第19話 質屋の主
長安の寺を出て、町の境に架かる橋を渡って行くと、土蔵造りの店は徐々に少なくなっていった。その代わり、レンガ造りの二階建ての大きな建物が大通りの左側にずらっと建ち並んでいる。通りに面するガラス張りの窓には、それぞれの店の商品が展示されており、看板を見ずとも何が売られている店なのかすぐに見当がつく。
見慣れない光景にボタンとチョウがあんぐり口を開けて辺りを見回している一方で、コハクは目を輝かせてあちこちの店の窓ガラスを覗き込んでいる。
「あっ、見てみて! これお嬢の部屋で見たことある!」
西洋から輸入された調度品を販売している店のガラス窓に顔を近付けたコハクが、興奮気味に手招きをした。美弥は、袖を握っているクラの手を取り、コハクの隣に並んで窓ガラスを覗いてみた。
草花と舞い踊る2羽の蝶が描かれた背の高いガラスの花瓶や、向い合わせに座る白鳥を土台に蔦の装飾が施された金色の置時計、燭台のような真鍮の土台に取り付けられている底の方が膨らんだ徳利のような形のランプなどが、陽の光を受けてキラキラ輝いている。
「あっ、本当ですね。この花瓶や時計に似たような物が、部屋に置いてあった気がします。どれもきれいで素敵……ん?」
商品の下に置かれている値札に気付いた美弥の笑顔が固まり、次第に青ざめていった。
この時計、50円もするの!? 花瓶とランプは30円!? ‘’銭‘’ではなく? 確かにどれも凝った細工できれいだけど、こんなに高値だなんて信じられないわ! あの部屋に置いてある物も全部こんなに高価なのかしら。もし落として壊してしまったら……。考えただけでも恐ろしいわ。
「みや、どうした?」
心配そうに見上げてくるクラに、なんでもないですと力なく笑って誤魔化した。
「ふん。こんなぽっとでのよそ者より、この国で古くから大事に使われている物の方がよっぽど価値があるよ。こいつらが付喪神になれるとは思えないね」
一歩後ろで口をへの字に曲げているチョウが鼻を鳴らすと、隣のボタンも腰に手を当ててうんうん頷いた。
「まったくだ。わけのわからねえ物が増えて、新しいからってそれを買って、古くなった物はすぐに捨てられる。この先生まれてくる付喪神は、人への恨みを持つやつが増えるかもな」
「それどころか、古くなる前に捨てられたら、付喪神にもなれないやしないよ」
「え? この先そうなっちゃうの? それは悲しいな」
窓ガラスから目を離し、コハクが眉を下げる。美弥は付喪神たちと、異国の商品を交互に見て、悲しげな顔をするコハクの背中を優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。この先も物を大事にできる人はたくさんいると思います。私はお母様から物を大切にする心を教わりました。代々その教えを受け継いでいけたら、コハクさんたちのような付喪神が生まれてくるはずです」
「お嬢~、そうだよね!」
コハクは嬉しそうな笑顔で美弥の左腕にひっつく。クラがぴくっと眉を動かして美弥の右手を引っ張り、向かいの土蔵造りの建物の方を指差した。
「みや、あっちのうら、いこ」
馴染みのある土蔵造りの店を見るとほっと胸を撫で下ろしたくなる。桃華の使いで買いに行かされた大店の呉服店のような二階建ての建物が、西洋風の建物と張り合うように並んでいる。クラに手を引かれた美弥がそちらへ足を向けると、付喪神たちが大店を仰ぎ見ながら後をついて来た。
「こっち側の建物はなんか落ち着くな」
「大店ばかりだけどねえ。さすがに佐吉の質屋はこんなとこには並んでないみたいだけど」
「クラ、この通りの裏側に質屋があるの?」
「さきちのけはい、する」
コハクに尋ねられた本人は頷き、美弥の手を引っ張って裏通りに導いていく。
大通りから裏道に入ると、西洋風の建物はほとんど見当たらず、小間物屋、呉服屋、米屋、酒屋などの小店が、大通りの半分程の広さの通りに軒を連ねている。大通りほどではないが、こちらも質の良い着物に身を包んだ人々やその付き人が通りを賑わせている。
美弥が通りの両側に並ぶ店に目を配っていると、通りの真ん中辺り、二階建ての土蔵の前でクラは足を止めた。軒下に垂れ下がる紺色の暖簾には、白抜きで「質」と記されている。
開け放たれている扉から店内の様子を窺うと、陳列棚に並べられている商品を数名の客が吟味していて、店奥の小上がりには質入れに来たと思しき客の相手をしている佐吉が見えた。
「佐吉さん、いますね。クラさん、案内ありがとうごさいました。とりあえず、入ってみましょう」
美弥が緊張の面持ちで一歩踏み出すと、チョウに袖を引っ張られた。
「お嬢、ちょっと待って。あたい達も人間に姿が見えるようにしてから一緒に行くよ」
「え? そんなことできるんですか?」
美弥が首を傾げると、3人は懐から人型の紙を取り出し、得意気に胸を張った。
「それ、晴麿様の紙の式に似てますね」
「ああ。だが、式じゃないぜ。若からもらったおいら達の化け道具だ」
「何かあったら人に化けてお嬢を守れって若がくれたんだよ」
「これをね、額につけて、人間になれって念じればいいんだって。お嬢、待っててね」
3人が人型の紙を額に張りつけて目を閉じると、ポンと音がして煙が出てきて、3人を包み込んだ。
「どうだ、お嬢」
「あたいら、人間になったかい?」
「何か変わったかな?」
煙が晴れると3人は期待の眼差しで美弥を見つめてきた。だが、今までと変わったところは特にない。正直に言うべきか迷っていると、ボタンが懐から手鏡を取り出し、頭から爪先まで鏡を移動させてまじまじと見つめるが、見た目の変化がないことに眉をしかめた。チョウとコハクが手鏡を拝借して2人で鏡を覗き込み、互いの姿をまじまじと見つめ合うと、頭を抱えた。
「全く変わってないじゃないか!」
「えー、若の術効いていないの?」
「3人分の術をかけるのは、若には重荷だったのか?」
美弥があたふたと周囲を見回すと、ぎゃーぎゃー騒ぐ3人をちらちら横目に見ながら道行く人々が通り過ぎて行くのが見えた。
「もしかしたら、他の人に姿が見えているかもしれません。もともと見た目は人間と同じ姿をしていたから、変わらなかったのでしょうか?」
クラも辺りを見回し、3人をいぶかしむ通行人の顔をじっと見つめて頷いた。
「なるほどな」
「確かに周りの人間に見られてる気がするよ」
「質屋に入ってみたら分かるでしょ。お嬢、行こう」
コハクが美弥の背中を押して歩き出し、その後からボタンとチョウがついてくる。クラは何も言わず、美弥の手をぎゅっと握りしめた。
戸を潜って店内に入ると、西洋箪笥や椅子、装飾品などの貴金属類がきれいに並べられている。ボタンが棚に飾ってある茶碗を見つめて感嘆の声を上げ、チョウも覗き込んで目を丸くした。
「おお。こんな古い物もあるのか」
「あれま。この茶碗、付喪神になりかけてるじゃないか」
「分かるんですか?」
「うん。うっすら顔が浮かんで見えるの」
コハクに言われてじっと茶碗を見るが、美弥には何の変哲もない古い茶碗にしか見えず、首を捻った。
「なあ、もしかしたら、佐吉の言ってる幽霊も付喪神なんじゃねえのか?」
「それなら長安先生が分かるはずだよ。それに、長安先生と若の護符を燃やせる力のある付喪神がいたら怖いじゃないか」
ぶるっと身震いをするチョウに、ボタンはそれもそうかと頷いた。
「でも、長安先生のことだから、直接幽霊を見に来てないかもしれないよ。あたしたちで幽霊の正体を掴まないと!」
「そうですね。まずは、佐吉さんに詳しい話を聞きにいきましょう」
佐吉が質入れに来た客の対応を終えるまで待ってから、美弥は声をかけた。
「佐吉さん、先程は失礼致しました」
「あんたはさっきの。俺の店にまで来て文句言いに来やがったのか?」
左吉は目を吊り上げて美弥を睨み付けるが、美弥の背後にいる左吉より頭ひとつ分高いボタンにじろりと見下ろされ、たじろいだ。
「てめえ、さっきから失礼だろうが。お嬢になめた口きいてんじゃねえぞ」
「な、何だよ。良いとこの娘かと思ったらヤクザもんの娘だったのか」
「ち、違います!」
あたふたと首を左右に振る美弥の両脇から、チョウとコハクが一歩踏み出し、腕組をして左吉を睨んだ。
「何がヤクザもんだよ。失礼なやつだね」
「お嬢はあたし達の主なんだから!」
佐吉は顔をしかめ、しっしっと追い払うように手を振った。
「だから何だってんだ。この店は俺一人で切り盛りしてんだ。猫の手も借りたいほどだっていうのに、客以外に構っている暇はねえんだよ」
「あの、佐吉さんの困り事を、長安様の代わりに私たちが」
「はあ? あんたみたいなお嬢様に何ができるってんだ。帰れ、帰れ」
「話ぐらい聞かせなよ!」
チョウがずいっと佐吉の前に顔を近づけると、佐吉はチョウの頭に挿してある鼈甲の櫛を見てニヤリとほくそ笑んだ。
「良いもん持ってんじゃねえか。その櫛、質に入れるか売るってんなら、話してやってもいい」
「あんた、何言って」
食ってかかろうとするチョウの袖をぐいっと引っ張って、美弥が声を上げた。
「ダメです! 絶対に手放しません!」
「何だよ、あんたのもんじゃねえだろ。お? そっちの娘っ子の簪もいいな。それでもいいぞ」
佐吉に目をつけられ、びくっと震えて簪を両手で覆うコハクを後ろ手で隠し、美弥は口を引き結んで佐吉を見上げた。
「簪も渡せません! ボタンさんの手鏡もダメです!」
「ボタン? 手鏡? まだ何か持ってんのか?」
しまったと口を抑える美弥の方に、佐吉は右眉を上げて顔を近づけてくる。クラが美弥の前に両手を広げて佐吉を睨みつけたので、美弥は慌ててクラの肩に手をおいて耳打ちをした。
「クラさん、私は大丈夫ですから、落ち着いてくださいね」
「こいつ、キライ」
両手を下ろして美弥に抱き着くと、クラは頬を膨らませた。リスのように見えて、こんな状況なのに美弥は思わずくすっと微笑んでしまう。
そんな美弥を隠すように、腕組をしたボタンが美弥の体をずいっと後ろにおいやって佐吉を見下ろした。
「俺の手鏡はお嬢のだ。てめえなんかにやらねえよ」
「ボタンってこの大男のことかよ。名前と顔が合ってねえじゃねえか。客になる気がないならとっと帰れ!」
「何だと、偉そうに!」
「ここは俺の店だぞ。いい加減にしないと巡査を呼ぶぞ」
どすの利いた佐吉の声と、負けず劣らないボタンのいがみ合う声が店内に響き、他の客が怪訝な顔を向けてくる。
「ボタンさん、今は引き下がりましょう」
美弥は、恐い顔で佐吉を睨みつける付喪神たちとクラを連れてあたふたと店の外に出ていった。
「何なんだよ、あいつ。一筋縄じゃいかねえな」
ボタンが苦々しい顔で質屋を振り返る。チョウとコハクは美弥の両腕に抱きついて、目を潤ませた。
「お嬢、かばってくれてありがとねぇ」
「お嬢~、かっこよかったよぅ~」
「いえ、そんな」
照れ笑いを浮かべてチョウとコハクを見る美弥に、ボタンは笑みを漏らした。
「おいらもさっきのお嬢の毅然とした態度には痺れたぜ。さすがおいらたちの主だぜ」
「みや、えらい」
クラが美弥の着物の裾を引っ張って朱色の瞳を輝かせて美弥を見上げてきた。
「ボタンさんにクラさんまで、やめてください」
美弥は顔を赤くして両手で覆い隠す。
チョウとコハクは顔を見合わせて頷き合うと、それぞれ櫛と簪を頭から抜いて美弥の前に差し出した。
「お嬢、あたいの櫛、質に預けておくれ」
「あたしの簪も。これでお客になって佐吉から話を聞けるよ」
美弥は両手を顔の前で振って、櫛と簪を押し返した。
「そんなことできません! もう二度と皆さんを手放したくないんです!」
「でも、このままじゃ話を聞けないよ」
「そうだよ。お金もないし」
コハクがボタンをじろっと見ると、肩をすくめて小さくなった。
「面目ねえ。今からでも取りに戻るぜ」
「ボタンさん、大丈夫ですよ。気にしないでください。晴麿様のお金を使うのは申し訳ないですから」
「だったら、何か質に入れられそうな物がないか若に聞いてきたらいいんじゃない?」
コハクが顔をパッと明るくして言うが、美弥は首を横に振った。
「私のわがままなのに、そんなことお願いするわけにはいきません。お店が終わるまで待つしか……」
店内を覗くと、さっきよりも混み合ってきていて、佐吉は質に預けに来た数名の客と話し込んでいる。佐吉の店が繁盛していることが気に食わないと文句を言い合っている付喪神たちをよそに、扉の外からこっそり中を窺っていた美弥は小首を傾げた。
あら、あの人ずっとうろうろしているわ。それに、佐吉さんの方をちらちら見ているのに声をかける様子もなさそうだし、何だか変ね。
美弥たちが店に来た時から出入り口付近の棚の前を行ったり来たりしている髷を結った紺色の着物を着た男が妙に気になり、目で追いかけた。
しばらくして男は、客と話し込んでいる佐吉の方を気にしながら、棚に飾ってある煙管を手に取って袖の中にさっと隠した。
「あっ、泥棒!」
美弥が咄嗟に声を上げると、男は舌打ちをして扉付近にいた美弥にぶつかって押し倒し、脱兎のごとく通りの先へ走り去って行った。
付喪神たちとクラは美弥に心配気な目を向けて立たせてから怪我がないか確認する。無事だと分かると、付喪神たちは青筋を立てて怒りをあらわにし、クラに美弥を任せると男を捕まえると口にしてさっと姿を消してしまった。
「皆さん、どこに行ってしまったの?」
美弥が辺りを見回していると、クラが影の道を通って泥棒を追いかけていったと教えてくれた。無茶をせず、無事に戻って来てほしいと心配していたが、30分足らずで付喪神たちは意気揚々とすっきりした顔で戻ってきた。安堵したものの、ボタンの肩に担がれている、顔をボコボコに殴られて気絶している男を見た美弥は、同情心が湧いてきて眉を下げて呟いた。
「お可哀そうに……」




