第27話 晴磨の力量
「急急如律令」
呪文と共に結界の内側から飛んできた札が、諜鬼の腕に当たる。青い炎が上がり、着物の袖ごと二の腕が焼けただれた。諜鬼は手を引っ込めて焼かれた腕を押さえ、顔をしかめる。周囲の小鬼たちがだしろぎ、ギャーギャー騒ぎ出した。
「晴磨、様! どうして……?」
美弥はどこからともなく現れた晴磨を凝視する。
晴磨は諜鬼を見据えながら、報告に来たクラが何か隠している様子だったので、今日の仕事を早く切り上げ、影の道を通って長安の寺に向かっているところだったのだと早口で説明した。
「念のため、護符を破いたら瞬時にクラの元に行けるよう緊急事態に備えていたから良かったものの。何故長安先生の寺ではなく、こんな所にいる? 美弥を守れと命令したはずだが」
鋭い眼差しをクラに向け、押し殺したような声を出す晴磨の背に、美弥は慌てて弁明をした。
「クラさんは悪くありません。私のせいなんです!」
諜鬼がふっと笑い、押さえていた腕をどけると、焼かれたはずの腕は元通りになっていた。
「ふーん。10年前より少しはマシになったみたいだね。でも、やっぱり父親には劣るかな。ねえ、巫女の霊力使ってみせてよ」
「ちっ。話は後だ」
晴磨は虫けらでも見るような冷たい眼差しを諜鬼に向け、懐から札を取り出す。詠唱するかと思いきや、もう一人の式神の名を口にした。
「ミチ」
「えらい自身家みたいやな」
諜鬼の背後に現われたミチが低い声で呟き、手刀で首を切り落とそうとする。寸でのところで避けた諜鬼はよろめき、体勢を崩して地面に片膝をついた。
「おわっ! 危ないなあ。へえー、こんな強そうな奴もぼっちゃんの式神なのか。ん? おまえ妖怪とは違うね。このいけすかないニオイ、元神かな。何かやらかして追放でもされたか。そりゃそうだよなあ。あのか弱いぼっちゃんが、強い妖怪を従えらえるわけないよね。当主みたいにさ」
へらへらと嘲笑う諜鬼から目を逸らし、クラの張った結界を取り囲んでいる小鬼たちに向けてミチが腕を伸ばした。横一文字になぎはらうように腕を動かすと、洪水が小鬼たちを襲い、竜巻のように上空へ舞い上がっていく。小鬼たちは悲鳴を上げながら洪水と共に消え去った。
「オンバザラギニハラチハタヤソワカ」
ミチに目配せをした晴磨が、右手の人差し指と中指を立てて、詠唱と共に諜鬼めがけて札を投げた。札が滝のような豪水に変わり、ミチが手の平から出した水の剣を縦横に動かして、豪水を操る。いつものような優男ではなく、瞳が蛇のように縦長になり、口が耳まで裂け、顔や体中に龍のような鱗が浮き出て来た。
「主怒らしたらあかんて。おまえ殺されるで」
「俺も甘く見られたもんだなあ。その程度でいい気になられたら困るんだけど」
横一直線に伸ばした諜鬼の腕が、炎の剣に変わり、間合いを詰めてミチに斬りかかった。ミチは水の剣で受け止め、互いに一歩も引かない攻防が繰り広げられる。豪水がミチの剣の動きに合わせて諜鬼の体に巻きつこうとするが、諜鬼は素早い動きでそれをも払いのけた。
晴磨は先ほど唱えた言葉をずっと唱え続けており、顔も背中も尋常でない汗をかいている。
「はるまのちから、なくなる」
クラが言うと、諜鬼にからみつこうとしている水は、徐々に勢いが弱まっている。それに比例するようにミチの剣は縮み、諜鬼に押されて道の脇の方へじりじり追い詰められていっている。
「晴磨様、ミチさんっ! このままじゃ……」
美弥は唇を噛みしめ、勾玉をはずしてクラに渡した。
「クラさん、お願いします」
「みや!」
目を見開くクラに頷き、右手首を見ると、柊の葉のようなあざが浮かんできた。詠唱を続ける晴磨の隣に立ち、蛛鬼を退治した時のことを思い出す。
あの時は、晴磨様が私の肩に手を置いて術をはなっていたわ。触れていれば、巫女の霊力を晴磨様に与えることができるはずよ。
美弥は、拳を握りしめている晴磨の左手を両手で包み込んだ。それに気付いた晴磨は眉をピクッと動かし、詠唱する声に力を込めた。
お願い! 晴磨様に力を! 鬼を倒して!
目を閉じ、ギュッと晴磨の手を握りしめる。
すると、ミチの剣が伸び、勢いが弱まっていた水は豪水に戻り、先ほどより遥かに威力が増している。ミチは驚きながらもニヤリと口角を上げ、剣を蛇のようにくねらせた。豪水は諜鬼にからみついて動きを封じ、諜鬼の腕は剣から元の腕に戻った。
「あっ、まずいね、これ」
言葉とは裏腹に諜鬼の顔にはまだ余裕がある。
「オンアビラウンケンソワカ」
晴磨が描いた五芒星が宙に浮かび上がった。
「六根清浄急急如律令」
腕を高く振り上げると、巨大な五芒星が諜鬼の真上に広がっていく。
「おっと、ここは逃げるが勝ち。俺は蛛鬼とは違うんでね。鬼羅様に報告しないと」
うっすら笑みを浮かべた諜鬼は、捕らわれているにも関わらず水の中からさっと抜け出し、指を鳴らす。パチンという音と共に諜鬼は姿を消した。
美弥たちの他には人っ子一人いない静まり返った通りは、透き通った青空とは裏腹に剣呑なものに変わっていた。地面にはところどころひびが入り、両脇に並ぶ商店の店先は扉が壊れていたり、陳列していた商品が散らばっていたり、営業が再開するまでには時間がかかりそうだ。
「うっ」
晴磨がうめき声をあげて片膝を地面につく。美弥は晴磨の背中に手を置いてゆっくりさすった。
「晴磨様、大丈夫ですか?」
土気色だった晴磨の顔に、少しずつ血の気が戻り、汗がひいていく。
「……大丈夫だ。クラ、勾玉を美弥に」
クラから勾玉を受け取って首にかけると、いつもの顔に戻ったミチが、手鏡、簪、櫛を手の平に乗せて美弥に見せに来た。
「付喪神ら、力が弱って本体に戻ってしもうたみたいや。本体は無事やから、しばらくしたら元に戻れると思うで」
「ありがとうございます」
美弥は大切に袂にしまい、心の中で付喪神たちに礼を述べた。
ミチに支えられて立ち上がった晴磨は、美弥の袖を掴んでいるクラに冷ややかな視線を向けた。
「クラ。なぜこんな所にいる? 長安先生の寺に泊まって、小箱が直ったらすぐに戻ると言っていただろ」
何も言わずに俯くクラの肩に手を置いた美弥は、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。私のせいなんです」
晴磨が肩眉をあげ、理由を問いただそうと口を開こうとするが、ミチが晴磨の腕を軽く小突いて、通りの向こうを指差した。
「今はそれよりも早くここを立ち去った方がよさそうや。巡査らが来よる。話聞かれたら面倒なことになるで。当主からねちねち文句言われるかもしれんよ」
「はあ。とりあえず長安先生の寺に行くぞ。影の道を繋げ」
眉をしかめて溜息をつく晴磨に頷いたミチが、目の前の空間に右手で円を描くと、暗闇が広がる楕円形の入口が現われた。ミチの後に晴磨が入り、美弥はその後にクラに手を引かれながら、闇の中へ足を踏み入れた。
どうしよう。晴磨様に叱られてしまう。サクさんを直すためとはいえ、勝手なことをして鬼に遭遇して、晴磨様にご迷惑をおかけしてしまったわ。晴磨様の復讐を果たすまでお邸に閉じ込められてしまうかも……。
クラの小さな手を頼りに、真っ暗闇の中を緊張と不安の面持ちで美弥は歩き続けた。




