第3話 小さな泥棒
片手に財布の入ったちりめんの巾着袋、もう片方には店名と品物が書かれた紙を持った美弥は、商店が建ち並ぶ大通りで、紙に目を落として歩きながらぶつぶつ呟いていた。
「最初に呉服屋さんで帯と帯留を受け取って、それから小間物屋さんで簪とおしろいと紅を受け取って、次は和菓子屋さんに行って……。けっこうたくさんあるのね。きゃっ!」
紙から顔を上げた途端、ドンッと何かがぶつかってきて尻もちをついた。
「いたたたた」
腰をさすりながら立ち上がると、目の前につぎはぎだらけで汚れが目立つ丈の短い着物を着た、6歳ぐらいの男の子が地面に座り込んでいる。
美弥は慌てて大丈夫か問うと、男の子は突然大声で泣き出し、通りを歩く人々が何事かと目を向けてきた。
「ごめんね。怪我しちゃったかな?」
「うえーん!」
美弥は抱き起こそうとするが、男の子は泣きじゃくるだけでその場を動かない。
「どうしよう……」
困惑していると、男の子が美弥の方に両手を伸ばしてきた。
「抱っこ」
「え?」
「抱っこして。足痛い」
「あ、うん。抱っこね」
子どもを抱っこしたことがない美弥は、おそるおそる男の子の脇の下に腕を入れて、持ち上げた。 細い見た目よりも思ったより重量感があり、足がふらついてしまう。
「お、重い」
「落ちそうじゃんか! しっかりしてよ!」
「は、はい!」
日頃から叱られ慣れている美弥は、男の子にまで叱られ、思わず敬語になってしまう。落とさないよう慎重に男の子のおしりを押さえ、なんとか抱っこの形になった。
「姉ちゃん、ヘタクソだな」
さっきまで泣いていたとは思えない冷めた目を向けられ、美弥はがくっと肩を落とした。
「ごめんなさい……」
「なあ、その巾着って何が入ってんの?」
男の子が左手に持っている巾着袋を指さす。ずしっとくる体重に耐えながら、一歩一歩進むことに集中していた美弥は、何の警戒心もなく答えた。
「お財布よ。大事なお使いがあるの。でも、あなたをおうちまで送るのが先ね。おうちは」
「姉ちゃん、首につけてるこれ何?」
男の子は美弥の言葉を遮り、首元に顔を近づけて赤い首紐をピンと引っ張った。
「あはは、くすぐったいよ。これはね、とっても大事な物なの」
「財布より?」
「そうね。私にとってはお金よりも大事よ」
「ふーん。降ろして!」
「でも、足痛いんでしょ。おうちまで送るわよ」
「もう痛くないからいい」
「そう?」
美弥は心配しながらも、男の子の言う通り地面におろす。その途端、首と左手からするっと紐が抜けていく感覚があった。
「へっへーん。もーらい。姉ちゃん、ちょろいな!」
両手に巾着袋と首紐にぶらさがった勾玉を持った男の子は、べーと舌を出すと脱兎のごとく駆けて行った。
「えっ、ケガは? あっ、じゃなくて、お財布と勾玉! 返して!」
美弥が慌てて右手を伸ばすと、着物の袖から覗く手首に、うっすらと柊の葉に似たあざが浮かんできた。
「あっ!」
あの勾玉、あざが消えるから絶対にはずしちゃいけないってお母様から言われていたのに! 早くあの子から返してもらわないと。
美弥は手首を抑えながら慌てて走り出した。人混みを掻き分けていく男の子を目で追いつつ、髪に結んでいるリボンをほどいて手首に巻いてあざを隠した。
「あら、どこに行っちゃったのかしら?」
冷や汗を浮かべながら雑踏に目を向けるが、手首に視線を向けている間に男の子を見失ってしまった。
うそ! いなくなっちゃった!? どうしよう……。
頭を抱えて焦りの表情で辺りを見回しながら走っていると、突然何かとぶつかってしまい体勢を崩した。
「きゃあっ!」
足に力が入らず倒れこみそうになる。衝撃に備えて目を閉じたが、背中の辺りを支えられ衝撃がくることはなかった。
「大丈夫か?」
低く安定した心地よい声が聞こえて目を開けると、涼やかな瞳に一直線に通った鼻筋、形の良い薄い唇、ざんぎり頭がよく似合う整った顔立ちの青年がいた。縦縞の着物に丸首の西洋シャツ、短めの袴に下駄を履いた書生のような出で立ちに不釣り合いな、丈の長い上質な生地の羽織を羽織っている。美しい青年の顔に見惚れていた美弥は、気づかない内に声がもれていた。
「…‥きれい」
「は?」
青年は、太すぎず細すぎず、直線に整った眉をしかめる。我に返った美弥は体勢を整えて、頭を下げた。
「も、申し訳ございません!」
「いや、俺も前を見ていなかった。悪い」
「いえ、そんな。助けて頂いてありがとうございます。おかげさまで転ばずにすみました」
青年は笑顔を向ける美弥をじっと見つめてきた。
何でこの人こんなに見てくるのかしら。もしかしてぶつかったから怒っていらっしゃる? それとも、助けたのにありがとうだけでいいと思っているのかって、怒ってらっしゃるとか? お金か何か渡せって言われるのかしら? そもそも自分のお金なんて持ってないのに。あっ、でも、財布盗られたんだったわ! 大事な勾玉も! 早く探しに行かないと!
眉を八の字に、口をへの字に曲げた美弥は顔が青ざめていき、再び頭を下げた。
「申し訳ございません! 謝礼はお支払いできないんです。私のお金ではないのですが、財布を男の子に盗られてしまって、探してる所だったんです。なので、急いでいますので、失礼します!」
「ちょっと待て」
顔を上げずに青年に背を向けて走り去ろうとしたが、青年に腕を掴まれてしまい、美弥は青ざめた顔でおそるおそる振り返った。
「もしや、神部家の?」
「何故それを!? ただの役立たずの女中なので、お金持ってないんです! ごめんなさい、すみません、申し訳ございません!」
「女中?」
顔をしかめる青年に、美弥は何度も頭を下げた。
「そうなんです。ぶつかってしまって申し訳ございませんでした。ちょっと今、本当に急いでいまして」
「財布を盗まれたと言っていたな」
「財布だけじゃなくて、 お母様からもらった大切な勾玉も盗まれたんです! 早く男の子を見つけて返してもらわないといけないので、大変申し訳ございませんが、私はこれで!」
「俺も探そう」
走り去ろうと青年に背を向けようとしていた美弥は動きを止め、目を丸くして青年を見つめた。
「へ?」
ま、まさか一緒に探し出して財布と勾玉を持って行っちゃうつもり? 言うんじゃなかったわ。でも、どうやって断れば?
美弥が心の中で頭を抱えていると、青年はお構いなしに問いかけてきた。
「これも何かの縁だ。その子どもはどっちに行った?」
「えっと、正面の道を真っ直ぐ走っていきました」
思わず本当のことを言ってしまい、美弥は慌てて口を抑えたが時すでに遅し。青年は正面の道を見据えて歩を進め出した。
「相手は子どもだ。一緒に探せばすぐ見つかるだろう。行くぞ」
「一緒に、ですか?」
美弥が呆然としている間にも、青年は着物や洋装の人々で賑わう道の真ん中を、ぶつからないよう上手く掻き分けてどんどん前に進んで行く。美弥は青年の後ろ姿を小走りで追いかけ、人にぶつかっては謝るを繰り返しながら、青年を見失わないよう必死に走って行った。




