絶望の未来で
西暦2025年7月。後に「イーター」と呼称される正体不明の怪物が世界各地に出現。人類の捕食を開始する。不死に近い性質を持つイーターに人類は抗う術を持たず、瞬く間に滅亡の危機に追い込まれた。
西暦2025年12月。日本国東京都において、「救世の聖女」が覚醒する。彼女の生み出す粒子状の物質は、イーターにとって致命的な「毒」として作用することが判明。この粒子を用いた兵器は、人類にとって唯一の、イーターに有効な対抗手段となった。
西暦2027年4月。イーターを生み出す元凶固体『女王』の存在を突き止めた人類は、女王討伐の最終作戦を敢行。女王の討伐には成功するものの、イーターの根絶には至らず、またこの戦いで人類の大半が死滅。「救世の聖女」も戦死するなど、大きな痛手を被った。
その後、残された人類は、「救世の聖女」が死の間際に遺した彼女の能力の結晶を加工し、旧東京都を中心としたエリアにイーターの侵攻を防ぐ結界を形成。その結界内部を人類最後の生存領域として確保した。
並行して、「救世の聖女」の能力の一部を人為的に他者に移植する技術を開発。素質を持った10代の少女のみ、対イーター粒子による武装能力を獲得できるようになった。
彼女らは、イーターの侵略から人類生存領域を守る「桜花戦士部隊」として組織され、最前線で戦い続けている。
――西暦2125年。イーターが最初にこの世界に現れてから100年が経過した、現在においても。
愛理たち4人の少女も桜花部隊の一員であり、結界外での任務中にイーターの襲撃を受けている斗悟を発見したため保護してくれた……ということらしい。
「…………」
彼女たちが教えてくれたこの世界の「歴史」は、正直、斗悟には遠い世界の作り話のようにしか思えなかった。
とてもではないが、かつて自分がいた世界の延長線上にここがあるとは思えない。しかも、その大惨事の始まりが、自分がロイラームに旅立った直後に起きていたなんて。
だがいくら信じられないと嘆いたところで、斗悟がここにいる事実は変えようがない。
斗悟は自分の世界に帰ってきたのだ。ただし、街は廃墟と化し、人類は滅亡に瀕した絶望の未来に。
……これを帰還と呼べるのだろうか?
100年後の世界に、斗悟を知っている人間は誰もいない。友達と馬鹿話をしながら歩いた放課後も、家族との温かい食卓も、もう二度と戻らない。
そして何より。
桜夜にも、もう二度と、会うことはできないのだ。
愛理は桜夜にそっくりだが、やはり別人だった。……或いは子孫、なのだろうか。
斗悟は心底から打ちのめされていた。
何をする気力も起きない。考えることすら億劫だ。
突き付けられた残酷な現実の前に、ただ呆然と項垂れるしかなかった。
斗悟は愛理たちが乗ってきた装甲車の輸送スペースに残されている。外では4人の少女が、先ほどこの輸送スペースから運び出した見たことのない機械を展開して何かの作業を行なっているが、気にもならなかった。
コンコン、と扉を叩く音がした。
「斗悟。入ってもいいかな? 入るよ?」
呼びかけの後、ガチャリと音がして扉が開き、外から愛理が入ってきた。
「ここも結構暑いな。ノドが渇かないか?」
愛理は斗悟の隣に腰を下ろし、2つ持っていた筒状容器の1つを斗悟に差し出した。斗悟が受け取ると、愛理は自分の手元に残った容器側面のボタンを押し、蓋を開いて、中身を飲んだ。
促すように微笑みかけられ、斗悟も彼女を真似て飲料を口にした。
昔飲んだスポーツ飲料に似た味だった。柑橘系の爽やかな酸味が喉に染み込む。水分を補給して初めて、自分の体が相当に渇いていたことを知った。一気に飲み干して大きく息をつく。
精神的にも少しだけ、潤いを取り戻した気がした。
……そういえば、まだ彼女にまともにお礼を言っていない。
「ありがとう。飲み物も……助けてくれたことも、ちゃんとお礼を言ってなかった」
「気にしなくていい。君も大変だったんだろう」
互いの事情を話す中で、同い年だと分かったからか、いつのまにか愛理の敬語は外れていた。しかしその喋り方はなんだか勇ましくて、雰囲気も桜夜とは違う。
どれだけ似ていても、やはり愛理は桜夜とは違う人間なのだ。
「もう少し待っていてくれ。私達が任務を終えたら一緒に桜都に帰ろう。行くあてがなければ、上司に相談してみるから」
「……君はオレの話を信じてくれたのか?」
斗悟がこの世界の有り様を受け入れ難いのと同じように、愛理たちも、『100年前の日本出身で異世界帰りの元勇者』という冗談みたいな斗悟の経歴を、簡単に信じてくれるとは思えない。
案の定、愛理は一瞬言葉を選ぶように目を泳がせてから言った。
「……申し訳ないけれど、今すぐに君の話を全て鵜呑みにすることはできない。私が持つ知識だけでは真偽を判別できないからだ」
「そうだよな。わかってる。オレ自身疑ってるくらいだ。オレはもうとっくにおかしくなっていて、ひょっとしたら、自分が記憶だと思っているものは、全部頭の中で生み出した妄想なんじゃないかって」
「君とはまだ少ししか話をしていないけれど、混乱はしていても、錯乱しているようには思えない。落ち着いた場所でもっとゆっくり話を聞くよ。だからそんなに塞ぎ込まないで。不安だろうけど、大丈夫。私たちは君の味方だ」
愛理が優しく微笑む。彼女の思いやりが心に染みて、斗悟は思わず「なぜ君はオレにそんなによくしてくれるんだ」と問いかけていた。
その裏には、やはり彼女は桜夜なのではないかという、捨て切れない願望があったのだろう。
斗悟と同じように時を越えた桜夜が、なんらかの事情で記憶を失い、自分を別人だと思い込んでいるものの、ほんのわずかに斗悟への想いが残っていて、だから特別に優しくしてくれるんじゃないか、と。そんな夢物語が、未練がましく頭の片隅に湧き上がってくる。
しかし、愛理の答えは――。
「君が何者なのか、君の身に何が起きたのか、私にはわからない。だ、少なくとも君が深く傷ついていることは本当だと感じた。だから、力になりたいと思ったんだ」
「……!」
彼女は、彼女にとって斗悟が特別な存在だから優しいわけではなかった。目の前に傷ついている者がいたら手を差し伸べる――それは愛理には当たり前のことなのだ。
もしも、苦しんでいるのが斗悟ではない別の誰かであったとしても、きっと愛理は、同じように優しく寄り添っていたのだろう。
そう理解するのと同時に、斗悟の中に、彼女に桜夜の影を重ねようとしたことを恥じる気持ちが生まれていた。
それは、夕凪愛理という心優しい少女の人格を軽んじていることになるのではないか、と。
感謝なのか、或いは謝罪か、彼女へ返す言葉を探していたとき、バン! と乱暴に扉が開いて、3人の少女が飛び込んできた。