第16話 美弥のための着物
食事の後、チョウとコハクが、小箱を直すため長安の寺に行きたい旨を晴磨に伝えると、クラを同行させて影の道から行き、用事が終ればすぐに帰ってくることという条件を提示された。せっかく懐かしい東の都に行くのだからちょっとぐらい寄り道をしてもいいではないかという付喪神たちに、晴磨は冷たい視線を投げかけた。この間のように悪鬼と出会ったりする恐れもあるのに、美弥を危険にさらしたいのかと晴磨に叱責された付喪神たちは、素直に条件をのむことにした。
チョウとコハクとクラと一緒に部屋に戻った美弥は、和室の長机の上に置いてある風呂敷きを広げて、ボロボロに壊れている小箱に目を落とした。道具も技術もないため修理もできず、ただ大事に取っておくことしかできなかった小箱が直るかもしれない。期待に胸を膨らませる美弥と同じく、きっと長安なら直してくれる、サクにも会えると、チョウとコハクは心を躍らせる。
美弥は小箱を風呂敷で丁寧に包み、しっかりと結んで抱きかかえ、部屋を出ようとする。ところが、チョウとコハクに慌てて引き止められ、2人に両腕をがっしり掴まれてしまった。
「へ?」
クラが美弥の浴衣の裾をちょんと引っ張り、大きな朱色の瞳で美弥を見上げてきた。
「きのう、きてた」
「昨日出して頂いた浴衣、少ししか着ていないので、お洗濯しなくてもいいかなと思いまして」
「お嬢、そういう問題じゃないよ。その浴衣は屋敷内だけで着る物さ。天下の阿倍野家の婚約者が、浴衣で出歩いてたら笑われちまうよ」
肩をすくめたチョウに言われ、美弥は目を瞬かせた。
「そういうものなのですか?」
「そういうものなんだよ、お嬢。ほら、若がお嬢のためにこーんなにたくさん揃えてくれたんだから、きれいな着物とか、ドレスっていうお洋服とか、色々着てみようよ!」
コハクが桐箪笥と洋箪笥の引き出しを全て開けて、色とりどりの華やかで上品な着物と洋服を見せてきた。質素で使い古された女中用の服しか着てこなかった美弥の目にはどれも輝いて見え、自分が着ている姿を全く想像できない。
戸惑っている美弥を差し置いて、チョウとコハクは次々と着物と洋服を取り出して美弥にあてては、これもいいけどあれもいいと2人で盛り上がっている。クラが桐箪笥から、一面に藤の花の刺しゅうが施されている薄紫色の着物を持ってきて2人に見せると、目を輝かせてうんうん頷いた。
「いいじゃないか、これ」
「色も柄もとってもステキ! これにしようよ、お嬢」
「まあ、藤の花の刺しゅうがこんなにたくさん。丁寧できれい。色も上品でいいですね」
「お嬢も気に入ったことだし、ちゃっちゃと着付けするよ」
「じゃあ、私はお化粧と髪を結ってあげるね」
「えっ、お化粧と髪結いも?」
「当然!」
コハクがどこからか、櫛と化粧箱を取り出して笑顔で頷く。
「そんなことまでしなくても……。クラさん~」
美弥が助けを求めたが、クラに動いてはダメだと言われ、両手を握られてしまう。
「お嬢、じっとしてるんだよ」
「すぐ終わるからね。クラ、お嬢を捕まえててね」
着物を持ったチョウと、櫛と化粧箱を持ったコハクが不敵な笑みを浮かべて美弥を囲んできた。身動きが取れない美弥は為す術なく、されるがまま大人しくしているしかなかった。
「ふわあぁぁ」
縁側に腰掛けているボタンが大きなあくびをして、綿毛のような雲が浮かんでいる青空を見上げた。
「ボタン、退屈なん?」
その隣に座っているミチが苦笑すると、ボタンは空を見上げたまま眉をしかめた。
「けっ。退屈に決まってんだろ。おいらだけ男の成りしてるからってのけ者扱い。おいらだってお嬢の傍にずっといたいのに。あいつらだけずるいぜ」
ボタンとミチの背後に、ポン兄弟を肩に乗せた晴磨が現われ、口をへの字に曲げているボタンに声をかけた。
「そうへそを曲げるな。どうせおまえが傍にいても仕度の邪魔になるだけだ」
ボタンが晴磨を振り返って唇を尖らせた。
「ひでえ言い草だぜ」
「しゃあないよ。女子のことは女子らに任せるんが一番や。おっ、噂をすれば何とやらやね」
ミチが微笑んで庭を見ると、チョウとコハクを先頭にクラに手を引かれた美弥が、歩きにくそうに桃色の鼻緒に白い草履をちょこちょこ動かして、俯き気味に縁側の前まで歩いて来た。
薄紫を基調にした藤の花が胸元から足元に広がり、両方の袖にも花びらが舞っている着物と、白地に金糸で大きな花柄が刺しゅうされている帯との調和で華やかで上品な装いに仕上がっている。桃華が着ていた物より上質で、値段を考えると美弥は絶対に粗相してはいけないという緊張感で顔が強張っている。
「お嬢、顔上げて男共の間抜け面を見てごらんよ」
チョウが可笑しそうにニヤニヤ笑っている。初めておしろいを塗って紅を塗り、丸髷に結い上げた自分の顔を鏡で見たが、普段とはあまりにも別人で違和感しかなく、美弥は顔を上げることができない。
「ふふふ。お嬢が美人さんすぎて見惚れてるんだよ。顔も見せてあげてよ」
コハクがくすくす笑いながら美弥の袖を引っ張った。美弥がおそるおそる顔を上げると、口をあんぐり開けているボタン、目を見開いて見つめてくるミチ、そして息を呑んで瞬きもせず見ている晴磨が、縁側に横並びになっていた。
「おお! 見違えたのじゃ」
「美しいのだ~」
ポンタとポンキチがいつの間にか縁側から庭に出てきて、美弥の前でぴょんぴょん跳ねながら目を輝かせた。
「あ、ありがとうございます。変じゃないですか?」
「お嬢、何言ってんだよ。何が変なもんか。こんなに美人になっちまって。美鈴様に似ててびっくりしたぜ」
ボタンも庭に出て美弥の前に来ると、目頭を押さえた。
「そんなに似ていますか?」
チョウとコハクは、確かにと大きく頷いた。ボタンの後にミチも庭に出てきて、満面の笑みを浮かべた。
「いやあ、思っとった以上や。そないきれいになったら主も惚れてまうわ」
ミチが縁側を振り向くと、美弥を凝視している晴磨がおぼつかない足取りで庭に下りてきているところだった。
「藤の、着物……」
呟きながら、一歩一歩美弥に近づいていく晴磨の脳裏に、血にまみれた藤の花があしらわれた着物が浮かび上がってきた。
血だまりの上に倒れている母と、その上に覆いかぶさる晴磨の手を握った父。
父の手から力が抜け、両親の体が徐々に冷たくなっていく。
「うわあぁぁぁぁ!」
泣き叫ぶ自分の声が耳元で響く。
美弥の目の前に来ていた晴磨はふらつき、倒れ込みそうになるところを美弥が咄嗟に支えた。
「晴磨様! 大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
我に返った晴磨は目の前の着飾った美弥に焦点を当て、安堵したようにふっと微笑んだ。美弥は初めて見る晴磨の笑みに目が離せず、心臓がキュッと掴まれたような感覚がした。
他の者たちは全員ぎょっとして晴磨を見つめ、驚いた表情で顔を見合わせて輪になり、こそこそと話しだした。
「あ、あの、こ、こんな素敵なお着物、ありがとうございます。上等すぎて私には似合わないかもしれませんが……」
「よく似合っている。美弥のための着物だ。……母のとは、違う」
晴磨は首を横に振り、最後の言葉はひとり言のように呟いた。美弥は顔が熱くなり、晴磨を支えていた手を頬に当てて目を逸らした。
「おいおい、見たか、さっきの」
「若、笑ってた?!」
「初めて笑ってるところ見たよ!」
「ぼくも初めてかもしれん。美弥ちゃん、やっぱりすごいわ」
「みや、すごい」
「主、美弥のこと気に入ったみたいじゃ」
「これだけ美人なのだから、気にいらない方がおかしいのだ」
「んんっ! ゴホン!」
晴磨はわざとらしい咳払いをしてポンタとポンキチを、付喪神たちの輪の中から引きずり出した。
「そろそろ行くぞ。変化しろ」
「承知! ようやく我らの見せ場じゃな。美弥、よく見ておくのじゃ」
「変化なのだ!」
皆から距離を取って庭の奥に立ったポンタとポンキチが、それぞれ、緑色と紺色の唐草模様の風呂敷を頭巾のように頭に被り、人差し指だけを立てて指を組み合わせた。
すると、ポンと音がしたと同時にもくもくと白い煙が2匹を包み込んだ。煙が晴れると、2匹がいた所に、美弥が乗ってきた馬車と馬が現われた。
「すごいです! あの時の馬車は本当にポンタさんとポンキチさんだったんですね」
目を輝かせて拍手を送る美弥に、馬に化けたポンキチが得意げな顔でブルルンと鼻を鳴らした。
「あとは御者だな」
晴磨が懐から掌に収まる大きさの人型の薄い紙を取り出し、目を閉じた。
「式よ、我に仕えたまえ。急急如律令」
ふっと息を吹きかけると、紙はあっという間に、黒い外套を着て背高帽子を被っている御者の姿に変わった。美弥は目を見開いて、感嘆の声をあげた。
「うわあ。晴磨様、凄いです!」
「主、良かったなあ、美弥ちゃんにほめられて」
ミチが晴磨に耳打ちをすると、晴磨は眉をしかめて聞こえないふりをした。
「晴麿様、急なお願いを聞いて頂き、ありがとうございます」
笑顔を浮かべる美弥から目を逸らし、晴麿は美弥が抱えている風呂敷に目を向けた。
「長安先生なら直せるかもしれないが、ボタン達のように姿を取り戻せるかは分からない。あまり期待しないでおいたほうがいい」
「はるま、いぢわる」
クラがじとっと晴麿を見上げる。ミチは頷き、晴麿の肩にポンと手を置いた。
「そんな言い方せんでもええやんか」
「期待しすぎて叶わなかったら、辛い思いをするのは美弥だ。できなかった時の事も考えておいた方が、心痛が少なくてすむ」
「晴麿様、お気遣いありがとうございます」
美弥が微笑むと、晴麿は馬車の扉を開けて手のひらを差し出した。
「乗って」
「は、はい。失礼、します」
風呂敷を片手で持ち、晴麿の手のひらの上にちょこんと指先を乗せて馬車に乗り込んだ。
「おまえ達も乗れ」
晴麿に言われて、クラと付喪神達が次々と乗り込んでいく。
「みやの、となりがいい」
「あたしもお嬢の隣がいい! 早いもの勝ち!」
美弥の両隣にクラとコハクが詰めあって座り、チョウとボタンが羨ましそうにしながらも諦めの表情で向かいの席に座った。
「長安先生は少し変わっている御坊だが、金を渡せば直してくれるはずだ。ボタン、俺が渡した巾着袋は持ってるな」
「おう。ちゃんとここにあるぜ」
ボタンは懐をポンと叩いて胸を張った。
「そんな! 私のお願い事なのに晴麿様にお金を払ってもらうなんて申し訳ないです。受け取れません!」
美弥が首をブンブン横に振る。
「仮とはいえ美弥は俺の婚約者だ。金は好きに使って構わない。おまえ達、美弥を頼んだぞ」
「みんなずるいで。ぼくも一緒に行きたいわ」
「おまえは俺と、祓いの仕事に行くんだ」
晴麿はバタンと扉を閉め、美弥は頭を下げた。付喪神達は寂しそうな表情をしているミチにあっかんべーと舌を出したり、勝ち誇った笑みを浮かべたりした。ミチは悔しそうに地団太を踏むが、晴麿は見向きもしない。
晴麿のお金を使うことが心苦しい美弥は、お金を払う以外の方法で直してもらえるよう長安に頼み込まねばと、内心決意を固め、風呂敷を握る手にぐっと力を込めた。
「ヒヒーン」
馬に化けたポンキチが嘶き、ポンタの化けた馬車が動き出す。
縁側から裏門に向かって走り出し、そのまま外に出るかと思いきや、門を出る直前に窓の外が暗くなり、妖怪の使う影の道に入ったことが分かった。
「本当に真っ暗なんですね。ポンキチさんは道が見えているんですか?」
「あたい達は暗闇でも昼間と同じぐらい見えてるよ。でも、影の道は人間の道とは違って景色は何もない一本道だから、見えてても見えてなくてもあんまり変わらないんだけどね」
「それじゃあ、どうやって目的地に行くんですか?」
「うーんとね、どこどこに行きたいって思い浮かべながら進めば、辿り着けるんだよ」
「それは便利ですね」
「長安様の寺の名前とか、町の名前とか、目的地がちゃんと分かってないと駄目だけどな。若の作ってくれた御者が道案内してくれてるから、ポンキチは分かってないと思うぜ」
「あら、そうなんですね。皆さんに協力してもらって申し訳ないです。私もサクさんが付喪神に戻れるようできることは何でもします!」
美弥が意気込むと、ボタン、コハク、チョウは風呂敷を見つめて頷いた。
「おいらも何でもやるぜ」
「あたいもだよ」
「あたしも。サク兄ちゃんに会いたいもん」
「皆さん、ありがとうございます」
美弥は頭を下げ、膝の上の風呂敷をそっと撫でた。




