勇者の帰還
歯を食いしばって立ち上がった斗悟は、蓮の展開するバリアに触れてみた。
――やはり。
先ほど蓮が斗悟に「外へ出るな」と警告したことから推測はしていたが、このバリアは外側からの衝撃には強固だが、内側からはすり抜けることができるようだ。
「……!? ど、どうしたんだお前……。下がってろよ」
斗悟の行動に気付いた蓮がそれをたしなめる。彼女ももう疲労困憊だ。だがそんな状態でも、斗悟の身を案じてくれている。
「守ってくれてありがとう。ここから先は、オレがなんとかする。だから、もう少しだけ耐えてくれ」
「はぁ? 何言ってんだお前――ちょっ、待てよオイ!」
蓮の制止を振り切り、斗悟はバリアを飛び出した。
先ほど蓮が掛けてくれた身体強化が効いている。生来の運動能力を遥かに上回る速さで斗悟は疾走し、そして――
「うおおおおおおおおおッ!!」
咆哮と共に、愛理の背後に迫っていたイーターに渾身の跳び蹴りを喰らわせた。
「!? な、何をしているんだ君は!」
勢い余って転がった斗悟を、愛理が慌てた様子で助け起こしてくれる。
「かっこ悪いところを……見せたな……!」
「は、はぁ?」
「ここからはオレも一緒に戦わせてくれ」
「いや、気持ちはありがたいが、無茶だ。蓮の身体強化は自衛用にすぎない。イーターには対抗できないぞ」
「そうじゃない。魔力があればオレは戦える」
説明の時間が惜しい。首を傾げる愛理に、斗悟は捲し立てた。
「同じなんだ、オレが異世界を戦ってきた力と、君たちの使うエネルギーが。オレはなぜかそのエネルギー――魔力を失っている。今の俺にできるのは、魔力を消費しない技能を使うことだけ……魔力を感じ取るのがせいぜいだ」
「言っている意味が……いや……」
愛理が何かに気づいたように息を呑む。
「……だからか? さっき君が、まるでそうなることがわかっていたように、地中からのイーターの襲撃を回避できたのは」
話が早くて助かる。斗悟は頷いた。
「魔力探知の技能は魔力を消費せずに使うことができる。そして同じように、オレにはもう一つだけ、魔力がなくても使える技能があるんだ。それが〈祈りを満たす勇気の器〉――他者の魔力と技能を借りることができる技能だ。この能力は、オレを信頼してくれた人間だけに発動できる。つまり」
斗悟は愛理の目をまっすぐ見つめて、右手を差し出した。
「君がオレの言葉を信じてくれれば、オレは君たちの力を借りて同等の強さで戦うことができる」
「……」
「君に信じてもらえるだけの根拠を、オレは提示できない。それでも頼む。オレを信じて、一緒に戦わせてくれ」
「わかった。信じる」
愛理は迷いなく斗悟の手を取った。
「いいのか?」
「どのみちこのままではジリ貧だ。それに何より、私が君を信じたい。危険を冒してまでここに来てくれた、君の心を」
「……ありがとう」
愛理と繋いだ右手に意識を集中させる。愛理との繋がりを通して、温かい力が脈動と共に流れ込んで来た。
目を閉じた刹那、鮮烈な記憶が閃く。
「友達を信じるのは当たり前だろ? な、トウゴ!」
真っ先に斗悟を友と呼んでくれた獣人戦士の人懐こい笑顔が。
「信じます。誰よりも真摯に僕の言葉を聴いてくれたあなたを」
知性と探究心の炎を静かに燃やす魔法使いの青い瞳が。
「あんたが信じるって言うから、辞め損なったじゃない。だから責任取りなさいよ。あたしがきちんと聖女を辞められるまで……あんたも勇者であり続けなさい!」
強がりで泣き虫な聖女の、涙を拭って見せた決意が。
瞼の裏に焼き付いている。
ああ。そうだ。
オレには確かに仲間がいた。
この絆は決して――妄想なんかじゃない!
斗悟の体が眩い光と衝撃波を発し、迫るイーターの群れを放射状に吹き飛ばした。
光と砂煙が切れ、その中心に立つ斗悟と愛理の姿があらわになる。
斗悟は、愛理の装備を写したように、桜色の翼と二本の刀を携えていた。
「その……姿は……」
「君が信じてくれたおかげだ。さあ、やるぞ!」
愛理の戸惑いは一瞬だった。斗悟の言葉に頷くと、息を合わせてイーターの大群に斬り込んでいく。
二人の剣戟が生み出す桜色の閃光は、みるみるうちにイーターの数を減らしていった。
「なんだ、この感覚……。まるで――」
宝石のような愛理の瞳がこちらを覗き込む。
お互いの目を見つめ合った瞬間、止まった時の中で斗悟は愛理の声を聞いた。
「君と一つの身体になったみたい……」
〈祈りを満たす勇気の器〉は、技能を借りることはできても、その習熟度まで模倣することはできない。だから、借りた技能を真に使いこなそうと思ったら、斗悟自身がそのための訓練を積まなければならない。
――通常であれば、だ。
今回は違った。
愛理の力が、まるで初めから斗悟のものだったかのように馴染んでいる。愛理が「一つの身体」と表現したように、本来の能力以上の繋がりを、斗悟もまた感じていた。
自分の延長線上に愛理がいるような、不思議な感覚。だが決して嫌ではない。むしろ――。
「まずい!」
愛理の叫びで我に帰る。斗悟と愛理の二人相手では手に負えないと判断したのか、イーターの群れは突然標的を変え、最も弱っている蓮のもとに殺到していた。
「くっ……」
既に破れかけていた蓮のバリアはイーターの猛攻に耐えられず、今にも壊れてしまいそうだ。
「間に合わない……!」
「大丈夫だ!」
斗悟は蓮に向けて手をかざし、心に仲間の姿を思い浮かべた。
――力を借りるぞ、ルチア!
ついにイーターの顎が蓮のバリアを噛み砕き、彼女自身をもその牙にかけようとした瞬間、光の障壁が蓮を守るように出現して、イーターを弾き飛ばした。
「やった!」
〈祈りを満たす勇気の器〉は信頼を得た仲間の技能を借り受ける。今のはルチアの技能、聖女の加護を得た魔力防壁だ。
やはりだ。斗悟は確信した。異世界ロイラームでの戦いは斗悟の妄想ではない。仲間たちとの絆は少しも色褪せず、今も斗悟を助ける力となってくれる!
「まとめて焼き払ってやる……!」
蓮への救援を愛理に任せ、斗悟は上空に飛んだ。的を絞らせないようにしているのか、無軌道に散らばる異形の群れを見下ろし、斗悟は広範囲を巻き込む魔法の詠唱を開始する。
――範囲攻撃はお手のものだよな、ウィラード!
「インフェルノストーム!」
群れの中心に業火の嵐が出現した。灼熱に飲み込まれたイーターはなすすべもなく灰と化していく――が、しかし。
「何……!?」
恐るべき光景だった。空気中に霧散したイーターの灰や消し炭が、何らかの意思を持っているかのように集合し、不恰好な顎を形成して再び動き始めたのだ。
「こいつら、灰になっても死なないのか!?」
「ダメだ、斗悟! イーターの活動を停止させるには、桜花武装で攻撃しなければ!」
蓮の護衛をノルファたちに託した愛理が斗悟の隣に戻ってきた。
「通常の攻撃で奴らを殺すことはできないんだ。多分『死』という概念がない。切り刻んでも焼き尽くしても、その破片や灰が動き続ける」
「マジかよ……」
いや――しかし、そうか。そうでもなければ、人類がここまで追い込まれるはずがない。
斗悟が知っている2025年の時点でも、人類の兵器は、その気になれば地球そのものを破壊してしまうほどの火力を持っていたはずだ。その力を以てしてもイーターに勝てなかったのだから、単なる破壊力だけでは有効打にはならないということを、斗悟の知らない歴史が証明している。
それ故に、対イーター特効兵器である桜花武装……愛理たち桜花戦士の存在が必要だったわけか。
「くそ! せっかくウィラードの魔法攻撃が使えるようになったってのに!」
「さっきの炎の竜巻は、やはり君がやったのか」
「ああ、異世界の仲間の技だ」
「使えるのは炎の技だけか?」
「いや。水や風、地属性……色々できる。尤も、どれも効かないならあまり意味はなさそうだが」
「そうとも限らないよ。イーターは死なないけど、動きを封じることはできる。……あいつらを一ヶ所に集められるような技はないか?」
愛理の眼差しにハッとして、斗悟は頷いた。愛理が頷き返し、すぐさま比奈子に視線を向ける。
「比奈子! あと一発、でかいやつを頼めるか!?」
「……一発だけなら、いけるよ」
蓮の通信能力により、離れた位置の比奈子の声も斗悟の耳に届いた。声だけで大分消耗した様子が伝わってくる。本当にあと一撃が限界なのだろう。
「わかった。やろう、斗悟」
詳細を言葉にしなくても、愛理の作戦が手に取るようにわかる。これも〈祈りを満たす勇気の器〉の影響だろうか?
「ああ。いくぞ!」
号令を合図に、斗悟は比奈子を囲もうとするイーターのもとに急降下した。そして両手の二刀を振りかぶり、落下の勢いを乗せて思い切り地面に叩きつける。
「技を借りるぞランゲル! 地裂昴破ァ!!」
斬撃は大地に亀裂を走らせ、そこから衝撃波が立ち昇って無数の石飛礫とともにイーターたちを吹き飛ばした。本来は、獣人の力を宿すランゲルの並外れた怪力と巨大な戦斧の重量あってこその技だが、今回は急降下の加速度でカバーしている。
そして、跳ね飛ばされたイーターへ畳み掛けるように、ウィラードが得意としていた風魔法を発動させた。
「ゲイルグラスパー……!」
疾風を操作して対象の動きをコントロールする――魔王との最終決戦で斗悟とランゲルを魔王の元へ運んだ術だ。使い方によっては相手の自由を奪うことができる。
吹き荒れる風に絡め取られたイーターの群れは、空中の一点を中心に一つの巨大な塊に押し固められていく。周囲のほとんどの個体を集め終わった後、斗悟は球状の魔力障壁でイーターを包み込んだ。閉じ込められたイーター達がバリアを破ろうと暴れるが、斗悟は障壁を幾層にも重ねて対抗する。
「今だ比奈子! 頼む!」
ゲイルグラスパーで捕捉しきれなかった数匹を斬り払いながら、愛理が発射指示を飛ばした。
比奈子がイーターの塊に銃口を向ける。銃身はこれまでで最大のものに変化して、膨大な魔力が集中していく。
「これで終わらなかったら……困るわね」
消極的な呟きとは対照的に、比奈子が放った砲弾は凄まじい威力だった。命中の瞬間に斗悟は全ての障壁を解除し、100%の破壊力がイーターに直撃する。
極大の閃光と爆音が、戦いの終わりを告げた――かに思えた。
だが。
「なんだあれは。何が起こってる?」
比奈子の砲弾による爆炎が、まるで内側に吸い込まれるように消えていく。そしてその中心に、直径1メートルほどの、悪意を凝縮したような禍々しい漆黒の球体が出現していた。
「それ……時限爆弾だ!」
桜花武装によるスキャンで把握したのだろう。蓮が青い顔で叫ぶ。
「何だと……⁉︎」
「5㎞圏内が全部吹っ飛ぶ威力! 爆発までの時間はあと……い、1分しか……ない……」
蓮の言葉が絶望にしぼんでいく。
「1分……!?」
その僅かな猶予で5㎞以上の距離を逃げることなど不可能だ。斗悟たちどころか、下手をすればこちらに向かっているはずの救援部隊すら巻き込んで全滅する可能性がある。
敗色濃厚になった途端、こちらを巻き添えに自爆することを選択したというのか。なんて奴らだ。
イーターは一切自分たちの身を省みておらず、徹頭徹尾人間への殺意のみで行動しているとしか思えない。まるで人類の根絶そのものを目的にしているかのようだ。
こいつらは何なんだ? ただただ殺戮のためだけに存在しているというのか?
考えている場合ではない。残された時間で生き残るための対策を取らなければ。
イーターの恐ろしい自爆戦術に、できることは精々バリアを張って出来る限り遠くまで逃げるくらいだっただろう。
もしも斗悟に勇者の特権技能がなければ。
今は違う。幸いなことに、斗悟にはこの絶望的な状況すら覆すことができる唯一無二の奥の手が――
「斗悟」
愛理の澄んだ声が斗悟の名を呼ぶ。彼女は微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「せっかくこれから一緒に戦えると思ったのに、残念だ。君の力で、私の仲間たちを助けてやって欲しい」
口調は穏やかだったが、その声色には凄絶な覚悟が滲んでいる。斗悟は思わず気圧された。
「な、何を――」
「"開花"」
左胸に手を当て、愛理がそう呟いた瞬間、魔力のタガが外れた。
信じられないほどの魔力が愛理の全身から迸る。同時に、彼女の髪と虹彩が淡い桜色に変わり、瞳の中に花弁をかたどったような模様が現れていた。
「これは……!」
先ほどまでとは明らかに別格の力だ。まだ強さを隠していたというのか。
驚愕する斗悟を差し置いて、愛理は瞬時に球体爆弾のもとへ移動し、翼の一部を巨大な腕のように変形させて爆弾を抱え込んだ。
そして。
「蓮。比奈子。ノルファ。元気でね。大好きだよ」
笑顔で、仲間たちへ遺言のような言葉を残し、次の瞬間には視認することすら困難な速さで上空に飛び立っていた。
「愛理―――ッ!!」
愛理の意図を察した蓮の悲痛な叫びがこだまする。
あの速さならば、爆発前に爆風半径を超える距離を移動できるだろう。そう――愛理は、瞬時に自分一人が犠牲になって皆を救う選択をしたのだ。
「なんて子だ……!」
確かに迷ってなどいられない状況だが、しかしいくらなんでも自分の命を捨てる判断が速すぎる。どれほどの覚悟を背負っていれば即座にこんな決断ができるというのか。
斗悟はすぐに彼女を追って飛翔したが、速力に差がありすぎてとても追いつけない。
「愛理! 止まってくれ、愛理!」
本来ならこの速度で飛行しながら肉声が届くはずもないが、蓮の桜花武装による通信機能ならば可能性はある。だが、距離が離れすぎたのか、愛理に斗悟の声は聞こえていないようだった。
「蓮! オレの声を愛理に届けてくれ!」
「……でっ……でもっ……!」
蓮の声が涙ぐんでいる。無理もない。あまりに目まぐるしい状況の変化に混乱しているのだ。
「奥の手があるんだ! オレなら爆弾を処理できる! 誰も犠牲にならなくていい!」
「……っ!」
「頼む、蓮! オレを信じてくれ!」
次の瞬間、斗悟は愛理との間に「線」が繋がった気がした。蓮が愛理への直通回線を通してくれたに違いなかった。
「愛理ーーっ! 止まれ! 止まってくれ!」
「斗悟……!? 何故追って――」
「爆弾はオレがなんとかする! そいつをこっちに投げろ!」
「だ、だが……!」
「必ずみんな守ってみせる! だから……だからオレを信じろ!!」
一瞬の逡巡の後、愛理が引き返すのが見えた。猛スピードで斗悟の方へ向かってくる愛理と目が合うと、彼女は頷いた。
「信じるよ。君を」
愛理が翼で抱えていた爆弾を、斗悟の方へ投擲した。
「……ありがとう」
迫り来る爆弾を迎え撃つために斗悟は停止して、両手の二刀を重ね合わせるように振り上げた。二本の刀が融合し、一本の剣へと形を変える。
失われたはずの、勇者の剣に。
それができることを、斗悟は確信していた。
異世界を救うため、勇者として斗悟に与えられた特権技能は、二つある。
一つは信頼を得た者から魔力と技能を借り受ける〈祈りを満たす勇気の器〉。
そしてもう一つは、望まぬ未来を覆し希望を切り開く、勇者の剣だ。
――その名は。
「〈絶望の未来を壊す剣〉ーーッ!!」
爆発の瞬間、魔王を倒した剣が再び顕現した。
〈絶望の未来を壊す剣〉は、他者からの信頼さえあれば魔力消費なしで使える〈祈りを満たす勇気の器〉とは異なり、発動のために莫大な魔力を消費する――その消費量は、斗悟自身の身に魔力が宿っていた異世界ロイラームにおいても、彼単独で発動することはできず、他者から借り受けた魔力を上乗せしてようやく賄えるほどだった。
ただし発動さえできれば、その威力は絶大だ。
〈絶望の未来を壊す剣〉の一閃は、斗悟にとって望まぬ未来をもたらす対象を、確実に無効化・破壊することができる。単純な破壊ではなく、その対象が存在することで訪れるはずであった未来ごと無効化して切り裂くことができるのだ。
ロイラームの最終決戦で、魔王が世界中の魔物を吸収し巨大な黒竜に姿を変えた時、本来であれば斗悟たちに勝ち目はなかった。単純な戦闘力において彼我の差は絶対的であり、斗悟たちがどれほど効果的に技を繰り出したところで魔王への致命打には成り得なかったはずだ。
だからこそ――敗北の未来が確定していたからこそ、〈絶望の未来を壊す剣〉はその真価を発揮した。敗北の未来をもたらす魔王の存在を、その未来ごと一閃のもとに斬り伏せたのだ。
この能力が発動しさえすれば、事実上斗悟は無敵である。敗北や死といった概念すら強制的に覆す神の如き力。人々の祈りを背負う勇者にのみ許された、世界の運命を味方につける究極の切り札だった。
その一閃が、今まさに広がり始めた爆風の初動を捉えた。爆弾は確かに起動し、瞬時に撒き散らされる死と破壊を止めるにはもう手遅れのはずだったが、〈絶望の未来を壊す剣〉の効果はあらゆる物理法則を超越して確実に発現する。
――つまり。
避けようがなかった斗悟や愛理たちの死は、それをもたらす爆風ごと消滅した。無限に分岐する未来のうち「実現しなかった一つの可能性」として、そこに至る選択肢もろとも勇者の剣によって剪定された。
「やっ、た……」
爆弾に無数の亀裂が走り、零れた破片から光となって消えていく―― 〈絶望の未来を壊す剣〉発動による特有の消滅現象を見届け、成功を実感した瞬間、斗悟の全身をとてつもない疲労感と虚脱感が襲った。魔力切れだ。
当然か……本来数十人分の魔力を一振りで消費する〈絶望の未来を壊す剣〉を、愛理一人から借り受けた魔力のみを原資として発動したのだ。彼女のとんでもない魔力量があったからこその奇跡だが、流石に底をついたらしい。
斗悟は自身の桜花武装すら維持できなくなり、翼を失って空中から落下し始めた。まずいと思ったが、意識が朦朧としてどうにもできない――だが地面に激突する前に、体がふわりと浮いた感触がした。
目を開けると愛理の顔が真上にあった。彼女が空中で受け止めてくれたのだ。逆お姫様抱っこ状態である。
「斗悟! しっかりしろ! 大丈夫か!?」
「ああ……魔力切れでふらついただけだ。少し寝たら……回復する……」
「そうか……良かった。また、助けられてしまったな」
愛理の瞳が潤み、声が震えている。努めて冷静さを保とうとしているようだが、その表情からは隠し切れない動揺が見てとれた。
当然だろう。ほんの数十秒前まで、自身を犠牲に仲間を救う覚悟の中に身を置いていたのだ。死の恐怖と緊張から一転しての生還。安堵もあるだろうが、それ以上に急激な感情の揺れ動きで心が掻き乱されているはずだ。
――そんなときでも強がろうとするんだな、この子は。
そう思った瞬間、言葉が漏れていた。
「君が生きていて、良かった……」
愛理の目がはっと見開き、涙が溢れた。愛理の頬を伝った雫が、斗悟の頬に落ちる。
「斗悟……君は、本当に……」
薄れゆく意識の中で、斗悟は、忘れられない彼女の笑顔を見た。
「この世界を救ってくれる、勇者なのか……?」
――当たり前だろ。
精々格好つけたかったのに、そのセリフを声を出すことは叶わないまま、斗悟は深い眠りに落ちた。