残されたもの
高校2年生。夏。
7月20日、一学期修了式。
今日こそは桜夜に告白してみせる。そう意気込む帰り道に、全く予想もできないアクシデントが斗悟の決意を遮った。
「おめでとうございます会崎斗悟さん!あなたは世界を救う勇者に選ばれました!」
「いやいやいや突然何!? ここはどこ!? あなた誰ですか!?」
「私はイリーリス。あなたの住む世界とは別の世界、ロイラームを創り出した創世の女神です。魔王の脅威から私の世界を守ってもらうために、勇者の素質を持つあなたをロイラームに召喚したのです」
「したのです!? いやあの、困るんですけどいきなり召喚とか! オレ今から好きな人に告白するところだったんですけど!?」
「へぇそうですか。でも大丈夫ですよ、魔王を倒せばすぐに帰してあげますから。あなたなら早ければ3年くらいで倒せるかもしれません」
「嫌だ! ほんっとうに嫌だ! 青春丸々吹っ飛ぶじゃねーか!」
「大丈夫ですって、3年というのはロイラームの時間であって、あなたの世界の時は進みませんから」
「でもそれ体感では3年戦い続けなきゃいけないってことでしょ!?」
「まあ、はい」
「嫌に決まってんだろ!」
「えー。でも〜、魔王を倒してくれたらどんな願いでも叶えてあげますよ?」
「いらねえそんなもん! 願いがあるとすればすぐに帰して欲しいってことだけだ!」
「……そうですか。残念ですが、そこまで拒む方に勇者をお願いするわけにはいきませんね」
「や、やっとわかってくれた……!?」
「でも最後に少しだけ、この世界の現状を見てもらえませんか?」
「え? うわっ!」
その瞬間、斗悟は混沌の色彩に満ちた謎の異空間から放り出され、気づけば土肌剥き出しの地面に倒れ込んでいた。
体についた砂利を払いつつ立ち上がると、目の前に広がる衝撃の光景に言葉を失った。
現実世界の猛獣を一回りも二回りも巨大化し、牙や爪をより攻撃的に進化させた怪物の群れが、唸り声を響かせながら家々を破壊し人々を襲っている。
現代から1000年ほど文明を遡ったような、見るからに素朴で小さな集落には、当然ながら怪物に抗う術などなく、無力な人々は悲鳴を上げて逃げ回るばかりだった。
「な……んだよ。これ……」
『これがこの世界ロイラームの現状です。魔王が使役する魔物によって多くの人命が危機に晒されているのです』
姿は見えないが、女神の声が頭に響く。
「なんで助けてやらないんだ! あんた神様なんだろ!?」
『神であるが故に、私はこの世界に物理的な干渉ができないのです。ですから私に代わって魔王と戦う存在が必要でした。それこそが勇者――あなたなのです、会崎斗悟さん』
「……!」
『無茶なお願いであることはわかっています。しかしどうか力を貸していただけませんか。あなただけがこの世界の希望なのです』
「……」
『それでも……どうしてもできないと言うのであれば、無理強いはできません。この世界での記憶を全て消して、このままあなたを元の世界に帰しましょう』
何だこれは。こんなのずるいだろ。
何故自分が勇者とやらに選ばれたのか知らないが、斗悟がこの世界に対して責任を負うべき理由など全くない。だが、そうだとしても、この惨状を見せつけられ、自分にしか助けられないと言われたら――。
困難な選択を迫られた時、いつも斗悟の背を押すのは桜夜への想いだった。
斗悟は桜夜のことが好きだ。彼女を想う気持ちは誰よりも強いという自信がある。そしておそらく、桜夜も自分を好いてくれているのではないかという自惚れもある。
きっと桜夜は待っている。斗悟が想いを伝えてくるときを。
――それがわかっていながら、随分と長い間斗悟が足踏みをしていた理由は、「自信がないから」だ。
告白が失敗するのではないかという不安ではない。
問題は、「果たして自分は桜夜に相応しい男なのか」という点にあった。
可愛くて、優しくて、いつも笑顔の中心にある桜夜。知れば知るほど彼女への想いや尊敬の念は大きくなるばかり。
対して自分には、何がある?
たまたま桜夜の幼馴染で、他者より彼女と触れ合う機会が多かったという幸運以外に、桜夜に選んでもらえる理由があるのか?
きっとこれから先に現れるであろう、彼女に心惹かれる大勢の人間を押しのけて、彼女の一番近くに居座り続ける資格があるのか?
――「ある」、と言い切るだけの自信が欲しい。そう断言できる男になるための機会を、欲していた。
「うわああああああっ!」
恐怖に満ちた絶叫が、斗悟の意識を引き戻した。
視界の数メートル先。転倒したらしい男性目掛けて怪物が爪を振り上げている。
「う――おおおおおおおッ!」
気付けば斗悟は駆け出していた。不思議なことに、自分にはそれができると確信していた。
構えた手の平の中に、剣が形成されていく。顕現した勇者の剣が、一閃の下に怪物を両断した。
「……やるよ。オレが魔王を倒してやる」
混乱する男性を助け起こし、斗悟は姿の見えない女神に向けて宣言した。
『! 本当に、勇者になってくれるのですか?』
「ああ。ちょうどハクが欲しかったとこだ。世界の一つも救えない男じゃあ……胸張ってあいつの隣に立てないからな!」
『うわ……愛が重い……』
「うるさいなぁ! あんたにそんなこと言われる筋合いないんですけど!?」
こうして会崎斗悟は、ロイラームのために戦う勇者となった。
その始まりが、世界を救う大義ではなく、「好きな女の子に告白するための勇気と自信が欲しいから」という、あまりにも純粋で不純な動機であったことは、女神以外には知る由もない。
この時の格好つけたセリフを、斗悟は後に黒歴史として恥じることになるのだが――魔王打倒の旅を通じてロイラームに暮らす人々の様々な想いに触れたことは、斗悟に大きな経験と自信を与えてくれた。
現実世界に帰ったら、これでようやく桜夜に想いを伝えられると――そう、思っていたのに。
斗悟は、桜夜の元に帰ることができなかった。彼女に想いを伝える機会は永遠に失われてしまった。
彼女を想って始まった旅は、理不尽で唐突な別れという最悪な形で終わりを迎えた。
今の斗悟に、残されたものは。
世界を救う「勇者」の役割と、その力だけだ。