特異個体
それから一週間ほどは、穏やかな日々が続いた。
蓮との信頼関係を築き彼女の桜花武装を使えるようになったことを評価されたのか、初日に付けられた監視用の首輪(爆弾付き)を外してもらえることになり、斗悟の待遇も向上した。
蓮は歌うことを隠さなくなり、また歌唱術式の訓練のため、斗悟だけでなく特務分隊のメンバーにも積極的にその歌声を披露してくれるようになった。愛理たちは、初めて知った蓮の天才的な歌唱力に度肝を抜かれたようだ。絶賛とアンコールの嵐に、蓮は恥ずかしがりつつも嬉しそうにしていた。
――そんな平穏を崩したのは、神田司令官からの緊急招集だった。
「南西18エリアの偵察を行っていたドローンが撃墜された。別エリアのドローンを一時流用し、再調査した際に撮影された画像がこれだ」
作戦室の大型モニターに投影されたのは、氷で作られた建造物だった。
ドローンが再び撃墜されないよう最大限に距離を取っているからだろう、やや画質が粗いが――地面から巨大な氷柱が剣山のように無数に聳え立ち、何層にも積み重って放射状に拡がっている。
それは、氷柱を花弁に見立てた巨大な氷の花が咲いているようにも見えた。
「この物体の直径はおよそ500メートル。周辺気温が低下しているため、見た目どおり氷で構成されていると思われる。そして――」
神田が画面を拡大する。アップになった物体の中心部――花で言うと柱頭に当たる部分に、単なる氷の塊ではない「何か」が、いた。
体色は冷々とした青。二つの頭を持った狼の背中部分から、人間の上半身らしきものが生えている。大きさは縮尺から考えて、小さく見積もっても全長10メートル。
こんな異形の存在はイーター以外にあり得ないだろう。そして斗悟は一目で、これまでに見たどのイーターとも比べ物にならない威圧感を感じていた。
「こいつ、は……!」
蓮は目を見開き、食い入るように画面を見ている。その尋常ではない反応に、斗悟は思い当たることがあった。
神田は、蓮の反応を予期していたように淡々と続ける。
「このイーターの姿は、約1年前に出現し、当時の北西エリア担当第二班4名を殺害した特異個体に酷似している。形状に微妙な差異はあるが、同一個体である可能性が高い」
――やはりか。
蓮にとっては、敬愛する先輩たちの命を奪った最大の仇とも言えるイーター。確かそいつも、冷気を操る能力を持っていたはずだ。
花凛たち4人の犠牲により撤退に追い込んだものの、その後の消息は不明だった。今に至るまで生き延び、そして力を蓄えていたということだろうか。
「この個体については以降『ウェンディゴ・メナス』と呼称する。こいつは天候すら変えるほどの冷気を操り、桜花戦士の中でも上位の実力者だった森里花凛を含めた4人を返り討ちにする戦闘能力を持っているが……最も警戒すべきなのは、これまでの特異個体と比べても類のない、意味不明な行動を取っていることだ」
画面が静止画から映像に切り替わった。映像はやはり粗く、詳細はよく見えなかったが、ウェンディゴ・メナスは地面に新しい氷柱を生やし続けているようだ――しかも、ただ無造作にそうしているのではない。まるで氷の花弁の数を増やそうとしているような、何らかの目的意識を感じる。
「これ……何やってるの?」
比奈子が怪訝そうに尋ねる。
「それがさー、全っ然わかんないんだよね〜」
説明者の一人として大型モニターの近くに座っている鞠原が、頭を掻きながら言う。
「イーターの性質自体、解明できてないことばっかりなんだけど……今回のこいつの行動は明らかに異常だ。
基本的にイーターの行動原理は、①人間を喰う、②それを邪魔する奴は殺す、③そのために自分の体を強化する、の3つしかなくて、人間と遭遇していない時のイーターは、自分の憑依体に素材とか取り込んで強化してるか、あとはぼーっと待機してるだけなんだよね。
でもこのウェンディゴ・メナスってヤツはさ……明らかに何かを作ってるんだよ。それも、形状から作成意図が全く見えない、なんていうかこう……『儀式的』な感じのものを。こんなこと100年の観測記録を見ても一つも例がなかった」
確かに、これまでのイーターは、本能的に人間を襲撃しているような印象だった。集団行動を取ることもあったが、それは例えるなら社会性昆虫のような、生態に組み込まれた範囲に収まっていたように思える。
今回のウェンディゴ・メナスによる巨大な氷花の建造は、どこかそれとは異質な、知性めいたものを感じさせる行動であり、目的が不明なことも相まって得体の知れない不気味さを醸し出していた。
「言うまでもないが、こいつを野放しにしておくことはできん。だが無策で挑むには危険すぎる相手だ。そこで、まずはお前たちにこいつの調査を頼みたい。その結果をもとに、相性の良い桜花戦士を選抜して討伐隊を編成する運びになるだろう」
愛理が手を挙げて質問する。
「『私たち』というのは、ここにいる、特務分隊の4人に斗悟を加えた5人で――という意味でいいんだな?」
「そうだ」
神田の返答は簡潔だった。愛理がにんまりと笑う。
「司令〜。斗悟のこと信用してないとか言って、こんな重要な任務を任せちゃうんだ〜?」
神田は鬱陶しそうに顔を顰めた。
「能力適正を考慮した結果だ」
「あたしも……いいんですか?」
蓮が不安そうに尋ねるが、神田はあっさりと頷いた。
「今回の任務で最も重要なのはお前のスキャン能力だ。奴の目的や弱点……少しでも討伐に役立つ情報を取って来てもらいたい。そのための頭数は多い方がいい」
と、神田は睨み付けるように斗悟を見た。……その視線が、「お前を選出したのはスキャンの手数を増やすためだ、調子に乗るな」と言っているようだった。
「比奈子。ノルファ。お前たちはどうだ?」
「あたしはオッケー」
比奈子は放課後のカラオケかと突っ込みたくなるくらい気軽な調子で了承し、ノルファも「異論はありません」と続く。
その後は鞠原と神田から、わかっている限りのウェンディゴ・メナスの情報と、調査任務の詳細について説明があった。
任務の開始は明朝。それまで各自十分体を休めておくように、との指示を最後に、ブリーフィングは解散された。