第18話 小箱を直す交換条件
間違いないわ。あの優しそうな笑顔に、朝日のようにまばゆい御頭。お母様のお見舞いによくいらしていたお坊様だわ。
美弥が生まれた時には、母の両親は既に他界しており、一人娘だったため、病床の母を見舞いにくる親族は誰もいなかった。父は病に臥せる母に関心を一切示さず、家のことは女中頭に任せていた。
父の心は早くから佳江にあったらしく、母と美弥を離れの奥の部屋に押し込め、顔を合わせることはほとんどなかった。おそらく月に一度見舞いに来ていた長安の方が多く顔を合わせていただろう。
幼かった美弥は長安のことをずっと“お坊様”と呼んでいたので、長安という名は記憶の彼方に置き忘れていたのだった。
「ほう、おまえさんたち、ようやく主に会えたのか。それは何より。美弥もこんな立派な令嬢になって、時の流れを感じるのう。ああ、そうか、今は晴坊の婚約者だったな。まさか阿倍野家の若奥様になるとは。風の噂では、妾の娘が晴坊と婚約すると聞いておったがな」
平たい顎を親指と人差し指で撫でる長安に、美弥がどう説明していいか悩んでいると、付喪神たちが口々に晴磨の婚約者になった理由を好き勝手話し始めた。
「あんな我儘で高飛車な娘じゃなくて、器量も気立ても良いお嬢を選ぶのは当たり前だろ」
「それにさ、お嬢は1000年前の稀代の巫女の生まれ変わりだっていうじゃないか。霊力が阿倍野家の当主に及ばない若には、お嬢の力が必要なんだよ。若は復讐のために生きてるようなもんだって、長安様も知ってるだろう」
「でもでも、長安様、聞いてよ! 若ったら、復讐が終ったらお嬢との婚約は破棄するって言ってるんだよ。幸せにすることも愛することもできないからって。意味わかんないよね?」
頬を膨らませるコハクとは裏腹に、長安は天を仰いでガハハハハと豪快に笑い飛ばすものだから、付喪神たちとクラとトラに冷ややかな視線を送られた。
「まったく、変わっておらんなあ。不器用で頭のかたいやつだ。まあ、男女の機微に関してはひよっこ同然。おまえさんらも目くじら立てずに見守ってやれ。ところで、美弥」
長安はすっと目を細めて美弥の胸元を見ると、笑みをひっこめて声を低くした。
「勾玉はいつ何時も肌身離さず身に着けておくよう母から言いつけられていたのではないか」
美弥はたじろぎ、着物の上から勾玉をぐっと押さえて頷いた。
「ついこの間、隣町との境にある橋辺りから、悪鬼の妖力やら晴坊の霊力やら、その勾玉で封じられているはずの霊力やら、物騒な気配を感じたが。元凶は勾玉だと知っておるか?」
妖力でも霊力でもない長安特有の圧迫する見えない力を感じた美弥は、萎縮して頭を垂れた。
「は、はい。勾玉が巫女の霊力を封じていると、晴磨様から聞きました。その、隙をつかれて子供に盗られてしまって……」
「なんという」
呆れ顔で目を丸くする長安に、付喪神たちは美弥を庇おうと口を開くが、トラに黙っておけと目配せをされてぐっと堪えた。しかめっ面をして長安を見据えるクラは、今にも妖気を放ちそうだ。
「あざが見られないよう、幼い頃のようにリボンを手首に巻いたのですが、悪鬼に襲われた時にはずれてしまって、あざを見られて巫女の生まれ変わりだと気づかれてしまって……」
「ふむ。わずかだがわしの霊力が残っておるな。さすが、わし。当代随一の御坊と言われるだけあるわ。ガハハハハッ」
美弥が三つ編みの先に結んでいるリボンを長安に見せると、先ほどまでの威圧感はどこへやら満足気に高笑いをし、付喪神たちとトラが溜息をついた。
「誰がそんなこと言ってるんだにゃ」
「でたぜ、長安様の悪いクセ」
「金にがめついわ、自画自賛するわ、とんだ生臭坊主だよ」
「お嬢、長安様ってこういうお人だから、気にしないでね」
記憶の中の長安が美化されていたのか、母の前では態度が違ったのか、過去に会ったことのある長安とは別人に思える。美弥は戸惑いながらも、長安の言葉にひっかかりを覚え、尋ねてみた。
「あの、リボンに長安様の霊力が残っていると仰っていたのはどういう意味でしょうか?」
「ああ、美鈴からは何も聞かされていなかったか。勾玉を美鈴が完成させるまで、巫女の霊力とその証であるあざを隠すために、わしが封印の護符を作って美鈴がそのリボンに縫い込んだのだ。勾玉ができてからは用済みだったが、お守りがてら美鈴が髪紐として使うと言ってな。もう年季も入って古く見える。勾玉があれば無理に身に着けておく必要はないが」
「いえ。これはお母様から頂いた大事なリボンですので。それに、長安様の護符も縫い付けてあると知ったので、この先も大切に使わせて頂きます」
笑みを浮かべる美弥の顔が、長安には美鈴の顔と重なって見え、懐かしそうに目を細める。
「そうかい。好きにしなされ。それで、婚約したことを告げにも来ない薄情な晴坊ではなく、美弥が来たのには何か用があってのことだろう?」
問いかけながらも既に察しはついているのか、美弥が抱えている風呂敷きに視線を送っている。美弥は風呂敷を解いて壊れた小箱を長安の前に差し出す。蓋を開けて巾着を取り出し、細かい破片を見せた。
「この小箱を直して頂けないでしょうか?」
「これは……」
小箱を慎重に手に取って眺めまわすと、そっと風呂敷の上に置いた。安心したような笑みを浮かべながらも、長安の顔に影が落ちる。
「長安様、頼む!」
「お願いだよ、長安様。サク兄も大事な付喪神仲間なんだよ」
「長安様、お願い! あたし達の時みたいに直してあげて」
付喪神たちに頭を下げられた長安は、困ったような顔で眉を下げて唸った。
「うーむ。おまえさんらをサクがここに連れて来た時、あやつが一番重症でな。自分のことよりもおまえさんらを直してくれと、息も絶え絶えに言ってすぐに姿を消してしもうた。本体が見つかればと思っとったが、思った以上に厄介な壊れ方をしておる」
「なあ、頼むよ。金なら若からたんともらってきてるからよ。ほら、ここに……ん? 金の入った巾着袋があるはず……んん??」
ボタンが懐をあさって言うが、なかなか巾着袋が出てこない。ポンポン着物の上から叩いても、ぴょんぴょんその場で跳び跳ねても、逆立ちをしても、しまいには着物を脱いでも、巾着袋は出てこない。ボタンは顔を青ざめて口を引き結んだ。
「ちょっと、どうしたんだい?」
「もしかして、ないの?」
チョウとコハクに聞かれ、ボタンはゆっくり頷いた。
「……置いてきた、みたいだぜ」
「何やってんだい! ボタンのあんぽんたん!」
「うそでしょー、ボタン! ありえなーい!」
「ボタン、アホ」
2人にポカスカ叩かれ、クラに刺々しい視線を送られたボタンはしゅんと肩を落とした。
「大丈夫です。最初から晴麿様のお金に手をつけるつもりはありませんでしたから」
美弥は落ち込んでいるボタンに微笑み、長安に再び頭を下げた。
「長安様、私ができることはなんでもやります。どうか、直してください。お願いします!」
「ふむ。物自体は直せると思うが、付喪神に戻れるかどうかまでは保証できん。それでいいなら、修理してみるが」
美弥は顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます! 宜しくお願い致します」
小箱を横目に、長安が腕組をして目を閉じる。
「とはいえ、これは相当骨が折れるのう。昔のよしみ、久方ぶりの再会、わしとてタダでやってあげたい気がないわけではないが……」
物言いたげに、美弥に目配せをする長安の心の内を早々に察したトラは、苦々しい表情を浮かべた。付喪神たちが頭を下げて懇願するが、長安はそれを制して美弥を見つめる。妖気を放とうとするクラの小さな手を握り、美弥は三つ指をついて深々と頭を下げた。
「すぐにお金を支払うことはできませんが、借金をしてでも」
「いやいや、金なら晴坊からもらえばいいこと。わしは高名な僧侶なのでな、妖怪や人間同士のもめごとの相談事を多く請け負って忙しいのだ。その上にこのような厄介な物を持ち込まれると、ほとほと参ってしまう」
やれやれと自分の肩を叩き、困惑の表情で長安を見ている美弥に目を向けた。
「それにのう、ここ数日は佐吉のせいで気苦労が絶えんのだ。いやあ、参った、参った」
首を左右にゴキゴキ鳴らして重い溜め息をつく。美弥は姿勢を正して、長安の腫れぼったい瞼の下から覗く小さくも鋭い眼光を見つめて口を開いた。
「私にできることがあれば、どんなことでもやります」
「みや、あぶないことしちゃ、だめ」
クラが美弥の右腕にしがみついて、長安に鋭い眼差しを向ける。長安は怯むことなく視線を受け流し、飄々と言ってのけた。
「ほう、それはありがたい。さすが美鈴の娘。よう言ってくれた。小箱を直す代わりに、佐吉の困り事をどうにかしてもらおう」
「ちょっと待ってくれ、どうにかって何だよ!」
「あんな怖そうなやつ、相手にできないよ!」
「どうにかってどうすればいいの? お嬢を危険なめには合わせられないよ!」
ボタンが長安と美弥の間に割って入ってくる。チョウとコハクもボタンの横に並んで口を尖らせた。妖気を抑えきれず、部屋の温度を一気に下げるクラの背中を美弥が慌てて撫で、落ち着かせた。付喪神たちの後ろから顔を出すと、やる気をみなぎらせた瞳で長安の目を見据えて、力強く言い放った。
「小箱を直して頂けるなら、やります! 任せてください!」
付喪神たちとクラは驚きと不安の混じった顔で美弥を見た。
「主がやる気なのに、おまえさん達は反対するのか?」
ふっと挑発の笑みを浮かべる長安に、付喪神たちとクラはむっとした顔を見合わせて頷き合った。
「お嬢がやるっていうならやってやるぜ!」
「お嬢に危ないことはさせられないからね。あたいらが動かないと」
「お嬢、一緒に頑張ろう!」
「クラ、みやのこと、まもる」
「皆さん、ありがとうございます」
美弥は瞳を潤ませて頭を下げた。
「長安の口車に乗せられたにゃ」
トラの呟きは、希望に目を輝かせる美弥達の耳には届かなかった。




