第17話 懐かしき再会
暗闇の中を走り抜けていた馬車はいつの間にか陽の当たる明るい表の道に出ていた。ポンキチが嘶くと馬車は止まり、御者が扉を開けてくれる。
ボタンが先に降りて手を差し出し、美弥はその手を取って馬車を降りた。目の前には延々と上に続く石段があり、一段目の左横に「金厳寺」と彫られた石碑が建っている。
ポン!
美弥の背後で弾けるような音がして振り向くと、馬車が消え、風呂敷を被ったポンタとポンキチが現われた。役目を終えた御者もいつの間にか姿を消していた。
「わしらはここまでじゃ。クラ、帰る時は主に知らせるのじゃ」
ポンタに言われたクラはこくんと頷く。そして、晴麿が御者を作り出す際に使っていたのと同じ紙の式を懐から取り出した。それをどうするのか美弥が尋ねると、クラは式に息を吹きかける真似をして一言、「とばす」と呟いた。首をかしげる美弥に、ポンキチが補足してくれた。
「式が主のところに戻るのだ。それが、我らが迎えに行く合図なのだ」
「きんきゅうじたいは、やぶく」
クラが、式を縦に破く真似をすると、ポンタとポンキチは苦笑いを浮かべ、その時は自分達は役に立たないだろうから、晴麿が直接出向くことになっていると教えてくれた。
一通り役目を終え、帰るというポン兄弟に美弥が一礼すると、2匹は手を振ってすうっと消えていった。
「あら、消えちゃったわ」
「影の道に戻って行ったんだよ」
「そうなんですね。帰り道は分かるのかしら?」
「大丈夫だよ。若のおうちに戻ればいいって分かってるからね」
「目的地が分かれば戻れるんでしたね。良かったわ」
胸を撫で下ろす美弥に、ボタンが石段を見上げて顔をしかめた。
「こっちは良くないぜ。すげえ長い石段だ」
「そういえばあたいら、影の道で寺の中まで連れてきてもらったし、若のところに行く時も寺から直接影の道で向かったから、こんな石段があるなんて知らなかったよ」
「石段の上で降ろしてくれたら良かったのに」
「ここまで連れてきてもらっただけでもありがたいです。皆さんは本体に戻ってください。私が皆さんを運んで石段を登ります」
「何言ってんだい。お嬢にそんなことさせられるわけないじゃないか」
「ボタン、よろしくね」
チョウとコハクは、櫛と簪を髪から抜いてボタンに渡し、すうっと姿を消した。
クラは何も言わず、着物だけを残して消えたと思ったら、着物の中からもぞもぞとトビクラの姿で現れた。両腕を広げると、外套のように毛皮が開かれ、どこからか吹いてきた風に乗ってふわっと飛んでボタンの肩に着地した。
「クラさん飛べるんですね!」
クラの着物を手に取った美弥が拍手を送ると、ボタンの肩の上で得意気に桃色の小さな鼻を突き出し、くりくりした丸くて大きな朱色の瞳を輝かせた。
「しょうがねえな。クラ、ちゃんと掴まっとけよ。お嬢、行くぞ」
櫛と簪を懐に入れたボタンは、肩にしがみつくクラに声をかけてから美弥に目を向けた。美弥が頷いて石段を登り始めようとした時、ふっと体が浮き、気づいたらボタンに横抱きにされていた。
「えっ?! ま、またですか? 私、歩けますぅ。下ろしてくださいぃ」
恥ずかしさで顔を赤らめた美弥が足をばたつかせて抵抗するが、ボタンは気にせずさっさと石段を登り始めた。
「お嬢、あんまり動くと落ちるぜ。すぐ着くから大人しく掴まっといてくれよ」
「えぇぇぇぇ! 恥ずかしいですぅぅぅ」
「ガハハハ! 何も恥ずかしくねえって!」
ボタンは笑い声を上げながら三段飛ばしで走って登って行った。ボタンが石段を登り切るまで、美弥は恥ずかしさのあまり目を閉じて風呂敷をぎゅっと抱きしめていた。
「よし、着いたぜ」
「……ありがとうございました」
体を強張らせていた美弥はようやく地面に下ろされ、ほっと息を吐きだした。クラがボタンの肩から下り、美弥が持っている着物に飛びつく。あっという間に人型になり、どういうわけかきちんと着物を身に着けた状態で現れた。ボタンが懐から櫛と簪を取り出すと、次の瞬間にはチョウとコハクが目の前に立っていて、美弥は未だ見慣れぬ光景に目を丸くした。
「ボタン、ありがとね」
「ボタン、お疲れさま。うわあ、懐かしい! 長安様のお寺だ」
コハクが砂利の敷かれた広々とした庭と、目の前にそびえ立つ大きな反り屋根が目立つ本堂を見上げて笑みを浮かべた。チョウとボタンも笑顔で頷き、木製の階段を登って本堂の中に入って行く。美弥もその後に続いていった。
廊下を挟んで正面に、畳が一面に敷かれた広間があり、奥には高い天井にまで届きそうな仏像と、木魚、読経の際に鳴らす大きな椀のような形をした鐘が置かれている。
「あれま、誰もいないじゃないか」
「真面目にお勤めするタイプじゃないだろ。奥で寝てるんじゃねえか?」
「きっとそうだよ。あっち行ってみよう」
コハクは美弥の腕を掴み、廊下の角に向かって歩き出した。
「勝手にいいんでしょうか?」
「大丈夫、大丈夫。あっ、なんか声が聞こえる。やっぱり奥にいるんだよ」
スタスタ歩いて行くコハクに引っ張られるようにして廊下の角を曲がると襖があり、その奥から男の怒声が聞こえてきた。
「おい、この護符全然効かないじゃねえか! ぼったくりやがって!」
ボタン、コハク、チョウは襖に耳をつけて顔を見合わせた。
「なんか怒ってるみたいだな」
「長安様の護符は、小物の妖怪なら効き目あるんだけどねえ」
「すっごい怖い妖怪に困ってるとか?」
「長安様は妖怪退治もやられているんですか?」
美弥の知る妖怪退治屋は、神部家と阿倍野家だけだった。寺の僧侶ができることといえば、死者の供養や値の張る護符やお守りを貴族相手に売ることだと、父が馬鹿にしたような言い方をしていた。
「ちょっとしたいたずらをする妖怪の類なら、長安様の気を込めた札で祓えるんだぜ」
「阿倍野家もそうだけど、神部家の力も代々弱まってきてるらしいからね、雑魚妖怪が人間にいたずらすることが増えたんだよ」
「だから良い商売になるって、鼻歌歌いながら護符作って売ってたよ。しかも、強い妖怪に困ってる人には、若から護符を安く買って、高値で転売までしてたんだから。あっ、じゃあ、今文句言われてるのって、若の護符とか?」
「うへえ、それは若にも責任あるぜ」
「若の護符が効かない妖怪がいたら、長安様が若に話してるさ。若がクラとミチを連れて退治すればいいんだよ。今日は祓いの仕事が入ってるって言ってたけど、なんか聞いてるかい?」
チョウが、美弥の横にぴったりとくっついているクラをちらっと見ると、首を横にふった。
「隣町には神部家があるのに、どうしてわざわざ西の都に住まわれている晴麿様から護符を買っているんですか?」
「ああ、それは……」
ボタンが答えようと口を開くと、さっきよりも大きい怒声がその言葉を遮った。
「これだから寺はダメだな! 華族に支援されねえと存続できねえくせによ。他の寺みたいに潰れてしまえ!」
美弥は眉をしかめて風呂敷をぎゅっと抱きしめた。
「ひどい言い方だわ」
「ひどい、ひどい!」
「そういえば、仏教の排斥運動が広がってるらしいじゃねえか」
「何で神社ばっか優遇して寺を潰そうとするのかねえ。人間のやることは分からないよ」
美弥に賛同した付喪神たちが口々に言うと、背後から盛大な溜息が聞こえてきた。
「はあー。また面倒な奴が来てたのか」
美弥はぎょっとして振り返ると、白衣に黒い腰衣を着た小僧が立っていた。喪神たちは声を揃えて「トラ」と溜息の主の名を呼び、久し振りと親し気に声をかけた。
「よう。久しぶりだにゃ」
トラの坊主頭から猫耳が飛び出し、白いひげが両頬から生えてきて、お尻の方から虎柄の尻尾が伸びてゆらゆら左右に揺れた。
「ね、猫?」
人間の顔に猫の要素が加わったトラに驚く美弥に、チョウがトラの頭を撫でながら笑みを浮かべた。
「トラはね、普段は人間の小僧に化けてる猫又なんだよ。気を抜くと猫が出てきちゃうのさ」
トラははっとしてぎゅっと体を縮こまらせ、耳とひげと尻尾を引っ込めた。
「久しぶりにおみゃあたちに会ったから気が緩んだんだい。この人間の女はだれにゃんだよ」
「美弥と申します」
美弥が頭を下げると、ボタン、チョウ、コハクが胸を張って、自分達の主だと紹介し、晴磨のおかげで再会できたのだと、細かいところは端折ってざっくりと話した。トラは特に気にした様子もなく、主に会えて良かったなと頷くが、クラを横目で見て小首をかしげた。
「わざわざそれを言いに来たのか? 晴磨の式神も一緒に?」
「それが、長安様にお願いしたいことがありまして」
「いくら高名な僧侶だって言ってもな、大量の護符が一晩で幽霊に燃やされてたら、力がないのと同じだろうが! 金ばっかとりやがって、馬鹿にしてんのか!」
美弥の言葉は怒鳴り声にかき消されてしまった。美弥はビクッと肩をすくめ、トラは不機嫌極まりないと顔をしかめ、舌打ちをした。
「あいつ、この間も文句言いに来たのに、また来やがって。長安様のせいじゃにゃいっていってんのによ」
トラは襖の向こうを睨みながら、怒鳴り声を上げているのは隣町に住む佐吉という質屋の主で、夜な夜な女の幽霊が枕元に現われて、金縛りにあっていると数日前に相談に来たのだと話した。護符を渡し、その日の夜は来なかったので安心していたら、次の日には幽霊が出た。一晩しかもたない役立たずの護符に、高い金が出せるかと翌日に文句を言いに来たのだ。
佐吉の質屋は繁盛していて、顔が広い。僧侶とはいえ、金を稼がねば寺を存続させることが難しい。さほど大きくない寺だが、昔はトラ以外にも人間の修行僧が数名いた。世間の寺への迫害が年々ひどくなり、次々寺をやめていき、今ではトラのみとなった。
この状況の中、高僧の名を貶める噂が流れることは避けねばならない。背に腹は代えられぬと、安価で大量に護符を渡したが、どうやら一晩で燃やされてまた文句を言いにきたようだ。
「もしかしてその護符、若のか?」
ボタンがおそるおそる尋ねると、トラは頷き、ボタンは「若のせいか」と項垂れた。
「ちょっと待ちなよ。妖怪じゃなくて幽霊って言ってたじゃないか。若も長安様も幽霊は専門外じゃないのかい?」
「人間からすれば妖怪も幽霊も同じみたいにゃ。幽霊は人の魂が具現化されたものだから、妖怪の持つ妖気を浄化する護符が効かないのは当たり前にゃ。長安様のせいでも晴磨のせいでもにゃい。だからって何もできないなんて言ったら、どんな噂を流されるやら」
ぶるっと身震いをするトラに、何故神部家ではなく晴磨の護符を使っているのか、美弥は先ほど聞きかけた質問を投げかけた。トラは腕組をして首を傾げると、呆れ顔を向けてきた。
「おみゃあは、神部家の令嬢なのに分からにゃいのか?」
小馬鹿にしたトラの態度にクラがむっと頬を膨らませ、丸い朱色の瞳を細めて睨みつけた。トラはびくっと肩を震わせてボタンの背後に隠れる。ところが、ボタンはトラの味方をするつもりはなく、チョウとコハクと共にトラを取り囲んで目を吊り上げて見下ろした。
無言の圧力に耐えきれず、耳と髭と尻尾を生やし、そそくさと3人の輪の中から出てきて縮こまってしまった。かわいそうになった美弥がトラの頭を優しく撫でると、ごろごろと喉を鳴らして美弥にぴたっとくっついてきた。しかし、クラと付喪神たちが嫉妬に燃える眼差しで睨みつけ、トラは視線から逃れるように美弥の背後に隠れてしまった。トラを睨まないでほしいと美弥が言うと、クラと付喪神たちは腑に落ちないながらも睨みつけるのはやめ、不服そうに顔を歪めた。
美弥が後ろにいるトラを振り返って話の続きを促すと、耳と髭と尻尾をしまい込んで、猫とは思えないほどピンと背筋を伸ばして話し始めた。
神部家の当主は、長安よりも霊力があるようにみせているが、実際の霊力はだいぶ劣っている。それでも国の東側を守ってきた神部の名は高い価値がある。家の名を傘にきて、貴族や大店の店主など金払いの良い客を相手に高値で祓いの依頼を受けている。
神部家は、傘下の寺や神社と、護符や祓いの道具などのやり取りをしていたが、排斥の風潮にある寺と繋がりを持つのは世間体が悪いとして、協力関係にあった寺とは全て縁を切り、神社とだけ手を組むことにしたのだ。それが今から10年前のこと。
長安は古くからの知り合いの阿倍野家の当主に相談し、寺を存続させるため阿倍野家から援助を受けることにした。その代わり、晴磨の修行の面倒をみてくれと頼まれ、晴磨はしばらくこの寺でトラと一緒に修業をしていたのだ。
そして晴磨がある程度力をつけてきた今、長安は修業をつけた恩を返してもらうと言って、晴磨から安価で護符を買い、それを高値で売っている。楽して稼げると悪い顔をして笑っていたとトラが顔をしかめた。
「商魂逞しい坊さんだぜ」
ボタンが呆れ顔で言うと、チョウ、コハク、クラは頷き、美弥は目を丸くした。
「それでもさ、高僧って名が通るほどは力があるから、あたいらは長安様に直してもらえたのさ。けど、なかなか妖力が戻らなくて、今みたいに人型になるまでに時間がかかってねえ」
腕組をして遠い目をするチョウに、付喪神たちのことは晴磨に預けて後は任せようと長安が言い出したんだとトラが打ち明けた。阿倍野家まで付喪神たちの本体を運ぶよう長安に指示され、晴磨の霊力を少しずつ与えて妖力を回復させてくれと頼みに行ったのだ。イヤそうな顔をされたと苦笑しながらも、人型になれるまで妖力が戻ったことを喜んでくれた。
美弥は付喪神たちのために、長安とトラと晴磨が尽力してくれたことを思うと胸が熱くなった。
「そういえばトラ、修業の成果はでてるのか?」
ボタンに聞かれたトラはそっぽを向いてぼそっと呟いた。
「ぼちぼちにゃ」
「トラくんはね、他の妖怪から食べられそうになったところを長安様に助けられて、強くなって長安様を守るために修行してるんだよ」
コハクが美弥に話すと、トラは毛を逆立ててコハクを睨んだ。
「にゃっ! 余計なこと言うにゃ!」
「まだ守ってもらってるんだろうけどな」
ニヤニヤ笑みを浮かべるボタンに言われたトラは瞳孔を見開き、牙と爪をむき出してフシャーっと威嚇した。
「にゃにぃ! おらが長安様を守ってんだい!」
「じゃあ、あれを何とかしてあげなよ」
チョウが襖をちょっと開けて、佐吉を指差した。髷を結った着物姿の佐吉は、立ち上がって声を張り上げ、怒りを露にしている。
「い、行ってやろうじゃにゃいか」
トラは拳を握りしめて襖に手をかけるが、足が震えて一歩踏み出せない。
美弥が襖の隙間から中を覗くと、苛立ちに任せて大声で怒鳴り散らしている隈がひどくやつれた顔の佐吉と、毅然とした態度で向かいに正座している年配の僧侶、長安の姿が見えた。美弥は長安の顔にどこか懐かしさを覚えて首を捻った。
見覚えのあるお方だわ。どなただったかしら……。
「ああ、拉致が明かねえ。とにかく金返せ!」
「いや、それは致しかねる」
「ああん?!」
佐吉が腕を振り上げ、長安に殴りかかろうとする。美弥は咄嗟に襖を開けて部屋の中に飛び込み、両手を広げて2人の間に割って入った。突然の美弥の登場にたじろいだ佐吉は眉をしかめた。
「何だ、おまえは?」
「あ、えっと、通りすがりの者です。護符の効力がなくなるのには何か訳があるのかもしれません。それが分からないのに、長安様を責めるのは良くないです。それに、手を上げようとするなんて、もっと良くないです!」
美弥に言われた佐吉は顔をしかめ、声を張り上げた。
「おまえには関係ねえだろうが! 女がでてくんじゃねえ!」
佐吉が手を振り上げると、部屋の中に飛び込んできたボタン、チョウ、コハクが美弥をさっと長安の後ろにどかした。佐吉の腕は空振り、誤魔化すようにふんと鼻を鳴らして美弥を睨む。
目を細めて佐吉を睨みつけたクラが神部家で見せたおどろおどろしい妖気を放つと、部屋の中が暗くなり、初冬のような寒気に包まれた。佐吉はぶるっと身震いをすると、気味悪そうな表情で長安と美弥を見ながら廊下に出た。
「今日のとこは勘弁してやるよ。金返すまで通い続けるからな」
佐吉は襖を力いっぱい閉め、ドスドスと足音を踏みならして去って行った。
クラが妖気を抑えてくれたおかげで、寒気は吹き飛び、部屋の中が元の明るさに戻った。トラがささっと部屋の中に入り、長安の前に正座をした。
「やれやれ。やっと帰りなすった。で、晴坊の式神が何用だ? それに、そのお節介そうな娘っこに、3匹の妖怪は誰なんだい?」
付喪神たちはトラの前にずいっと歩み出て、それぞれ本体を長安に見せて口々に答えた。
「これに見覚えあるだろ」
「世話になった付喪神だよ」
「それで、こちらはあたしたちのお嬢」
つるつるの頭を撫でて長安がじっと美弥を見つめ、しばらく互いに見つめ合う。長安と美弥は同時に何かを思い出したようにはっと目を見開いた。
「あっ! お坊様!」
「おお、美弥か。大きくなったのう」
目を細めて美弥を見る長安と、驚いた表情の美弥を交互に見て、付喪神たちとトラは首を傾げた。




