太陽に焦がれる
「愛理。入ってもいい?」
病室の扉をノックし、そう呼びかける。ややあってから、「どうぞー」と明るい声がした。
病室に入ると、愛理は起き上がってノルファを迎え入れてくれた。
「目が覚めたって聞いて、ちょっとお話ししたくて。……平気?」
「ありがとうノルファ。全然平気だ! 一眠りしたらすっかり元気になっちゃった」
ガッツポーズをして見せる愛理。
「ノルファの方こそ大丈夫か?」
「ええ。蓮の歌のお陰で、ダメージはほとんど残ってなかったから」
「そっか。良かったー」
微笑む愛理の目元に涙の跡があることを、ノルファは見逃さなかった。
「それにしても、今回の戦いは危なかったな。次から次に予想外のことばっかりで……みんな無事で本当に良かった」
「ええ。そうね」
「斗悟がやられちゃった時はヒヤヒヤしたよ。でも蓮ならきっと助けてくれるって信じてたけどな」
「……愛理」
ノルファは愛理のベッドに腰掛けて、そっと彼女の手を握った。
「今、ここには、あなたと私しかいない」
その言葉に、愛理の完成された笑顔が、くにゃりとバランスを崩した。視線を落とし、苦笑、と呼ぶのが一番近い表情になって、「ノルファには敵わないな」と呟く。
「…………怖かった。すっごく」
しばらくして絞り出した愛理の声は震えていた。
「斗悟が死にそうになった時、ホントは頭真っ白になっちゃったんだ。でも蓮が泣いてたから……私がしっかりしなきゃって、必死だった。うまく、やれてたかな」
「ええ。あなたは理想のリーダーそのものだった」
嘘ではない。愛理が絶望的な状況でも決して諦めず、凛とした姿で希望を示したからこそ、蓮は奮起し、斗悟を復活させた上に『開花形態』に目覚めるという奇跡を起こしたのだ。
気づけたのはノルファだけだろう――あの時の愛理の堂々たる姿が、実は薄氷の上に辛うじて成り立っていたのだということに。
本当は、震えそうになる声と体をなんとか抑え、ギリギリのところで踏み止まっていたことに。
「斗悟が生きてて……みんなが無事で本当に良かった……。良かったよぅ〜……」
泣き出してしまった愛理が落ち着くまで、ノルファは傍に寄り添っていた。
――愛理は太陽だ。
歴代最強の桜花戦士。人類の希望。
その小さな両肩にのしかかる重圧は想像を絶する。
けれど愛理はそんなことをおくびにも出さず、いつも明るく朗らかで、任務では頼りになるリーダーの役目を全うしている。
その完璧な善性を、ノルファは愛していた。
焦がれるほどに。
……やがて愛理が涙を拭く。鼻をかんで、顔を上げた彼女は、幾分か晴れやかな表情になっていた。
「はー……スッキリした。ありがとノルファ。こんな情けないところ、他のみんなには見せられないからな」
「構わないわ。無理して溜め込まなくていい」
「もーぅ。そんなこと言われたらキュンキュンしちゃうよ」
愛理は太陽だ。だが太陽にも夜が必要であることをノルファは知っていた。自分が――自分だけがその役目を担っていることに、少なからず高揚感を覚えている。
だが――。
「愛理」
「ん? なぁに〜、ノルファ♪」
「愛理は会崎くんのことが好きなの?」
「………………ほァッ⁉︎」
聞いたことのない声が出た。驚くだろうことは予想していたが、これほどとは……。
「な、っなな何? 急に。ど……どしたん?」
動揺のあまり口調がおかしくなっている。初めてのことだ。
「なんとなく。彼が関わることになると、普段のあなたよりも感情の表出が派手になっている気がしたから」
「そ……そうですかね?」
「安心して。私にしかわからない程度」
「…………」
「自覚は、ないの?」
「……わ、わかんない。……なんか……よく、わかんなくて……」
愛理は、朱く染まった頬を隠すように口元に手を当て、しきりに目を泳がせている。……こんな反応も、初めて見た。
「この場合の『好き』って、その……恋愛的な意味で、ってことだよね?」
「質問の意図としては、そう」
「……それ……よく、わかんない。私、みんなのことが好きだ。ノルファのことも蓮のことも比奈子のことも、ナデナデしてペロペロしてモミモミしたいって思ってる」
「………………」
話の腰を折らないように、一旦置いておく。
「でも、斗悟に思うのは……なんか、違うんだ。それが何なのか、説明できなくて……これが『恋』っていうものなのかも、よくわかんない……。ノルファはわかる? 恋ってどんな感じなのか」
「さぁ……。私も恋愛経験ないから」
「そっかー……。っていうかさー、桜花戦士ってそーゆー機会全然ないよなぁ〜」
「比奈子なら知ってるかも?」
「そうかも……だけど……どうしよう、メッチャ大人な話とかされちゃったら。私『あばばばばばば』ってなって、リーダーの威厳が地に落ちるかも」
「……ふふ」
「笑うなよぉ〜」
「じゃあ、愛理。東條教官のことは好き?」
愛理はパッと笑顔になった。
「好き〜。訓練して汗かいても、東條教官って何であんないい匂いするんだろーなー」
「神田司令官のことは?」
「もちろん好き! まぁ、司令は私達のこともーっと大好きだろうけどな!」
「鞠原先生は?」
「好きだよー。何でも優しく教えてくれるし」
「じゃあ会崎くんはどう? 誰に対する『好き』に近いの?」
そう尋ねると、愛理は考え込んでしまった。だが顔は赤いし目はグルグルしているし、答えが出てきそうにないのは明白だった。
「やっぱ……わかんないよ。誰とも違う。こんなの初めてだ」
「そう。それなら、今はそれでいいと思う」
愛すべき親友のために、ノルファは言葉を選ぶ。
「わかるまで、もっといっぱい話してみればいいわ。いつかその気持ちに、あなたが納得できる名前を付けられるまで」
愛理が目を丸くした。
「え……ノルファ、なに今の、すごい。素敵。大人!」
「どうも」
「そうだな。これからもっと、斗悟と話してみるよ。……なんか、こういう話新鮮だな! 楽しいな!」
照れたのを誤魔化すように笑う愛理を見て、胸の奥に刺す僅かな痛みに気づかない振りをする。
……これでいい。
斗悟からは、愛理に近いものを感じていた。
輝くような善性。
それは、ノルファがどんなに焦がれても手に入らないものだ。
愛理の幸せを願っている。そのために、彼女の隣に居るのは、やはり自ら輝きを放つような人物であるべきなのだ。きっと愛理も、そういう人を選ぶはずだ。
自分のような、愛理の光に当てられて濃い影を延ばすだけの人間は、彼女の真の理解者にはなり得ないのだから。
――大丈夫。私はちゃんと、人類のために戦える。
濁りそうになる精神を、愛理に気付かれぬよう深呼吸をして整える。
ノルファの適合率は40%。ボーダーラインの上に立っている。心を乱し、これ以上善性から遠ざかれば――皆と並んで戦う資格すら、失ってしまうのだから。