第2話 霊力ゼロの元お嬢様
ドンドン、ドンドン!
「美弥! まだ寝てるんじゃないだろうね!」
早朝、襖が破れそうな勢いで叩かれ、美弥は煎餅布団の上からガバッと飛び起きた。
「お、おまつさん?!」
あたふたと布団から這い出たところで襖が開き、恰幅の良いおまつが腕組をして仁王立ちで睨みつけてきた。
「今起きたのかい? 明日の準備があって忙しいから、いつもより早く起きなって言ったじゃないか。さっさと仕度しな!」
「は、はいっ!」
美弥が背筋を伸ばして返事をすると、おまつはピシッと襖を閉めて足早に去って行った。
「そうだ。明日は、桃華さんの婚約者になる方がいらっしゃるんだったわ」
美弥は呟きながら、丈が合っていない年季の入った寝巻きを脱ぎ、丁寧に畳んだ。
「ありがとう。また今夜も宜しくね」
寝巻きにお礼を言い、部屋の隅にある行李の中に入れ、そこから丈の短い縦縞の小袖と藍色の袴を取り出し、今日も宜しく、と声をかけた。
着替えを終え、幼少期から使っていて何度も縫い直した煎餅布団を畳んで行李の傍に置く。皺を伸ばしながら、毎晩ありがとうと、感謝の言葉を口にした。
腰までの髪を高い位置で一つに結び、三つ編みにしてから、窓も何もない4畳の狭い部屋に目を向ける。
「いってきます」
襖を静かに閉め、女中たちに指示を出すおまつの活気溢れる声が響く台所へ向かった。
「美弥、遅いじゃないか。竈で火の番だよ、早く!」
おまつに急かされ、米を炊く羽釜が乗っている竈の前で中腰になり、薪と火吹竹を手に持って、チロチロ燃えている小さな炎と羽釜を交互に見た。薪をくべて、時に火吹竹で息を送り込んで強火にしていく。ぐつぐつと煮えたぎる羽釜から、米の炊ける香ばしい匂いが広がってきた。
「いい匂い。お米さん、おいしくなってね。竈さんも頑張って。私も頑張るわね」
炎がぼうっと勢いよく燃え始め、羽釜の蓋がガタガタと落ちそうになる。
「あんた、何やってんだい。早く弱火にしな!」
美弥の後ろを通りかかったおまつに怒鳴られ、慌てて灰をかけて火を弱めた。
「まったく。何年やってるんだい」
「す、すみません」
「あとはあたしがやるから、井戸で洗濯してきな」
「はい!」
周囲でてきぱきと手を動かしている女中たちから、くすくす笑われたり、呆れ顔で見られたりしながらも、美弥は気にせず顔を上げて台所から出て行った。
井戸の前に行くと洗濯物が山積みにされており、先に来ていた2人の女中から洗濯板とたらいを渡された。
「じゃあ、あとはよろしく」
「ちゃんと汚れ落とすのよ」
「あっ、はい」
美弥は洗濯物の山に笑顔を向けて、小袖をまくった。
「きれいにしてあげるからね」
着物や布などを一枚一枚丁寧に洗って干し終わった時には、朝日が完全に昇りきって、太陽の柔らかな日差しが降り注いでいた。
「ふう。やっと終わったわ。みんなもお疲れ様」
物干しざおに干されている洗濯物が、美弥の言葉に答えるように風に吹かれてパタパタとはためく。
ぐうぅ~。
達成感で気が緩み、腹の虫が空腹を主張してきた。朝食をまだ食べていなかったことを思い出し、台所に戻ろうとした時、背後から声をかけられた。
「ほら、あんたの分だよ」
振り返ると、芋粥とめざしが3つ乗った皿と、湯呑みを乗せたお盆を持っているおまつが立っていた。
「おまつさん!」
「いつまで経っても食べに来ないから、片付かなくて困ってたんだよ。めざしは余ってた分、一個おまけしといたから」
「わあ、ありがとうございます!」
笑顔でお盆を受け取ると、おまつは風にそよぐ洗濯物を眺めて溜め息をついた。
「仕事は遅いし、のろまで手がかかるし、人から仕事を押し付けられても文句も言わないお人よしだけど、あんたのやることは丁寧で、物が喜んでるみたいに見えるのはどうしてかねえ」
「もしかして、褒めてくれてますか?」
目を輝かせる美弥に、おまつは眉を下げて苦笑した。
「ほんと、あんたって子は。人のことを悪く思ったりしないのかね。力さえあれば、こんなことしないで、桃華お嬢様のようにきれいなおべべ着て、きちんと教育も受けられたのに。この国を西の阿倍野家と一緒に鬼や妖怪から守る、東の神部家の血を継ぐ正当なお嬢様なんだからさ」
「正当な血筋なのに、お父様や桃華さんのように妖怪も鬼も見えないし、霊力も全くないんです。役立たずの私を追い出さずに女中として働かせてくれて、個室ももらえて、こうやってご飯も食べられて、お父様には感謝しています」
おまつは眉を寄せて大げさに溜め息をついた。
「はあーーー。お人好しもここまでくると清々しいねえ。何であんたに霊力がないのかあたしにはさっぱり分からないけど、もし力があったら阿倍野家に嫁いでいたのはあんただったのに。桃華お嬢様よりあんたの方が、顔も性格も良いのにもったいないねえ」
「そうですか? お世辞でも嬉しいです」
へらっと笑う美弥に、おまつはふっと笑みをこぼした。
「それ食べたら町にお使いに行っといで。奥様とお嬢様から必要なものが書かれた紙をもらっているんだけど、文字を読める女中は少ないから。元お嬢様だったんだから読み書きは教わったんだろ?」
「7歳の時までしか文字を習えなかったので、簡単な読み書き程度しかできないですけど」
「それぐらいできれば十分だよ。じゃあ、頼んだからね」
「はい」
美弥は紙を受け取ると井戸の縁に座って手を合わせ、芋粥を食べ始める。家の中に戻るおまつは小さく呟いた。
「この先、あの子はどうなるんだろうね。不憫な子だよ」




