていたトンカチを放り投げて笑い転げ、嫁入り道具を抱えているクラは、肩を上下させて笑いをこらえている。
「ご、ごめんなさい! こんなつもりじゃなくて。蝶々を思い浮かべていたんですけど、チョウさんのことも思い出してしまって……」
晴磨は気にするなと言いながら、人差し指と中指を立て、飛び回っている蝶に向かって、横一直線に手を動かした。チョウの顔をした蝶は消え去って人型の式に戻り、美弥は安堵の息を漏らした。
ひとつの想像にもうひとつを組み合わせて融合できるのは、なかなかできることではないと晴磨に誉められた美弥は、自然に頬が緩んだ。しかし、尚更のこと的確に想像しないと先ほどのようにみょうちくりんなことになってしまい、悪鬼を祓う際には危険に繋がりかねないと指摘され、緩んでいた頬を引き締めて肩を落とした。
「はあー、美弥ちゃんおもろすぎるわ。あのクラも必死に笑い堪えてたで」
「ミチ、うるさい」
笑いすぎて涙が出ているミチの脛を、クラが足蹴にするが、ミチは痛がる素振りを見せず、クラが抱えている嫁入り道具を指差した。
「さっきみたいに、付喪神たちのこと想像して、本体に霊力注いだったら、すぐ元に戻るんちゃうん?」
縁側に穴を開けたように、付喪神たちの本体を壊したらと思うと、美弥は不安でしかなく、まだ練習が必要だと訴える。だが、想像の集中力を高めるためにも良い訓練になるかと頷いた晴磨に、本体が壊れないよう守るから大丈夫だと言われてしまった。美弥の心配をよそに、地面にむしろを敷き、その上にクラが付喪神たちの本体を並べていく。
「みや、できる。だいじょぶ。クラ、つくもがみたち、まもる」
むしろの脇に立つクラに応援され、できないとは言えず、美弥は固い表情で手鏡、櫛、簪、小箱を見下ろした。
「美弥、そう固くなるな。付喪神たちのことを明確に想像して、妖力が戻るよう念じるんだ」
隣に立つ晴磨に頷き、深呼吸をする。両掌を付喪神たちの本体に向けて、目を閉じた。
「お嬢」と親し気に呼ぶボタン、チョウ、コハクの顔を思い浮かべる。
また笑って話したい。顔が見たい。
そして、まだ見ぬ小箱の付喪神、サク。どのような姿で、どのような声なのか。共に時間を過ごしていたボタン、チョウ、コハクのためにも、サクを蘇えらせてあげたい。
皆さんに会いたい!
皆さんの妖力を取り戻してあげたい!
美弥の両掌から柔らかい光が放たれ、付喪神たちの本体を包み込んでいく。温かい風が吹き上げ、美弥の髪と着物の袖をなびかせた。光と風が弱まり、目を開けると、むしろの上にボタン、チョウ、コハクが姿を現し、自分達の姿を確認して笑顔になった。
「成功したわ!」
「「「お嬢!」」」
泣き笑いの顔で喜ぶ美弥に3人は抱き着き、再会を喜んだ。
カタカタッ。
歓喜の声を上げる美弥たちを、微笑を浮かべて見ていた晴磨の耳に、足元から微かに何かが動く音が聞こえて来た。ミチとクラも音の方に目を向ける。むしろの上で小箱が左右に揺れ動いていた。ミチとクラが急いで美弥に知らせると、美弥と付喪神たちは驚きと期待に満ちた表情で、動き続けている小箱を見つめた。だが、徐々に動きが弱まっていき、終いにはピクリとも動かなくなった。
「すみません、力不足で……」
肩を落とす美弥を付喪神たちは口々に励まし、礼を述べた。
「お嬢のおかげでおいらたちは妖力を取り戻せたんだぜ。ありがとよ」
「そうだよ。こんなに早く元に戻れて、あたいらは嬉しいよ。お嬢、ありがとう」
「ありがとう、お嬢! サク兄ちゃんの本体が動いただけでもすごいよ!」
付喪神たちの言葉が胸に染みる。美弥は微笑み、小箱を手に取った。
「10年も気配がなかった付喪神の妖力を、一度で取り戻せるはずがない。兆しが見えただけでも良かったじゃないか。もう一度やってみたらどうだ?」
晴磨に促され、美弥は頷いて小箱をむしろの上に戻した。
ボタン、チョウ、コハクにも見守られながら、美弥は両手を小箱に向けて広げ、目を閉じてサクが妖力を取り戻せるよう念じた。
熱をおびていく両掌から光が放たれ、吹き上げてくる風と共に小箱に吸い込まれていく。自分自身も吸い込まれそうになり、足を踏ん張っていると、晴磨が腰を支えてくれた。
「霊力を相当欲しているみたいだ。俺も手伝おう」
晴磨は片手を小箱に突き出し、ぶつぶつと呪いを唱え始めた。
それからどれほどの時が経ったのか、美弥は体の力が抜けていき、立っていることができなくなった。汗だくになっている晴磨が慌てて支えるが、片膝をついてしまう。ボタンが美弥を横抱きにし、ミチが晴磨の肩を支えた。
霊力の光に包まれている小箱は、ガタガタと激しく上下左右に動き出す。ピタッと動きが止まり、光が次第に弱まっていった。小箱は光の中で人のような形になっていく。ボタンの腕の中で、息を切らしながらそれを見ていた美弥は、目を見開いた。
光が消えると、そこには、黒々とした背中までの長い髪を緩くひとつに結び、藍染の着物に桜模様の羽織を羽織った、すらりと背の高い男が立っていた。以前に桃華が熱を上げていた歌舞伎役者のような、品のある端正な風貌だ。明るい茶色の瞳を美弥に向けると、一歩踏み出し、手を伸ばしてきた。顔を近づけて指先でそっと頬を撫でた。初めて会うのに、なんだか懐かしい気持ちになり、美弥はその手を掴んで名前を呼んだ。
「サク、さん?」
「ああ。そうだよ、美弥。会えて嬉しい。我が愛し子よ」
サクの形の良い唇が、美弥の頬に触れた。
美弥を含め、その場にいた皆が驚愕し、時が止まったかのように、一時誰も動けなかった。ただサクだけが、目尻に涙を溜めて微笑を浮かべながら、美弥に慈愛の眼差しを向けていた。




