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第20話 佐吉を襲う幽霊女

 ボタンが担いでいる男を地面に転がし、パンパンと手を打ち払って美弥に笑顔を向けて来た。


「へへっ、やり返してやったぜ」

「ビビリで根性のないやつだったよ」

「あたしたち、そんなに霊力強い妖怪じゃないけど、並みの人間には余裕で勝てるんだよ」


付喪神たちは美弥に誉めてもらいたそうに胸を張っている。勢いよく左右に振る犬の尻尾の幻覚が見えそうなほどだ。


「ちょっと、やりすぎでは?」


美弥が顔を引きつらせて、顔中青たんだらけのボロボロの男を見下ろす。誉められるとばかり思っていた付喪神たちは肩を落とすと、地面に転がされている男に怒りの表情を向けた。


「お嬢にぶつかって盗みまでしやがったんだぜ。まだ気がおさまらねえよ」

「あたいももっと殴ってやりたい」

「踏みつけてけちょんけちょんにしたい!」

「さすがにこれ以上はダメですよ!」


いくら盗みを働いたとはいえ、捕まえて気絶するほど殴っている時点でやりすぎなのに、その上更に痛めつけては、かえって付喪神たちの方が巡査に捕まりそうだと美弥が説明するが、何よりも美弥のことが第一の付喪神たちには理解できない。顔いっぱいに不満の色が浮かんでいる。


「にんげん、いっぱいきた」


美弥と付喪神たちのやり取りを一歩下がったところで傍観していたクラが、通り一帯を見回しながら美弥の裾を引っ張ってきた。美弥がクラと同じく辺りを見回してみると、いつの間にか人だかりができていて、不貞腐れている付喪神たちと地面に転がっている男に好奇な視線が注がれている。その時質屋の中から、眉をしかめた佐吉が現われ、店先の状況を見て眉間に深い皺を刻むと、付喪神たちを指差して怒声を上げた。


「てめえら、何してやがる! 商売の邪魔だ!」


美弥がまずいと思った時には既に遅く、ボタンが佐吉の胸倉を掴んで軽々と持ち上げ、青ざめた顔でひいっと短い悲鳴を上げる佐吉を睨め付けた。ボタンの両隣に並んだチョウとコハクが腕組をして、見たことのない恐ろしい形相を佐吉に向けた。

 周囲の人だかりはざわつつき、美弥は佐吉と同じく青ざめた顔で付喪神たちの腕や肩をポンポン叩いて落ち着かせようとするが、佐吉のことをはなから嫌っている付喪神たちは、頭ごなしに怒鳴られたことで怒りが助長され、美弥の声は届かない。


「おい、なんだ、その言い草は!」

「あたいらが、いつ、あんたの邪魔をしたっていうのさ!」

「せっかく泥棒を捕まえて、盗られた物取り返したっていうのに、何で怒鳴られないといけないのよ!」

「ど、泥棒?」


地面にうつ伏せに倒れて動かない男を驚いた顔で見る佐吉の胸倉から、ボタンが手を離す。佐吉は固い地面に強く尾てい骨を打ち付けて、涙目になって尻をさすった。

 ボタンが袖内に手を入れて男が盗んだ煙管を取り出し、佐吉の目の前に突き付けると、佐吉は目を見開いて煙管(キセル)を手に取った。


「これは、うちの商品じゃないか」

「だから言っただろ。おいらたちが捕まえたってのに、感謝されるどころか、商売の邪魔だって怒鳴ってくるとはなあ。いい度胸してんじゃねえか」


ボタンがボキボキと指の関節を鳴らして佐吉の前にしゃがみ込んだ。チョウとコハクは佐吉を囲み、恐ろしい形相を崩さずに見下ろした。

 美弥が佐吉を助けようと付喪神たちの輪の中に入ろうとした時、野次馬から拍手と歓声が上がった。


「兄ちゃんたち、すげえじゃねえか」

「盗人捕まえてボコボコにするなんて、やるねえ」

「あの男、顔は分かんなくなっちまってるが、最近ここいらで盗みを働いてたやつじゃねえか?」

「あたしのとこの店でもやられたことあるよ」

「巡査よりよっぽど有能だな」


囃し立てる声が耳に届いた付喪神たちは、笑顔で拍手を送って来る野次馬たちに気を良くして、まるで英雄のように片手を上げて笑顔を返した。

 そこへ、ピー、ピーッと甲高い笛の音が響き、野次馬を掻き分け、親子ほどの年齢差がある青年と初老の巡査が2人現われた。渦中の付喪神たちと、地面に尻もちをついている佐吉、地面に転がされている男に険しい顔を向けてくる。美弥は付喪神たちが誤解を受けないよう慌てて事のあらましを説明した。


「逃げた泥棒を捕まえるためとはいえ、ここまで殴る必要はなかったはずだ」


若い巡査が付喪神たちに目くじらを立てると、付喪神たちは怒り出し、巡査に文句を言い始めた。美弥が慌てて間に入ろうとした時、佐吉が腰をさすりながら立ち上がり、巡査たちに頭を下げた。


「この人たちが盗人を捕まえてくれたおかげで、盗まれた商品が返ってきたんです。どうか大目に見てくだせえ」


一歩下がって様子を窺っていた初老の巡査が、しかめっ面をしている若い巡査を引き下がらせてくれた。


「最近この辺一帯を悩ませていた盗人を捕えた功労として、これ以上追及しないでおいてやろう。だが、捕まえるのは巡査の役目。次にいかなる理由でも人を殴ったらしょっぴく」


初老の巡査に鋭い眼光を向けられ、ボタンが殴りかかろうとする。美弥がボタンの腰にしがみついて必死に止めている間に、巡査たちは泥棒を担いで去って行った。野次馬たちもいなくなり、美弥は安堵の溜息をついた。

 だが、付喪神たちは腹の虫がおさまりきらず、佐吉を取り囲んで怖い顔で詰め寄った。


「佐吉、おいらたちに言うことあるんじゃねえのか」

「そうだよ。煙管も取り返したし、盗人も捕まえてやったじゃないのさ」

「何言えばいいか分かるよねえ? 良い大人だもんねえ?」


佐吉は煙管を握りしめ、付喪神たちから目を逸らして奥歯を噛みしめる。美弥が付喪神たちの着物の裾を引っ張って佐吉から引き離し、地面を睨んでいる佐吉の前に立った。


「佐吉さん、よろしければ困り事のお話を聞かせてください。長安様と約束したんです。私の願いを叶えて頂く代わりに、佐吉さんの困り事を解決すると。お願いします、教えてください」


美弥が深く頭を下げる。口を引き結ぶ佐吉を、美弥の背後で付喪神たちが睨みつけ、佐吉は観念したように溜息を洩らした。


「はあー。今日はもう店じまいだ。中に入りな」


騒動のせいか客が一人もいなくなった店の戸締りをして、美弥たちを二階の居住空間兼質草を保管している土蔵に案内した。

 階段を上ってすぐ左側にある障子を開けると、6畳一間の空間があり、日差しが入り込む日当たりの良い場所に、丸い形の机と濃紺の厚みのある座布団がひとつ置かれてある。押し入れもあるので布団などはそこにしまってあるのだろう。おそらくここが佐吉の寝間で、二階のその他の部屋が土蔵になっていると思われる。佐吉は自分だけ座布団に座り、美弥たちに座布団も茶も何も出す素振りを見せないまま、あぐらをかいてぽつぽつと困り事を話し始めた。


「あれが出始めたのはひと月前だった」


佐吉が言うには、最初の内は夜中に女の声がかすかに聞こえる程度で、すすり泣いているようでもあったという。気味は悪かったが、不幸な女が夜中泣きながら通りを徘徊しているのかと思い、しばらくは放っておいた。

 だが、毎晩同じ声が聞こえてくるものだから次第にわずらわしくなってきた。夜中に声が聞こえて来たと同時に窓を開けて外を見たが、月明りに照らされた通りに見える人影はひとつもなかった。

 数日眠りを妨げられていることに苛立っていた佐吉は、止まない女の声に舌打ちをして頭から布団を被る。すると、小さかった女の声が布団越しでもはっきりと耳に届いてきた。


「返して。私の。返して」


泣いているように震える声が恐怖を煽ってくる。だが、商家の生まれで次男だった佐吉は、後継ぎの長男よりも気骨があり、一から田舎町で始めたこぢんまりとした質屋を、競争相手の多いこの通りの小店まで広げただけの度胸が備わっていると自負している。並の人なら布団の中でガタガタ震えて縮こまっているところを、布団を跳ねのけて姿が見えない声に向かって怒鳴り声を上げた。


「うるせえ!」


青筋を立てて暗がりに目を向けると、ぼんやりとした青白い人魂がぼうっと浮き出てきた。さすがの佐吉もぎょっとして目を見開く。人魂は出口を探すように部屋の中をあっちにこっちに浮遊すると、突然ぱっと消え去った。

 人魂を見たことを客や近所の店主連中に話すが、皆一様に、疲れているだの、誰かから恨みを買っているからだの、笑い飛ばされ、佐吉は苛立ちが募っていった。それからも毎晩女の声と人魂は佐吉の寝間に現われ、「返して」と言い続け、佐吉が怒鳴ると消え去るのを繰り返した。

 ある晩、胸の上に重みを感じ、息苦しさで目が覚めた。目を開けると、いつもの人魂とそれに照らされるように、死人のような白くやせこけた顔に、乱れた長い髪がはりついている女の幽霊が目の前にいたのだ。佐吉は悲鳴を上げて逃れようとしたが、体が全く動かない。恐怖で心臓が止まりそうなほど内心震えていると、佐吉の上に馬乗りになっている幽霊女が、枝のように細い骨ばった両腕を伸ばして首を絞めてきた。


「返せ。私の大切なもの。返せ!」


喉がぎりぎり締め上げられ、息が詰まり、目の前がかすんでくる。そのまま佐吉の意識は薄れていき、気が付いた時には窓から明るい陽光が差し込んでおり、既にお天道様が高い位置にいた。

 夢だったのかと思うが、背中は汗ばんでいて、首には絞められた時の感覚が残っていた。店を開ける準備をしている際、陳列棚に並んでいる手鏡に映った自分の首を見て、情けない悲鳴を上げて腰を抜かした。くっきりと10本の指の跡が残っていたのだ。

 そこで佐吉は噂で聞いていた隣町の高名な僧侶、長安のもとを訪れ、護符をもらって部屋の外と内側に護符を貼った。これで怪奇とはおさらばだと安心したのも束の間、人魂と幽霊女は護符をものともせず寝間に現われたのだ。懐にも護符をしのばせていたおかげか、襲われることはなかったが、佐吉は再び長安の元を訪れ、護符の効力が弱い、もっと霊力の強い護符を大量にくれと大金をはたいて手に入れた。部屋の壁から畳に至るまで一面にはりつけ、自分の体にもはりつけて夜を待った。

 いつもと同じ深夜、女の苦しそうな奇声が部屋の外で聞こえてきた途端、障子の外側が青白い炎に包まれ、火事かと身構えたが、障子が燃やされることはなく、内側に貼っていた護符が青白く燃えて消え去った。勢いよく障子が開かれ、鬼のような2つの角を生やし、口から牙を覗かせたやせ細った幽霊女が現われたのだ。佐吉が声も出せず怖気づいていると、幽霊女の背後から人魂が飛び出してきて、部屋中の護符を一斉に燃やしてしまった。

 女は一歩一歩、般若の形相で「返せ、返せ。私の、大切なもの、返せ」と言いながら佐吉に近づいてくる。壁際に追いやられた佐吉は震えあがり、ガチガチと歯を鳴らす。幽霊女が佐吉に手を伸ばした時、何かに弾かれるようにバチバチッと火花が上がり、口惜しそうに顔を歪めた。人魂がとびかかってきて佐吉を包み込むが、不思議と熱さはなく、反対に凍えそうな寒気を感じた。体に貼っていた護符が燃やされ、万事休すかと目を閉じた時、西の空が白み始め、東雲の時刻がやってきた。幽霊女は顔を覆い、人魂と共に姿を消したのだった。


「それが昨夜の話だ。今晩、俺は何をされるか分かったもんじゃない」


先ほどまでの威勢はどこにいったのか、佐吉は小さく背中を丸めて目の下の隈をなぞっている。


「おいおい、護符が全く効かないみたいに言ってたよな。ちっとは効いてんじゃねえか」

「あんた、その幽霊女に恨まれることでもしたんだろう。殺されかけるって相当のことだよ」

「命が危ないっていうのに、何で長安様に文句言って、そのまま帰ったの?」


呆れ顔のボタンとチョウから目を逸らし、目を丸くしているコハクに佐吉は応えた。


「今日は早くに店じまいして、神部家に頼み込もうと思ってたんだ。燃やされた護符に大枚はたいて痛手だが、背に腹は代えられねえ。神部家は貴族しか相手にしないと聞いていたが、貯め込んだ金を持っていけばなんとかしてもらえるかもしれない。盗人を捕まえてもらったから一応話したが、あんたらができることは何もないんだ」

「何言ってんだよ。神部家に頼み込むならお嬢に頼んだ方がよっぽどいいいじゃねえか」


ボタンは鼻で笑い、チョウとコハクはにんまりと笑みを浮かべる。佐吉には見えないが、美弥の隣にちょこんと座っているクラが美弥の右手首を掴んだ。佐吉に怪訝な顔を向けられた美弥は、まだ名乗っていなかったことを思い出し、姿勢を正して名を述べた。


「申し遅れました。私は神部家の長女で、今は阿倍野家の若様の婚約者で、美弥と申します」

「はあ?」


唖然とする佐吉はやつれた顔で目を瞬かせ、食い入るように美弥を見つめた。

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