第29話 妖狐の美人母娘
暗闇を抜けると阿倍野邸の正門の前に出た。そこから築地塀に沿って進み、勝手口の前に来ると馬車は止まった。最初にミチが下りて扉を開け、足場をつけてくれる。けだるそうに目を開けた晴磨が足場を下りた。
道中、トビクラの姿に戻って美弥の肩の上で眠ってしまったクラを落とさないよう気を付けながら、美弥は風呂敷を片手に、足場に足をかけようとした。
「美弥、手を」
晴磨に手のひらを差し出され、美弥は戸惑いながらもその手を取って足場を下りる。扉を押さえていたミチがニヤニヤと笑みを浮かべて扉を閉めた。
勝手口を開けて離れの中庭に向かう晴磨の背に、美弥は風呂敷を抱く手に力を入れて声をかけた。
「あの、晴磨様。助けに来て頂き、ありがとうございました。それと、勝手なことをしてしまい、申し訳ございませんでした」
足を止めて頭を下げる美弥を振り返り、晴磨はふうと息を漏らした。
「顔を上げろ。過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。クラと付喪神たちに任せた俺にも責任はある。だが」
美弥が顔を上げると、晴磨の感情が読めない静かな漆黒の瞳に見つめられた。胸がざわつき、視線を逸らすことができない。
「迷惑をかけることを厭うな。そもそも俺の金を美弥が使うことは当然の権利だ。むしろ堂々と金を使ってやりたいことをやってくれた方が、無理矢理この家に連れて来た罪悪感が薄れていいぐらいだ。俺はお前のことを利用する。だからお前も好き勝手すればいい。なのに、変に気を遣って結局危険な目にあって、今回も運よく切り抜けられたから良かったものの、俺が間に合わなければ危うかったぞ」
淡々と語る言葉が剣のようにぐさぐさと胸に突き刺さる。父や佳江、桃華のように、怒鳴られて叱られるよりも胸が痛む。謝らないとと思うのに、喉の奥が熱くなり声が詰まって出てこない。眉間に皺を寄せた晴磨の顔が、水面に映っているように揺らいで見える。
「主、仮にも婚約者に向かってそんな言い方はあかん。美弥ちゃん泣いてまうで。女の子泣かしたら主でも容赦せえへんよ」
勝手口から変化を解いたポンタとポンキチと連れ立ってきたミチが、晴磨の肩に手を置いてすっと目を細める。ミチの手を振り払った晴磨は、舌打ちをして歩を進め、中庭に出ていった。ミチはその後ろを歩きながら、苦笑して肩をすくめた。
「素直に言えばええやん。美弥ちゃんのことが心配で、早く顔が見たくて、夜もおちおち寝られんかったって」
「ミチさん、それ、本当ですか?」
喉の痛みがどこかへ飛んでいった美弥は、目を丸くしてミチに尋ねた。
再び振り返った晴磨が鬼のように目を吊り上げ、青筋を立ててミチを睨みつける。睨みつけられた本人は飄々としているが、ポンタとポンキチはひいっと悲鳴をあげるとポン、ポンと音を立てて姿を消してしまった。
「勝手なことを言うな」
地の底から響く低い声に、美弥も悲鳴を上げそうになり、口許を押さえて寸でところでのみこんだ。
「晴兄さまー!!」
唐突に縁側から甲高い声と、何かが物凄い速さで駆けてくる足音が聞こえてきた。何事かと振り向いた晴磨は、正面から突進され、勢い余って地面に転がされてしまった。
「会いたかった~!」
白地に朝顔の柄の着物を着た美弥と同年代に見える色白の美人が、晴磨の上に馬乗りになり、頬を赤く染めて満面の笑みを浮かべている。
その光景をぽかんと口を開けて美弥が見ていると、縁側からよく通る女の声がぴしりと嗜めた。
「これ、おなつ。無礼ですよ」
「お、おっかさん! だって~、晴兄さまに会うのひと月振りで嬉しくてつい」
おなつはさっと立ち上がって縁側に目を向け、ぶつぶつと呟いた。桃色の桜の花弁が舞い散る着物姿の三十路前後に見える女性が、しずしずと中庭に出てくる。目を見張る程の美女で、国一番の芸妓だと言っても誰もが信じそうな気品と知性に溢れた顔つきをしている。
立ち上がって着物についた土を払い、溜息をつく晴磨に頭を下げて謝罪すると、口を尖らせているおなつの頭も無理矢理下げさせた。
「もういい。2人共戻っていたのか」
「先刻戻ってまいりました。長くお暇を頂きまして。おかげさまで、今年も一族の祭りを無事に終えることができました」
頭を上げたおはるが微笑む。まるで後光が射しているような眩しさに美弥は目をそらして、隣に立つおなつに目を向けた。尖らせていた口は笑みの形に戻り、花が咲き誇ったような愛らしい笑顔で晴磨を見つめている。
晴磨を含め、目の前に立つ3人がまるで浮世絵から飛び出てきた美男美女に見え、美弥は素直に美しいと思う反面、自分が場違いのように思われ、逃げ出したい衝動に駆られる。晴磨の後ろにいる美弥に気づいたおなつが、整った眉をしかめ、鼻をつまんで指差してきた。
「なーんか、人間の女くさいと思ったら、あんた誰?」
「あ、えっと、私は……」
「俺の婚約者の、美弥だ」
美弥より先に晴磨がしれっと答えると、おなつは2、3度目を瞬かせた後、悲鳴に近い叫び声を上げた。
「コーーーーーン‼‼」
耳をつんざく声に、晴磨は耳に指で栓をし、両手がふさがっている美弥の耳をミチが押さえ、美弥は思わず目を閉じた。肩の上で寝ていたクラは飛び起きて、全身の毛を逆立てて素早く辺りを見回した。
「そんな大声出すものではありませんよ。はしたない」
おはるがおなつの頭をこつんと叩くと、おなつの顔は人から狐に変わり、ふさふさの尻尾が生えた。
「まったく。狐に戻っていますよ」
溜息交じりにおはるに指摘され、おなつは顔に両手を当てて自覚すると、下をぺろりと出してぎゅっと目を閉じた。あっという間に可愛らしい顔に戻る。だが、その目は狐の時と同じく、細く吊り上がり、親の仇のごとく美弥に敵意を向けてきた。
「晴磨様がご婚約をされたことは、妖狐の里にいた時にご当主様が送られた式から聞きましたわ。あなたにも話したでしょう」
呆れ顔をおなつに向けると、美弥を睨みつけながら頬を膨らませた。
「だって他の狐が、噂にすぎないとか、仮そめなんじゃないかとか言うから」
おはるは溜め息をつくと、美弥を真っすぐ見据えて背筋を伸ばした。
「美弥様、私は晴磨様の乳母で、離れを取り仕切っている妖狐のはると申します。こちらは娘のなつです。先程は大変失礼致しました。きつくしかりつけておきますので、ご容赦ください。以後、お見知りおきを」
模範的な美しいお辞儀をされ、美弥も恭しく頭を下げた。
「ふつつか者ですが、宜しくお願い致します」
「なによ、その結婚挨拶みたいな言い方! 私はあんたを晴兄さまの婚約者だなんて、絶対、絶対、ぜーったい、認めないんだから!」
幼子のように声を張り上げて地団駄を踏むと、おなつは邸の中に走って行ってしまった。
「美弥様、重ね重ね大変失礼致しました」
おはるは美弥に深く頭を下げると、すうっと姿を消した。
「認めない言うても、決めたんは主やのに。なあ?」
どこかおもしろがっているような笑みを浮かべるミチに言われ、美弥は困ったような顔をした。肩の上のクラが、小さな手を美弥の頬に添えて呟いた。
「みやとはるま、めおとになる」
「美弥、おなつのことは気にするな」
晴磨は大欠伸をして伸びをすると、少し休む、お前も休めと言って美弥と共に縁側を上がり、邸の奥にある隣同士の部屋にそれぞれ入って行った。
一晩しか離れていなかったはずなのに、あれほど怖気づいていた豪華絢爛な部屋が懐かしく思える。寝台の上に座って風呂敷を布団の上に下ろすと、クラが肩からぴょんと飛びおり、枕をトントンと叩いた。
「みや、ねて。つかれてる」
「クラさん、ありがとうございます」
さっきまで張っていた気が、ふかふかの布団に解され、どっと眠気が襲ってきた。風呂敷を枕元に置き、布団の中に入るとすぐに瞼が重くなり、抵抗する間もなく眠りに落ちた。
その隣室では、邸を離れたほんの少しの間できれいに整頓され、新しいふかふかの布団が敷かれてあることに目を瞬かせた晴磨が、苦笑を浮かべて布団の上に寝転がった。ふいにミチが室内に現われ、感嘆の声を上げた。
「さすがおはる姐さんやわ。戻ってからすぐ片づけてくれたみたいやね。しかも新しい布団まで敷いて、準備がええな」
晴磨は上半身を起こして、髪をかきあげながらミチに溜息をついた。
「はあ。呼んでもないのに来るな。休むと言っただろ」
布団の脇に腰を下ろしたミチが、頬杖をついて貼りつけたような笑みを向ける。
「主、ほんまは美弥ちゃんのことどう思うてんの?」
「藪から棒に何だ」
「ほんまに復讐のための道具としてか思うてへんのか、それとも仮とかいいながら婚約者として意識してるんか、主の本心はどっちなんか気になるんやけど」
おまえには関係ないと煩わしそうに眉をしかめる晴磨に、ミチはニヤリと口角を上げた。
「せやけど、寺に泊まるて報告に来たクラの様子が変やって、美弥ちゃんにもしものことがあればどないしよーってずっとソワソワして、落ち着かんかったやん。しかも、さっきの言い方なんやねん。美弥ちゃんが悪いみたいに責めよって。心配やったら、祓いの仕事なんか放ってついていけばよかったやん」
チクチクとミチの小言が突き刺さり、晴磨は布団に入って頭から掛け布団を被った。
「うるさい。出てけ」
「美弥ちゃんの力を利用したいなら、美弥ちゃんの心を繋ぎ留めなあかんやん。せっかく助言してあげよ思うたのに、なんやその態度。ガキか」
呆れ顔で肩をすくめたミチは、言い返すこともせず布団を被ったままの晴磨に一瞥をくれると、溜息と共に姿を消した。
「あいつ、何様だ」
布団の中で歯を食いしばる晴磨は、固く目を閉じる。
体は疲れているのに、心がざわついてすぐには眠りにつけない。復讐を果たすために無理矢理婚約者として美弥を連れて来たことは悪いと思っている。だからなるべく自由にさせたい。自分といると緊張している様子だから、クラと付喪神たちに任せて長安の所に行かせた。その判断が間違っていたのか。結果的に美弥を危険な目にあわせてしまった。最初から自分がいれば長安の交換条件を呑む必要もなかったし、鬼にあうこともなかった。自分のせいでもあるのに、美弥を責めてしまった。悔しいがミチの言うとおりだ。
「美弥の力は誰にも奪わせない。これからは俺が傍で守る」
決意するように発した言葉は、術にかける呪いのように心にからみつく。
目を閉じると、叱られた子供のように怯えた顔で瞳を潤ませる美弥の顔が浮かんできた。今まで守られてばかりで誰かを守ろうしたことは一度もない。守るべき相手にあのような顔をさせてしまったことに、罪悪感の3文字が布団の上から重くのしかかる。それを追い払うように息を吐き出す。
布団から顔を出して、埃も煤もないきれいな天井をぼうっと見つめている内にいつの間にか眠りについていた。




