第28話 私も皆を守りたい
暗闇を歩き始めて数分足らずで、前方にぽっかりと明るい楕円形の光が見えてきた。向こう側には金厳寺の本堂の前庭が広がっている。
ミチは晴磨を先に行かせ、続いてクラと美弥が影の外へ出るのを待って、自身も足を踏み出した。ミチが庭に敷き詰められている砂利を踏むと、影の道はすうっと消え去った。
「にゃっ?! 晴磨じゃにゃいか!」
前庭の落ち葉を箒で掃いていたトラが、突然現れた一行に飛び上がって驚いた。顔も手足も猫に戻ってしまい、二又の尻尾が出てきた。
「相変わらず、気が緩むとすぐ猫になるんだな」
苦笑する晴磨に指摘され、トラは慌てて人間の姿に化ける。だが、耳とひげと尻尾はまだ残っていて、美弥は思わずくすっと微笑んだ。晴磨の後ろにいる美弥に気づいたトラが安堵の顔を向けてきた。
だが、美弥の隣で笑顔でトラに手を振っているミチに気づくと、フシャーッと牙をむいて、耳とひげと尻尾を逆立て、箒を盾に威嚇の姿勢を見せた。
「にゃんでお前までいるんだにゃ!」
「トラくん、つれないわあ。久しぶりの再会やのに」
ミチが笑顔のままトラに一歩近づくと、跳ぶように数歩後退った。先ほどまでの勢いはどこへやら、耳とひげと尻尾を体にピタッとくっつけて体を縮こませて震えている。
何故こんなにもトラが怯えているのか分からず、美弥が目を丸くしていると、クラが囁いてきた。
「ミチのちから、つよい。トラよわいから、ミチのこと、こわがってる」
その声が聞こえたのか、トラは再び威勢を取り戻してクラに指を突きつけた。
「ち、違うにゃ! おらは弱くないにゃ! あいつがからかってくるのがうっとうしいからであって、断じて、ビビってなどいにゃい!」
「へえ。トラくん、強なったんか。ほな、お手並み拝見」
トラに近づこうとするミチを晴磨が止め、震える手で箒を握りしめるトラを宥めていると、本堂の奥から長安が姿を現した。片手に収まる大きさの風呂敷を手に持っている。
「騒がしいと思って来てみたら、なんと、昨日、今日と立て続けに久しい顔を見ることになるとはのう。久しぶりだのう、晴坊」
晴磨は頭を下げるが、上げた顔は不満気だ。
「ご無沙汰しております。……坊はやめてくださいよ」
「ガハハハハッ。いくつになろうが、わしからすればおまえさんはずっと晴坊だわ。それで、ミチまで連れてきて、今更婚約の報告じゃあるまい。婚約者を迎えに来たのかい? わりとご執心のようだのう」
むふふふふとからかうような長安の笑みに、晴磨はむっとした顔をするが、溜息をついて言葉を飲み込んだ。
「長安和尚、あまり主のことからかわんといてください。すねてまうわ」
「それはすまんのう」
くすくすと肩を震わすミチと長安を、晴磨はギロリと睨みつけた。
長安とミチにからかわれる晴磨が、美弥には少年のように見え、微笑ましい。子どもの頃からの長い付き合いだということが見てわかる。長安のもとで修業をしていたというが、きっと長安は弟子でありながら我が子のように晴磨の面倒を見たのだろうと想像できる。
「仰るとおり美弥を迎えに来たんですよ。寺にいるものだとばかり思っていたら、なぜか街中にいて、その上鬼が現われて、危うく連れ去られるところでした。長安先生も感知されましたよね?」
長安はすっと笑みを消し、眉間に皺を刻んで頷いた。
「あれほど強い妖力を持つ鬼となれば、阿倍野家を襲いに来た鬼の一人ではないか?」
「はい。闘鬼丸の手下で、娘の鬼羅に仕えている四鬼の一人、諜鬼でした。数日前には同じく四鬼の一人、蛛鬼にも出くわし、一様に美弥の力を狙ってきていました」
「ほう。それで、美弥の霊力を得て、追い払ったというわけか」
どちらの鬼も逃してしまったと晴麿は悔しがるが、長安は過ぎたことを悔やんでも仕方がない、美弥を守れて良かったではないかと笑い飛ばした。
笑い事ではないのですがと溜息をついた晴麿は、長安の持っている風呂敷に目を向けた。
「美弥が預けにきた付喪神ですが、ボタンたちに聞いたところ、小箱だけは随分前から付喪神になっていたようで、妖力もそれなりにあるとか。今後美弥を守る盾として戦力になってくれたらと、俺も多少は期待していたので、長安先生の所に行くというのを許したのですが。もちろん、直して頂けましたよね?」
端々に刺々しさを感じる口調の晴磨に、長安は困ったような顔を向けながら、本堂の短い階段を下りてきて、風呂敷を開けて見せた。美弥が覗き込むと、朱色に塗られた表面にきれいな桜の花びらが舞う螺鈿の小箱が、ひびも目立たず元通りになっていた。粉々に壊れていた足も繋ぎ目が分からないほど丁寧に修理されている。しっかりと取り付けられている蝶番を開けて内側を見ると、漆塗りの艶が戻っていた。
母から譲り受けた時の状態に戻っており、感極まった美弥は、涙を流しながら何度も長安に感謝の言葉を述べた。
「その反応はありがたいがのう、そんなに喜んでもらっては困る。本体は直ったが、付喪神としての気配はほとんど感じられない。ボタンたちのような人型に戻れるかどうか。わしにはこれ以上手の施しようがないのだよ」
長安は小箱を風呂敷に包み直し、美弥に渡しながら眉を下げた。
「何か手立てはありませんか?」
晴磨が尋ねると、長安は腕組をしてうむと頷く。
「おそらくだが、ボタンたちの時のように、霊力を注げば戻る可能性はある」
「また俺の霊力を注ぐとなると、時間がかかりすぎるかもしれない」
晴磨が呟く。美弥は涙を拭って晴磨を見据えた。
「晴磨様、私がやります!」
「いや、確かに巫女の霊力を使えばいいが、霊力の使い方など知らないだろう?」
「では、霊力の使い方を学びます。サクさんを元に戻すためだけではなくて、さっきのような鬼がまた襲って来た時に、私自身が力を使えれば、晴磨様のように皆さんを守れると思うんです」
困惑した顔で見つめる晴磨とは裏腹に、長安とミチは笑顔を浮かべて、美弥の心意気に天晴と拍手を送った。クラは美弥の手を握って頷く。
「みや、つよい。できる」
「さすが美鈴の娘だわい。というより、わしの血筋か? ガハハハッ」
「血筋ってどういうことですか?」
首を傾げる美弥と同じく、長安も首を傾げた。
「はて。美鈴から聞いておらんかったか? わしは美鈴の母方の分家筋の出で、美弥から見れば母方の祖母のいとこにあたる。わしも稀代の巫女の血を受け継いでおるのだよ。直系の女子に受け継がれることが多いが、時には男子にも力が受け継がれるものでな。だからわしは、当代随一の御坊と言われるだけの力があるのだ」
ふんと胸を張り鼻高々に話す長安に、美弥だけが素直に頷き、後は全員しらけ顔をしてやれやれと肩をすくめた。
「長安先生、これを」
晴磨は懐から、ボタンに持ってきてもらうはずだった謝礼の入った巾着袋を取り出した。美弥ははっとして、眉を八の字にして晴磨に頭を下げた。
「晴磨様にご迷惑をかけないよう、長安様の困りごとを解決するために、佐吉さんの相談を請け負ったんです。お金をお支払いするなら私が……」
「これ、美弥!」
「長安先生? どういうことか説明してもらえますか?」
長安と晴磨の声が重なり、美弥が頭を上げると、晴磨がきつい眼差しを長安に向けていた。
長安はしぶしぶ事の次第を説明し、晴磨は盛大に溜息をつき、美弥と向き合った。
「どうして黙っていた? この寺に居続けるなら一晩帰ってこなくても危険はないと思っていたのに。金なら気にするなと言っただろ。しかも、鬼の操る生霊と対峙しだと? 挙句の果てには鬼に襲われて、危険なことだらけじゃないか」
「も、申し訳ございませんでした」
苛ついた口調に怖気づき、美弥は体を小さくして深く頭を下げた。申し訳なさで頭を上げられない美弥の前に、クラが庇うように両手を広げ、目をすがめて晴磨を見上げた。
「はるま、おこっちゃ、ダメ」
「別に怒ってなどいない」
ふんと鼻を鳴らす晴磨に、ミチが懐から長方形の木箱を取り出してわざとらしく驚いた顔をした。
「あれー? これなんやったっけ? せや。さっきボタンたちを助けに行った時、ボタンが本体に戻る前、これを渡してきたんやったわ。確か、美弥ちゃんのて言うとったけど?」
「あっ、それは佐吉さんから頂いた! 長安様、これをお礼に差し上げます」
ミチから木箱を受け取った美弥は、長安に差し出した。だが、長安は受け取らず、木箱は美弥の手元に残ったままとなった。
「約束は違えぬよ。美弥は、わしの困りごとを解決してくれた。わしはできる範囲で、小箱を直した。これでおしまいだ。さあ、ミチ、クラ。そろそろ主を連れて帰れ。霊力が弱まっておるではないか。美弥も疲れが顔に出とる。早う戻って休め。相談事があれば、今度はその木箱を持って来るがよい」
長安はニタリと人の悪い笑みを浮かべる。美弥は微笑んで頭を下げた。
晴磨がポンタとポンキチを呼んで馬車と馬に変化し、美弥は晴磨たちと共に馬車に乗り込み、影の道を阿倍野邸へと向かって行った。道中、晴磨はあまり良いとは言えない顔色でずっと目を閉じていた。美弥が心配そうに晴磨を見ていると、休めば大丈夫とミチに微笑まれ、胸を撫で下ろした。
きれいに修繕された小箱の中に、手鏡、櫛、簪をしまい、風呂敷を包み直す。膝の上に抱きかかえながら、暗闇が広がる窓の外に目を向けた。笑顔で「お嬢」と呼ぶボタン、チョウ、コハクの顔が浮かんできた。
二度と皆さんを失わない、今度は守りたいって思っていたのに、また守られて、力を失わせてしまったわ……。ボタンさん、チョウさん、コハクさん、ごめんなさい。
邸に戻ったら、霊力を注げるように頑張って、ボタン、チョウ、コハクだけでなく、サクの力も取り戻したい。いや、取り戻す。美弥は固く決意をして唇を噛みしめ、風呂敷をギュッとかかえこんだ。




