接敵
桜花戦士部隊特別任務担当独立分隊――通称「特務分隊」。
夕凪愛理をリーダーに、春川蓮、鳳比奈子、ノルファ・ノレイドの4名で結成された、小規模な戦闘を含む偵察・調査・哨戒を主目的とした分隊だ。高い探査・支援能力を持つ蓮を、戦闘能力に優れた愛理、比奈子、ノルファの3人が護衛する構成となっている。
少人数ゆえの機動力を備えつつ、単独で高い任務遂行力を持つため、特に桜都から遠く離れた結界外地域における活動を主として運用されていた。
ウェンディゴ・メナスが発見されたのは、桜都の南端から南西に約30キロメートルほどの地点である。イーターが跋扈する中を掻い潜って目的地に辿り着き、危険な特異個体の調査を行う――今回のような任務の遂行は、まさに特務分隊の真骨頂であった。
斗悟たち5人は、近未来的な装甲・設備の大型バギー(ポラリスという名称らしい)に乗ってウェンディゴ・メナスへと向かっていた。本来は特務分隊の4人乗りを想定されているため、斗悟が乗ると結構窮屈である。
ポラリスは廃墟の道なき道であってもかなりの速度(時速80キロメートルくらい?)が出ているが、走行音は驚くほど静かだった。加えて、蓮のスタースケールによる隠密用の結界を車体に纏うことで、更なる消音機能や光学迷彩も追加され、道中はイーターと無駄な戦闘を行うこともなく目標地点の間近まで接近することができた。
――しかし。
「予想外……ってほどじゃないけど、面倒なことになってるわね。一旦停めるよ」
運転手の比奈子がそれを見て、廃墟の陰に隠すようにポラリスを停車する。
それは吹雪だった。ただし超局所的な。
真夏の日差しの下、おそらくウェンディゴ・メナスと奴が作り出した氷の建造物の周辺のみを囲うように、雪の嵐が発生している。雪が煙幕の機能を果たし、内部の様子を窺い知ることはできない。
「あんなの、昨日の映像にはなかったよな……?」
「そうだな。だが1年前の戦闘でも、奴が吹雪を生み出した記録は残っている。これくらいはできておかしくない」
「でも困っちゃうよね。あわよくば、遠目からこっそり蓮ちゃんと勇者くんにスキャンしてもらえればって思ってたのに」
そう……比奈子の言うとおり、これではウェンディゴ・メナス本体と謎の建造物を調べることができない。スタースケールのスキャン機能は「対象の目視」が発動条件なのだ。
「つまり、蓮と斗悟――少なくともどちらかには、あの吹雪の中に入ってウェンディゴ・メナスを直接見てもらう必要が生じてしまった。……ウェンディゴ・メナスに気づかれずにあの中に入ることはできそうか?」
吹雪そのものをスキャンしたのだろう、蓮が苦い顔で「難しいな」と応える。
「多分、あの吹雪はセンサーだ。侵入者を察知して迎撃するための結界だよ。入った時点で敵認定される」
「そうか……。だが裏を返せば、ここには奴がそれだけ警戒する『何か』があるということになる。調べないわけにはいかないな……」
『おい、何があった? 映像を送って報告しろ』
腕時計型の端末から、神田の声が割って入る。これは桜花戦士全員が装着している「リーフ」という通信端末だ。音声通信と映像通信を使い分けられるだけでなく、装着者のバイタルサインや適合率、桜力の残量をリアルタイムで測定して司令部に伝達しているらしい。
音声しか聞こえていない神田に詳細を伝えるため、愛理がリーフを映像通信に切り替えて吹雪の様子を映し、状況を説明した。
「……って感じで困ってるんだ。どうすればいいと思う? 司令」
愛理の問いに対して、僅かな沈黙の後に神田が発した言葉は、斗悟に向けられたものだった。
『会崎斗悟。お前が使える能力の中に、炎を発生させるものと、球状のバリアを生み出すものがあったはずだ』
「は、はい」
ウィラードの炎魔法と、ルチアの魔力障壁だ。この2つの技能は最初に愛理達と共闘した時にも使っている。なぜ神田が知っているのか一瞬疑問に思ったが、斗悟が使用可能な技能は検査の中で一通り鞠原に報告していたことを思い出す。その記録を読んだのだろう。
『その2つを組み合わせ、ランタンのようにバリアの中に炎を閉じ込めたものを作れるか? それも複数個……できるだけ多くの個数を、同時にだ』
「できる、と思いますが……それは何のために?」
『囮だ。ウェンディゴ・メナスに気づかれず吹雪へ侵入するのが不可能ならば、複数の囮と同時に突入して迎撃の手を分散させる』
神田は説明を続ける。
『この吹雪、奴が侵入者を感知する方法は少なくとも視覚とは考えにくい。熱源探知か桜力探知か……いずれにしろ、熱と桜力を発する似通った形状のものが複数現れたら、奴は違いを判別できないはずだ。そこに乗じて、お前達自身もバリアを纏い吹雪に侵入する。奴が囮に手間取っている隙に、早急に奴自身と建造物のスキャンを終わらせて離脱しろ』
……確かに。
その作戦ならば、単に突撃するよりも遥かに長く、ウェンディゴ・メナスの注意を斗悟たちから逸らすことができるだろう。
「さっすが司令! いい作戦思いつくじゃないか!」
『気を抜くなよ。多少迎撃が分散しようと、敵のフィールドに侵入する時点で危険は避けられん。作戦の遂行が困難と判断したら即時撤退し態勢を立て直せ』
「わかってるよ、絶対無茶はしないさ。よし、行こう!」
愛理の号令を合図に、氷結領域への侵入作戦が開始された。
ウェンディゴ・メナスの巣(と表現していいのかは微妙だが)は、高層ビルが立ち並ぶオフィス街から少し離れた、郊外の始まりのような場所にあった。おそらくかつては近郊農業が行われていた地域なのだろう、吹雪の周辺は旧耕作地が広がっていて見晴らしが良い。
1キロメートルほど東に聳えるオフィス街の廃墟は、身を隠すには持ってこいで、逃げる時には利用できそうだ。ポラリスもここに隠してある。
斗悟は、人間がすっぽり入るサイズの球状バリアで包んだ下級炎魔法の囮を20個ほど作り出し、吹雪の周囲に展開した。直径500メートルを超える範囲に囮を運んで配置するのは疾風操作魔法を使っても結構な重労働だった。
囮の配置後は、自分たちにもバリアを張って突入に備える。少しでもウェンディゴ・メナスからの発見を遅らせるため、気休め程度かもしれないが蓮の隠密結界も併用した。
愛理たちがバリアの中で桜花武装を装備し、準備を整える。
「始めるぞ。3……2……1……突入!」
斗悟たちと20個の囮が、一斉に吹雪の中に押し入った。
吹雪の中は恐ろしい空間だった。バリア越しにも伝わる極寒。舞い飛ぶ雪で視界が遮られ、10メートル先も見渡せない。だが、その不十分な視界すら圧迫するように、巨大な氷花の如き建造物が鎮座していた。
即座に迎撃反応があり、いくつかの囮に氷の槍が突き刺さる。斗悟たちを狙い撃って来ないということは、神田の読み通り囮は有効のようだ。
「やはり中心部か!」
氷槍が飛来した方向、そして強大な魔力の気配から、ウェンディゴ・メナスがいるのはおそらく建造物の中心――昨日の映像と同じく、氷花の柱頭部分で間違いなさそうだ。
「視界を開くぞ! 蓮、スキャンの用意を!」
「もうできてる!」
斗悟は疾風を巻き起こし、中心部に向けて一直線に雪を吹き飛ばした。
白い煙幕が消え、一瞬だが、氷花柱頭に陣取るウェンディゴ・メナスの姿が露わになる。
人型――ただし顔に当たる部分には異様な大きさの口しかない――の上半身に、双頭の狼が下半身として生えている。氷花が巨大すぎるせいで実感しづらいが、奴自身も小規模なビルほどの大きさだ。そして昨日の粗い映像ではわからなかったが、肉眼で見ると硬質な質感で生物らしさを感じない。スキャンによると体そのものも氷で構成されていて、半獣半人の姿は形を模しているだけのようだ。
だが――これほどの異形を目にしながら、斗悟の意識はそれ以上に、同時に視界に入った奴の頭上の空間に吸い寄せられていた。
ウェンディゴ・メナスの頭上、何もないはずの空間そのものがひび割れている。
縦横10メートルほどの亀裂の奥に覗くのは、闇を煮詰めたような凝縮された黒。
「なんだ、あれは……――⁉︎」
その瞬間、かつてない戦慄が走る。
蓮のスタースケールによるスキャン能力は、理屈を超越して本質的な情報を与えてくれるものだ。
その力が訴えていた。
決してあの亀裂を拡げてはいけない。
それを許してはならないと。
「ダメだみんな‼︎ あいつは……あいつは今! ここで倒さないと! 手遅れになる‼︎」
「作戦変更だ‼︎ 総攻撃で奴を倒そう‼︎ あの亀裂が拡がる前に‼︎」
蓮と斗悟が同時に叫ぶ。蓮もあれをスキャンしたからだろう、斗悟と全く同じ反応を示していた。
だがこの感覚を共有していない他の三人には、二人が何を言っているのかわからない。
「ちょっと、急にどうしたの二人とも? 任務は調査でしょ? 司令からも戦うなって言われてるじゃん」
「それじゃ間に合わないんだよ! 今を逃したらもうダメだ! あのヒビがあれ以上大きくなったら取り返しがつかない!」
「確かに空が割れてるみたいで不気味だけど……何がそんなに危険なの、蓮ちゃん?」
「それはっ……説明できないけど、でもわかるんだ! ウェンディゴ・メナスの行動は、全部あれを開くためだったんだ!」
「落ち着こう、蓮。一時撤退だ。吹雪の中にいては的になってしまう」
話している間にも囮は次々に破壊されている。愛理の言うとおり、ここで言い合っている場合ではない。
斗悟たちは入ったばかりの吹雪から飛び出して、ポラリスを隠していた廃墟の一角まで退却した。ウェンディゴ・メナスは追って来なかった。