仲間との別れ
「勝った……のよね。あたし達。今度こそ」
「ああ。魔王はもういない。オレたちの勝ちだ」
「……ぃぃイヨッシャーッ!! やった! やったぜ! お前ら最高だ!!」
ランゲルが斗悟達の肩を抱き寄せた。感極まったルチアは泣きながら笑っている。普段は無愛想なウィラードさえも、この時ばかりは微笑みながら深く頷いていた。
『よくやってくれましたね。勇者トウゴ、そしてその仲間達よ』
慈愛に満ちた女性の声が、頭の中に響いた。斗悟には慣れたものだが、初めての経験であろう仲間達はぎょっとしている。
「な……なんだこの声? まさか……」
「女神様だよ。オレをこの世界に呼んだ」
『あなた達は数多の試練を乗り越え、魔王を討伐し、この世界ロイラームを平和に導きました。創世の女神イリーリスの名に於いて、その功績を讃えます。そして最大限の感謝を。私の世界を守ってくれて、本当にありがとう』
「マジか……! やべー、俺ら女神様にメッチャ褒められてるじゃん……!」
ランゲルは誇らしげに目を輝かせている。だが、ウィラードは女神の声がただ労いを伝えるものではないことを察したようだった。
「女神イリーリス様。勇者トウゴは、魔王討伐の使命を果たしました。それはつまり……」
『はい。使命を果たした勇者は、自らの世界に帰還しなければなりません。ここではない、彼が元いた世界に』
勝利の歓喜で忘れていたのだろう。ランゲルの表情が強張った。
「そう……か。そうだったな。お前は元々別世界の人間だ。理由もなくこっちに残るワケにはいかねーか。……じゃあな、トウゴ。元気でな!」
ランゲルが右手を掲げる。世界を越えた友との別れに万感の想いを込めて、2人はお互いの掌を打ち鳴らした。
「右も左も分からないこの世界で、最初にお前が声をかけてくれてどれほど心強かったか。ありがとうランゲル。お前と出会えて……本当に良かった」
その瞬間、辛うじて笑顔を保っていたランゲルの涙腺が決壊した。
「あああああー! やっぱり嫌だぁあー!! 何で帰っちゃうんだよお前ェ! もうちょっとここにいろよバカやろー!」
「無茶言わないの! トウゴには帰りを待ってる人がいるんだから……!」
斗悟に縋り付くランゲルを、ルチアが後ろから引き剥がした。
「そうでしょ、トウゴ?」
「……ああ。名残惜しいけど、オレはオレの世界に帰るよ」
現実世界には、家族や友達、そして何より最愛の想い人である桜夜がいる。彼女達の元へ胸を張って帰るために斗悟は戦ってきたのだ。
だがそれでも、この異世界で出会った仲間との別れが辛くないわけじゃない。
「トウゴ。あなたには感謝しています。僕の世界を変えてくれてありがとう」
ウィラードが差し出した右手を、斗悟はしっかりと握り返した。
「オレは何もしてないよ。お前の努力と才能が認められただけさ」
「最初に認めてくれたのはあなたです。あなたがいなければ、僕は今も異端のままで……いずれ自分自身すら信じられなくなり、魔法の道を諦めていたでしょう」
この異世界ロイラームと現実世界との最大の違いは、やはり「魔法」の有無だろう。ロイラームで1年以上旅をして、ようやく斗悟なりに「魔法とは何か」がわかり始めた気がしているが、その理解に至れた功績の多くはウィラードにある。
奇妙な表現だが、彼は魔法を科学的に解明しようとしていた。その研究はロイラームにおいては先進的すぎたようで、既存の魔法体系の常識を覆すウィラードの理論は異端扱いされ、彼自身も魔法学会から追放されてしまったのだ。
ウィラードが斗悟達の仲間に加わったのは、「魔王を倒した」という実績をもって魔法学会を見返そうとしたから、そして何より斗悟の知識に興味を持ったからだった。
ロイラームの文明レベルは、魔法があることを除けば、おそらく現実の歴史における中世ヨーロッパと同程度である。西暦2025年における平凡な高校2年生の学力でも、ウィラードにとっては遥か未来の情報を先取りしたに等しい、とてつもない衝撃だったらしい。
「ですが、まだまだ足りない。まだまだ知りたいことがあるんです。トウゴは僕の質問全てには答えられませんでしたしね」
「うっ……それはすまん……もっとちゃんと勉強しとけばよかった」
「だから――さよならは言いません。僕はいつか必ず、僕の力であなたの世界に行きます。その時にまた会いましょう」
ウィラードの青い瞳に静かな輝きが宿っている。旅の途中、揺らめく焚き火を囲んで語り合った夜に見た煌めきだった。理性と情熱を合わせて燃える青い炎。
「ああ。待ってるぜ、ウィラード」
別れ際の方便ではなく、確信を持って斗悟は言った。「異なる世界を行き来する」という、今はまだ女神の力を以ってのみ可能な偉業でも、彼ならばいつかきっと成し遂げるだろう。
「トウゴ……あたし……」
ルチアが何かを言いかけて止め、潤んだ目を伏せた。
「……これからどうするか、決めたか? ルチア」
「どうする、って……」
「前に言ってただろ。魔王を倒したら、『聖女』は引退して好きに生きるって」
ルチアがハッとした。
「そうだったわね。でも、『好きに生きる』ってどういうことなのか、わからないままここまで来ちゃったわ」
斗悟が魔王打倒のために召喚された勇者――異世界からの救世主だとすれば、ルチアはこの世界自らが生み出した聖女――ロイラームの自浄作用とも言うべき、天然の救世主だ。
ルチアは人々の期待によく応える理想の聖女だった。神秘的な銀髪に翡翠色の瞳をした、美しい容姿。魔を退け人を癒す力を持ち、清楚で慈しみ深い人柄で誰からも慕われていた。
――そうあるように、演じていた。
世界から「聖女」の役割を与えられたとしても、人格の根本からそのとおりでいられるわけもない。本当のルチアは、重すぎる期待に押しつぶされそうになりながら、それでも自分を希望と信じる人たちのために必死で理想の聖女として振る舞い続ける、ただ一人の少女でしかなかったのだ。
斗悟たちにそれが知られてしまった際には一悶着あったが、以降ルチアはやっと、仲間達の前では本音を話してくれるようになった。
本当は聖女でなんかいたくない――という想いを。
「あんなに『魔王倒したら絶対聖女なんかやめてやる』って思ってたくせに、いざそうなったら……やめてどうすればいいのか、わからない。だって、他の生き方知らないんだもの」
後天的に勇者となった斗悟とは違い、ルチアは生まれながらに聖女であることを宿命づけられていた。だから、自分の人生にそれ以外の選択肢を思い浮かべることができないのだろう。
何か少しでも、彼女に指針を示してやれないだろうか――そう考えたとき、ふと頭に浮かんだことがあった。
「歌は、どうだろう」
「え……?」
「君の歌はとても綺麗だった。歌唱術式の力がなくても、君の歌を何度も聴きたいと思った」
歌唱術式はルチアの技能の一つだ。詠唱を旋律に乗せることで、効力とその範囲を底上げする。ルチアは特にこれを回復魔法に応用し、歌声が届く範囲全員の傷を癒す『ヒーリングソング』を得意としていた。
「歌……かぁ。嫌いじゃないけど、それこそ聖女の代名詞って感じで、今までとあんまり変わらないかも」
「そうか? 君の歌は、君が聖女であることとは関係なく素晴らしいと思うが」
「そ、そんなストレートに褒められると照れるけど。でも、あたしが歌を練習したのは、聖女としての技能を上げるためだし」
歌唱術式には、大雑把に言えば「歌がうまいほど効力が高まる」という特徴がある(ウィラード曰く「対象者の意識への浸透度合いが術式効果に影響する」とかなんとか)。ルチアが言ったのはそのことだろう。
だが――。
「君が聖女に選ばれたのは運命だったとしても、『聖女としてどう行動するか』を決めたのは君だ。歌唱術式で多くの人を助けようとしたのは、君が優しい人間だからだ。そんな君の歌だからこそ……きっとたくさんの人の心に響くと思う」
「なにそれ」
苦笑するルチアの瞳から一条の涙が零れる。
「でも……あんたがそう言うなら、そう信じてみることにするわ」
指で目の端を拭いながら、彼女は精一杯の微笑みを斗悟に向けた。
『そろそろ時間です。準備はよろしいですか』
女神イリーリスの声に、斗悟は「少しだけ待ってくれ」と返す。
「ルチア。……最後に、歌ってくれないか」
ルチアは頷き、目を閉じて息を吸い込んだ。
――それはいつか聞かせてもらったことのある、迷い子の帰路の無事を祈る民謡だった。透き通った歌声が沁み込んで、魔王との戦いで負った傷が癒えていく。同時に斗悟は、1年を超えるロイラームでの戦いの日々を思い出していた。
様々な出会いと別れがあった。辛いことも多かったが、それ以上に得たものの方が多かったと断言できる。
ランゲル。ウィラード。ルチア。
共に旅をした仲間との絆は、斗悟にとってかけがえのない財産だ。
ルチアの歌の終わりに合わせて、天から光の柱が降りてきて斗悟を包んだ。斗悟の体は、光の柱をエレベーターのようにして上昇していく。現実世界への帰還が始まったのだ。
「みんな、本当にありがとう! お前達のことは、絶対に忘れない!」
徐々に小さくなる仲間達の姿を見下ろしながら斗悟は叫ぶ。それに負けじと張り上げたランゲルの声が、最後に斗悟の耳に届いた。
「トウゴォオオー!! 元気でなぁあああー! もしそっちの世界で困ったことがあったら……! 俺達を呼べよ! 絶対……何があっても、絶対! 助けに行くからよォ!!」
「……ああ! また会おう、みんな!」
光の柱に乗って上昇する斗悟は、雲を越え、空を越え、音を超え、光を超えて、やがて世界の境界を越えた。
ロイラームの空はどこまでも青く晴れ渡る。勇者の仲間達は、それぞれの想いを胸に、彼らが取り戻した青空を、その遥か先に消えていった勇者の姿を見上げていた。