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第32話 鬼の姫

 人は死後、肉体から魂が抜け出てあの世と呼ばれる死者の世界へと旅立つ。

生きている間には知り得ないが、人は古来より八百万の神を崇拝し、海を越えて渡ってきた仏やキリストなどを信仰することで、死後の世界に想いを馳せてきた。

善行を積んだ者は天国へ、悪行を犯せば地獄へ、はたまた輪廻転生を繰り返すなど、見えない世界に対する興味と畏怖の念を抱いてきたのだ。

自由で無限な人の想像力は、天国の華やかで美しい暮らしだけでなく、地獄の過酷で苛烈な仕置きの方にも働き、何段階にも渡って裁きを行う閻魔のような裁判官を作り上げ、罪に合わせた地獄をいくつも編み出した。そして、それぞれの地獄で耐え難い罰を与える獄卒として、恐ろしい鬼をも生み出したのだ。

地獄の責め苦を負わないためにも、善人であれ、得を積めという戒めの意味が込められていたのだろうが、想像の産物でしかなかったものは永き時を経るにつれ、数多の畏怖の念が集い、力を得て、実体を持つようになった。生者には見えないあの世は天国も地獄も存在するようになり、特に地獄は人の想像を遥かに超えた恐ろしい鬼たちが、死者を苦しめるおぞましい場所となった。


あの世とこの世は表裏一体。

死後、あの世にいけずさまよう者が幽霊となることもあれば、姿形を変えて妖怪と呼ばれる異形の者になり、この世で生き続けることもある。

中には、死んでも死にきれない恨みをもった者が、地獄の獄卒のような鬼となる者もいた。鬼はあの世とこの世の間に息づき、生者を喰らって力を得た。

その内、人の心の闇につけこみ、人を思うように操って争いを起こさせ、混乱を招いてはそれを酒の肴に楽しむ者が現れた。それが後に、鬼一族を束ねる大将となる闘鬼丸だった。

闘鬼丸のもとには次々と鬼が集まり、噂を聞き付けた地獄の獄卒の中には、地獄から抜け出て闘鬼丸とこの世で暴れる鬼まで出てきた。闘鬼丸はこれらの鬼を一族としてまとめあげ、鬼からも人からも畏れられる存在となり、この世で好き勝手に暴れ回った。


ところが、鬼の悪行から逃れたい、退治したいと熱心に神仏に祈る人々の信仰心を汲んだ神々が、鬼を祓う霊力を、陰陽師や祈祷師、巫女など、選ばれし者に与えた。それから霊力を持つ人間と鬼の闘争の歴史が始まったのだ。

そんな折、鬼一族にとっては最恐最悪な霊力を持つ巫女、(あやめ)が誕生し、鬼一族の勢力は徐々に下火となっていった。だが闘鬼丸は、一族が祓われるのをただ指をくわえて見ていたわけではない。菖の心の闇につけいり、菖を操ることに成功した。


「だが、誤算があったのじゃ」


冷たく湿った空気がじめじめと体にまとわりつく洞窟の奥深く、高く積み重なった人骨の上から、よく通る凛とした声が岩壁に反射して響き渡る。

鬼火で青白く照らし出されている声の主は、真っ赤な彼岸花が映える膝丈の着物に、漆黒の男物の羽織を肩にかけており、長い黒髪を高い位置でひとつにまとめた色白で妖艶な美女だ。瞳は炎のように赤く、青筋を立てたこめかみには、赤黒く鋭い角が2本生えている。手に持っている鉄扇子を、音を立てて開き、人骨の下で肩膝を立てて頭を垂れている四鬼に一瞥をくれた。


「にっくき菖の婚約者となった陰陽師、阿倍野晴人(はるひと)が、四神と共に、菖を操っていた父、闘鬼丸を祓い、危うく消えかけたのじゃ」


目尻を拭う真似をし、黒々とした艶のある長く鋭い爪を鉄扇子に突き立てゆっくりと引っ掻いた。怒りを表すようにキキキと不快な高音が耳をつんざく。


「父上は力尽きる前、恨みの思念でこの鬼羅(きら)を生み出し、御身の復活と復讐を命じられたのじゃ。その後、お前たち四鬼(しき)が、父上のために人間の血を集めてくれたおかげで、1000年の時を経て、復活寸でのところまでいったのじゃ。しかし……」


鬼羅は鉄扇子をパチンと閉じ、大きく開いた襟元から覗くこぼれんばかりの乳房の間から、掌におさまる大きさの水晶を取り出し、顔の周りを浮遊している鬼火に掲げた。


「ああ、なんとお痛わしや、父上! 10年前の失態、わらわは悔やんでも悔やみきれませぬ」


鬼羅の嘆きに合わせ、四鬼は皆一様に歯を食い縛り、こめかみに青筋を立て、どす黒い妖気をまとわせた。

 鬼羅は血のように赤い唇を笑みの形にし、扇子を開く。すると扇子の中から手品のように、赤黒い血がたっぷり入った一升瓶があらわれた。


「父上、邪心に溺れた人間の穢れた血ですぞ」


鬼羅は一升瓶を傾け、水晶の上に血をかけ始める。血は水晶に吸い込まれていき、あっという間に一升瓶は空になった。

 四鬼たちが、血の色に染まった水晶を見上げ、ニヤリと鋭利な牙を覗かせた。

 鬼羅はふふふと満足そうに笑みを浮かべ、四鬼たちを見下ろした。


「父上の完全復活には、人の血だけでは足りぬ。巫女の生まれ変わりが持つ強大な霊力が必要じゃ。心の闇につけいり、霊力を穢して邪気とし、水晶に封印されし父上に捧げるのじゃ。そのために、お前たちに生まれ変わりの者を探させていたのだが。蛛鬼(ちゅうき)諜鬼(ちょうき)!」


鉄扇子を突きつけられた2人の鬼はそれぞれ返事をして頭を垂れた。鬼羅は水晶を胸の谷間にしまうと、人骨の山から飛び下り、2人の前に降り立った。鬼羅が履いている高下駄の小気味良い音が辺りに響いた。

 (おもて)を上げよと言われた蛛鬼、諜鬼は顔を強ばらせ、鬼羅を見上げた。その途端、2人の頬は鉄扇子で殴られ、血飛沫と共に隅の方へ吹き飛んでいった。鬼羅の美しい顔は、地獄の閻魔も恐れそうな般若の形相になり、怒りを露わに声を張り上げた。


「巫女の生まれ変わりが目の前にいたというのに、調伏されかけたからと、手ぶらで戻りおって! 貴様ら、ふざけておるのか!」


耳をつんざく怒声が、洞窟全体を震わせる。残った2人の鬼の内、諜鬼に負けずとも劣らない美形で、短い赤髪の若い姿の鬼が、恍惚の表情で鬼羅を見上げた。


「ああ、鬼羅様、我らの姫よ。大将を彷彿とさせるその怒声、最高に痺れます! あの2人が羨ましい。我も姫から仕置きを」


言い終わる前に、鬼羅の細くて白い足が顔面に振り下ろされ、高下駄が顔にめりこんだ。


幻鬼げんき、お前は相変わらず気持ち悪いったらありゃしない」


顔を歪めた鬼羅とは対照的に、幻鬼は鼻がつぶれて血まみれになりながらも、嬉しそうに口角を上げた。


「ありがたき幸せ!」


呆れ顔で幻鬼を見る隣の鬼は、痩せ細り、背中が曲がっている老人の成りをしている。肩をすくめて小さく呟いた。


「ふざけている場合か」


幻鬼が片手で顔をさっと撫でると、元の美形に戻り、老人の鬼に顔を近づけた。


災鬼(さいき)、我は姫の願いを叶える策を既に練ってあるぞ。お前はどうなんだ?」 


うっとうしそうな顔をした災鬼が口を開く前に、鬼羅が幻鬼の顎を鉄扇子で持ち上げ、策とは何か問いかけた。幻鬼は嬉々として答えようとしたが、吹き飛ばされていた蛛鬼と諜鬼が姿を表し、割って入ってきたせいで、中断させられた。

 蛛鬼と諜鬼は、冷たく固い地面に頭を擦り付け、口々に許しを乞い、次こそは必ず生まれ変わりを連れ帰り、鬼羅の前に差し出すと決意を述べた。


「次はないと思え」


御意と応える蛛鬼と諜鬼に、幻鬼が唇を尖らせて文句を垂れた。


「我の策を姫に話すところだったのに、邪魔しやがって」

「勝手にすればよい。だが、失敗した時には、命はないものと思え」


鉄扇子を突きつけ、鋭く冷たい眼差しを向ける鬼羅に、頬を紅潮させて興奮で身体を震わせる幻鬼はにやけ顔で頭を下げた。

 鬼羅は胸の谷間に挟んだ水晶を手に取り、そっと口づけをした。


「父上、今しばらくの辛抱ですぞ」


血の色に染まっていた水晶は、深い闇に覆われたように漆黒に変わる。赤い瞳が浮かび上がり、怪しげにキラリと光った。

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