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第25話 家宝の茶碗

 小店が並ぶ通りを抜けてしばらく歩くと、田畑が広がる田舎道に出た。砂利と砂で埃っぽい小道の脇には、平屋の長屋が軒を連ねている。神部家の近所の長屋は2階建てが主だったため、美弥の目には平屋が新鮮に見える。道を進んでいくと、だんだん平屋の造りが古く、年季の入った物に変化していき、井戸がある袋小路の端の戸板の前で、佐吉はようやく足を止めた。

 佐吉は簡素な地図に目を落とし、顔を上げて緊張の面持ちで古びた戸板を叩き、声をかけた。


「ごめんください。どなたかおられるか?」


ゴホゴホと咳き込んだ後、「どうぞ、お入りください」というか細く小さな声が聞こえて来た。

 佐吉は美弥たちを振り返ると、意を決した顔で頷き、建付けの悪い戸を壊さないよう気を付けながら開けた。

 中はきれいに片づけられているというよりも、物がほとんどなく、ガランとしていて生活感がまるでない。小上がりの部屋の奥にある布団の上で、青白く痩せ細ったおたかが咳き込みながら体を起こすと、怪訝な顔で佐吉たちを見た。その顔は、幽霊が消える前、最後に光の中で見た女の顔そのもので、佐吉と美弥は目を見開いた。付喪神たちはやっぱりなと頷き合い、クラは相変わらずの無表情で、おたかを見つめている。


「あ、あの、ゴホッ、ゴホッ、あなたがたは……?」


布団の前に座った佐吉たちにおたかが咳き込みながら問いかける。佐吉は自分自身と美弥のことを紹介し、風呂敷を開けて桐箱をおたかに見せた。

 おたかの窪んだ目に涙が浮かんできて、桐箱の蓋を開けて茶碗を取り出すと、ポロポロ涙を流して茶碗を抱きしめた。茶碗はおたかと共にわんわん泣き、小さな手でおたかの骨のように細い指にしがみついている。付喪神たちは鼻をすすってもらい泣きをし、クラは黙ってじっとその光景を見ている。美弥は胸に熱いものがこみあげてきたが、ふとおたかの布団の上にかけられている上質な羽織が目に留まった。


 これ、晴磨様が羽織っていた物に似ているわ。やっぱり、あの時の男の子のお母さんなのかしら。


 美弥が考えていると、佐吉が茶碗が売られてきた経緯と、夜な夜な幽霊に襲われたことを話し、茶碗を返しに来た旨をおたかに伝えた。するとおたかは布団から出て、薄汚れた畳の上に両手をついて、深く頭を下げた。


「大変申し訳ございませんでした。あれは夢だとばかり思っていたのです。まさか、生霊になっていたとは……ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ!」


激しく咳き込み始めるおたかを美弥が起こして布団の上に座らせ、背中を優しくさすった。まるで柳のように細い体を震わせるおたかは、今にも折れてしまいそうだ。

 あれほど迷惑こうむった幽霊の正体がこのような状態では、恐怖も怒りも沸き上がらない。心配と同情がない交ぜになった顔の佐吉は、ただひとつ、疑問は解決したいとおたかに尋ねた。


「生霊になるほど、その茶碗を大事にしているのは何でだい? それに、そんなに大切な物なら、旦那に見つからないよう隠しておけばいいものを」

「それは……」


咳が落ち着いてきおたかは、ぽつぽつと茶碗について語り始めた。

 100年も前に作られた年代物の茶碗は、代々おたかの家系で親から子へ受け継がれてきた家宝だった。おたかが父から聞いた話では、江戸時代、藩士だった曾祖父が手柄をあげた際、褒美として藩主から賜ったのだという。それから代を継いで大切に守ってきたのだが、おたかが奉公に出て数年後、火事で両親を亡くし、茶碗を守るようにして抱き合っている黒焦げの両親の遺体が、焼け跡から見つかった。

 それからおたかは、命がけで両親が守った茶碗を神棚に供え、毎日磨いて大切にしていた。与兵衛と夫婦になって与助が生まれて、貧しくても幸せに暮らせているのは、茶碗と共にあの世で見守ってくれている両親のおかげだと感謝していた。

 だが、1年前に与兵衛は知人に騙され借金を背負わされた挙句、仕事でしくじって職を失い、人が変わってしまったという。仕事を探しもせずに飲み歩き、女遊びや博打にも手を出し、おたかが稼いでくる金をすぐに奪い、将来のためにとっておいた金にまで手をつけ、挙句の果てには家財や家の中にあるありとあらゆる物を売って金に代えてしまった。

 そうこうしている内におたかは無理がたたって体を壊し、食べる物すら満足に手に入れられず、育ち盛りの与助はよその畑や店から盗みをするようになった。仏様と茶碗に手を合わせ、自分が頑張らねば、しっかりせねばと気力を得て、病でありながらも内職を必死に続けていた。

 ところがそんな折、とうとう旦那は神棚に供えていた茶碗に手を出し、抵抗する間もなく持ち去ってしまったのだ。後を追いかけたが走ったせいで余計に体に負担がかかり、内職もできないほど弱ってしまった。あれから旦那は戻ってこず、どこに売りに行ったのか聞くこともできない。心の拠り所となっていた茶碗を失ったことで、おたかはそれまで耐えていたものが音を立てて崩れ落ち、全てが恨めしく思え、どす黒い感情に支配されていった。


 あの茶碗さえ戻ってくれば、また幸せな日々に戻れる。

 茶碗を取り戻したい。

 茶碗が欲しい。

 茶碗を返して。


 茶碗のことばかり考える内に、毎晩どこからか「茶碗はここだ、こいつが持っている、こいつから奪い返せ、こいつを殺せば茶碗が戻る」と、恐ろしい声が聞こえてくるようになった。聞いてはいけないと思いながらも、感情が揺さぶられ、耳を傾けてしまう。すると、どこか分からないところで、さめざめと恨み言を言う夢を毎回みるのだ。

 いつしか、夢に出てくる誰とも分からない男が茶碗を持っているのだと思い込むようになり、殺してでも取り返すという凶悪な思いに支配されてしまった。挙げ句の果てに、憎しみをぶつけるように、返せと言いながらのしかかり、襲い掛かり、気付いたら首を絞めていた。

 目を覚ますと、体がどっと疲れており、指には首を絞めた時の感覚もある。恐ろしい悪夢だと思っていた。だが、昨日はいつもと違い、どす黒い感情から解放され、茶碗に会えた喜び、触れられない悲しさ、きっとまた会えるという希望の入り交じった涙で目を覚ました。

 おたかの話に耳を傾けていた佐吉は、おたかの手の中にある茶碗に目を落とし、一言呟いた。


「返せて良かった」


ガタガタッ。


 突然、戸板の開く音がしたと思ったら、高い子どもの声が部屋中に響いた。


「おまえら、誰だ!」


小上がりにぴょんと飛び乗ると、おたかを庇うように立ちふさがり、目を吊り上げて目の前に座っている大人たちを睨みつけた。


「あら、やっぱり!」


見覚えのある男の子の顔に美弥は笑顔を向けた。男の子の方は美弥を見ても誰だか分からない様子で、子供らしからぬ表情で眉間に皺を刻んだ。


「覚えていない? 数日前に会ったのだけど」


美弥が首から下げている勾玉を見せると、はっとした顔になり、指を突きつけてきた。


「あっ、あの時の姉ちゃん!? ずいぶん立派な着物着て、化粧もしてるから、分かんなかった」


ぽかんと口を開けて、年相応の顔つきになる与助に、美弥は勾玉をしまいながら苦笑した。お嬢を指差すな、失礼だろと剣呑な顔をする付喪神たちをなだめた。

 知り合いだったのかと尋ねる佐吉に、数日前偶然、晴磨と一緒に与助と会っており、羽織は晴磨が渡したものだと話すと、佐吉は苦々しい表情で与助に謝った。


「すまねえな、勘違いしちまって。今度は買ってやるよ」


佐吉が羽織を手に取ろうとすると、与助は羽織をしっかり握りしめて佐吉を睨んだ。


「いい。もう誰も信じねえ。おいらが自分で母ちゃんの薬代稼ぐ」

「威勢はいいけどよ、まだ6つのおまえにできることは限られてるだろ」

「それはそうだけど、この羽織を売りに行っても、誰も俺の言うこと信じちゃくれなかった」


唇を噛みしめて羽織を握りしめる与助の肩に、目尻に涙を溜めたおたかが自分の手を添えて、しかめっつらをしている佐吉と、目に力を込めて睨みつける与助を、おろおろと心配そうに見つめた。 

 ところが佐吉は突然、アッハッハッハと豪快に笑い出し、おたかは虚をつかれたようにぽかんと口を開けた。


「与助、6つのくせにいい度胸してるじゃねえか。その羽織ごと、おまえの度胸を買ってやる。俺の店で働け。ついでに母ちゃんとその茶碗も引き取る。おたかさん、うちで養生して、病が治ったら一緒に働いてくれ」


その場にいた全員が、驚きの表情で佐吉を見る。与助とおたかは何を言われたのか理解するまでに時間がかかり、しばらく押し黙った。


「なんだ、嫌か?」


眉をしかめる佐吉に、ようやく言葉の意味が飲み込めたおたかはさっと頭を下げた。


「あんなにご迷惑をおかけしたのに、これ以上は申し訳なさすぎていたたまれません」

「母ちゃん、せっかく言ってもらったのに、何言ってんだよ。おいら、働くよ。働かせてください!」


頭を下げた与助の頭を佐吉が撫で、満足気な笑みを浮かべた。


「よし、それでこそ男だ。おたかさん、俺は何もあんたたちのためだけに言ったんじゃねえよ。正直、ひとりで店を切り盛りするのに限界を感じていたんだ。そこにあの幽霊騒動、参っちまったよ。申し訳ないと思うなら、しっかり養生して働いてくれや」


頭を上げたおたかは、まるで佐吉が仏様かのように両手を合わせて、拝むようにして涙を流しながら、幾度もお礼を述べた。

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