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1話

「美弥、あんた、また何したんだい!」




台所で皿を出したり、料理を盛り付けたり、慌ただしく動き回っている女中たちが手を止め、血相をかえて土間に走ってきた女中頭のおまつに目を向けた。おまつは、竈の前で顔を煤だらけにして火吹竹を吹いている美弥の方へずんずん歩いて行き、背後に立った。




「美弥!」




名前を呼ばれて美弥はビクッと肩を震わせ、振り向く。目を吊り上げ鬼の形相をしたおまつと目が合い、思わず火吹竹を取り落とした。




「お、おまつさん。どうしたんですか?」




「どうしたもこうしたもないよ。旦那様があんたを呼んでるんだよ。こんな大事な時に呼ばれるなんて、一体何やらかしたんだい!」




「何もしてません。……多分」




自信なさそうに目を泳がす美弥。おまつは盛大に溜め息をついて、白い前かけで雑に美弥の顔をこすった。




「お、おまつさん、痛い、です」




「こんな煤まみれになって、しょうがない子だね。汚れた前かけ脱いで、さっさと応接間へ行きな」




美弥は言われた通りに染みだらけの黄ばんだ前かけを脱いで畳み、おまつに手渡す。




「これ、お願いします」




「分かったから早くしな」




おまつにしっしっと手で払われる。




「はい、いってきます」


(私何もしてないよね? むしろ何もしてないから怒られる? お客様の前で役立たずだって叱られる? まさかそんなこと……あるわけないわよね?)




顔を強張らせた美弥は草履を脱いで土間を上り、冷や汗を流しながら応接間へ急いだ。




 普段は来ることのない応接間の前につくと、息を整えてから、三つ指をついて声をかけた。




「ただいま参りました。お呼びでしょうか」




「入れ」




低く響く声が中から聞こえる。両手で静かに襖を開け、頭を下げた。




「失礼します」




「晴磨殿、これが桃華の姉の美弥です」




「美弥嬢、顔を上げてくれ」




どこかで聞き覚えのあるような心地よい声に言われ、美弥が顔を上げると、大礼服に身を包んだざんぎり頭の美しい顔立ちの青年がいた。美弥は瞬きをして相手の顔を見つめ、口元に手を当てた。




「昨日の! えっ、阿倍野家の書生さんじゃなくて、晴磨様?」




表情を崩さない青年と、その向かいに座る苦々しい顔をしている父、巷では美しいと評判の顔をしかめている桃華、唖然としている桃華の母の佳江を交互に見て、美弥は困惑の表情を浮かべた。




「神部侯爵、俺は美弥嬢を婚約者として望む」




「晴磨殿、何を!」




「これは、姉とは名ばかりで、巫女の力は一切ありませんわ。何故そのようなことを仰いますの!」




「そうですわ。晴磨様に相応しいのは私です!」




父、佳江、桃華が口々に晴磨に抗議をする。晴磨はそれを聞き流し、美弥の前に手のひらを差し出した。




「あれを貸してくれ」




「あれ、ですか?」




首を傾げる美弥の胸元に、晴磨は人差し指を突きつけた。




「勾玉だ」




「でも、これは……」




美弥は、首から下げている勾玉を着物の上から抑え、眉を下げる。


 美弥の脳裏に昨日見た懐かしい夢と、長かった一日が蘇ってきた。






まるで燃えているような夕焼け空に浮かぶ真っ赤な沈みかけの太陽が、最後の力を振り絞って日差しを地上に降り注いでいる。縁側から差し込む橙色をした光の筋が、布団に横たわる母の顔に差し込む。そのおかげで普段の青白い頬が、頬紅をさしたように見える。一瞬、病が治って元気になったような感覚に陥るが、息苦しそうに咳き込み、錯覚だったことに気づく。




「お母様、大丈夫?」




「ええ、大丈夫よ。ありがとう、美弥」




弱弱しい笑みを浮かべた母はゆっくり体を起こすと、眉を寄せて深刻そうな表情で見つめてきた。そして着物の袖に手を入れて、赤い紐に通された透き通った翡翠色の勾玉を取り出し、首に下げてくれた。




「これ、私にくれるの?」




「そうよ。毎日、どんな時でも身に着けておいて。絶対にはずしてはだめよ」




「どうして?」




「これはね、あなたを守ってくれる大事なお守りだから。大切にしてね」




「お母様、病で大変なのに私のために作ってくれたのね。ありがとう。大事にするわ」




笑顔を向けると、母は何故か涙を流しながら微笑み、細い腕で抱きしめてくれた。








「お母様!」




美弥は手を伸ばすがその先には何もない。目を開けると、天井に伸ばされた自分の手が見えた。




「夢、だったのね」




ドンドン、ドンドン!




「美弥! まだ寝てるんじゃないだろうね!」




突然、襖が破れそうな勢いで叩かれ、美弥はガバッと飛び起きた。




「おまつさん! もしかして寝坊しちゃった?!」




あたふたと布団から這い出ていると、襖がガラッと開き、恰幅良いおまつが腕組をして仁王立ちで睨みつけてきた。




「やっぱり寝てたね! 明日の準備があって忙しいから、いつもより早く起きなって言ったじゃないか。さっさと仕度しな!」




「は、はいっ!」




美弥が背筋を伸ばして返事をすると、おまつはピシッと襖を閉めて足早に去って行った。




「そうだ、明日は桃華さんの婚約者がいらっしゃるんだったわ」




美弥は呟きながら寝巻きを脱ぎ、丁寧に畳んだ。




「ありがとう。また今夜も宜しくね」




寝巻きにお礼を言い、部屋の隅にある行李の中に入れ、そこから丈の短い縦縞の小袖と藍色の袴を取り出し、声をかける。




「おはよう。今日も宜しくね」




着替えを終え、幼少期から使っていて何度も縫い直した煎餅布団を畳んで行李の傍に置き、皺を伸ばしながら話しかける。




「毎晩ありがとう」




腰までの髪を高い位置で一つ結びにして三つ編みにしてから、窓も何もない4畳の狭い部屋に目を向ける。




「いってきます」




襖を静かに閉め、女中頭のおまつの活気溢れる声が響く台所へ向かった。






「美弥、遅いじゃないかい。竈で火の番だよ、早く!」




おまつに急かされ、米を炊く羽釜が乗っている竈の前で中腰になり、薪と火吹竹を手に持って、チロチロ燃えている小さな炎と羽釜を交互に見る。薪をくべて、時に火吹竹で息を送り込んで強火にしていく。ぐつぐつと煮えたぎる羽釜から、米の炊ける良い匂いが広がっていく。




「いい匂い。お米さん、おいしくなってね。竈さんも頑張って。私も頑張るわね」




炎がぼうっと勢いよく燃え始め、羽釜の蓋がガタガタと落ちそうになる。




「あんた、何やってんだい。早く弱火にしな!」




美弥の後ろを通りかかったおまつに怒鳴られた美弥は、慌てて灰をかけて火を弱める。




「まったく。何年やってるんだい」




「す、すいません」




「あとはあたしがやるから、井戸で洗濯してきな」




「はい!」




周囲でてきぱきと手を動かしている女中たちから、くすくす笑われたり、呆れ顔で見られたりしながらも、美弥は気にせず顔を上げて台所から出て行った。




 井戸の前に行くと洗濯物が山積みにされており、先に来ていた2人の女中から洗濯板とたらいを渡された。




「じゃあ、あとはよろしく」




「ちゃんと汚れ落とすのよ」




「あっ、はい」




美弥は洗濯物の山に笑顔を向けて小袖をまくった。




「きれいにしてあげるからね」






着物や布などを一枚、一枚丁寧に洗って干し終わった時には、朝日が完全に昇りきって太陽の暖かい日差しが降り注いでいた。




「ふう。やっと終わったわ。皆もお疲れ様」




物干しざおに干されている洗濯物が、美弥の言葉に答えるように風に吹かれてパタパタとはためいた。




 ぐうぅ~。




「朝ご飯まだだったわ。お腹空いた……」




美弥がお腹を押さえて台所に戻ろうとした時、背後から声をかけられた。




「ほら、あんたの分だよ」




振り返ると、朝食の乗ったお盆を手に持っているおまつが立っていた。




「おまつさん。持ってきてくれたんですか」




「いつまで経っても食べに来ないから、片付かなくて困ってたんだよ」




「ありがとうございます」




笑顔でお盆を受け取ると、おまつは風にそよぐ洗濯物を眺めて溜め息をついた。




「仕事は遅いし、のろまで手がかかるし、人から仕事を押し付けられても文句も言わないお人よしだけど、あんたのやることは丁寧で、物が喜んでるみたいに見えるのはどうしてかねえ」




「もしかして、褒めてくれてますか?」




目を輝かせる美弥に、おまつは眉を下げて苦笑した。




「ほんと、あんたって子は。人のことを悪く思ったりしないのかね。力さえあれば、こんなことしないで、桃華お嬢様のようにきれいなおべべ着て、きちんと教育も受けられたのに。日本の東を妖怪や悪鬼から守る神部家の血を継ぐ正当なお嬢様なんだからさ」




「正当な血筋なのに、お父様や桃華さんのように妖怪も見えないし、霊力も全くないんです。役立たずの私を追い出さずに女中として働かせてくれて、個室ももらえて、こうやってご飯も食べられて、お父様には感謝しています」




おまつは眉を寄せて大げさに溜め息をついた。




「はあーーー。お人好しもここまでくると清々しいねえ。何であんたに霊力がないのかあたしにはさっぱり分からないけど、もし力があったら西を守る阿倍野家に嫁いでいたのはあんただったのに。ここだけの話、桃華お嬢様よりあんたの方がよっぽど美人なのにもったいないねえ」




「そうですか? お世辞でも嬉しいです」




へらっと笑う美弥に、おまつはふっと笑みをこぼした。




「それ食べたら町にお使いに行っといで。奥様とお嬢様から必要なものが書かれた紙をもらっているんだけど、文字を読める女中は少ないから。元お嬢様だったんだから読み書きは教わったんだろ?」




「7歳の時までしか文字を習えなかったので、簡単な読み書き程度しかできないですけど」




「それぐらいできれば十分だよ。じゃあ、頼んだからね」




「はい」




美弥は紙を受け取ると井戸の縁に座って手を合わせ、芋粥を食べ始める。家の中に戻るおまつは小さく呟いた。




「この先、あの子はどうなるんだろうね。不憫な子だよ」

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